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大切なものは目に見えない。近くにあるほど気づかない。

日本滞在に一旦区切りをつけ、バンコクに戻ることに決めた。本当であれば家族全員で戻って元の生活をしたいところであるが、全員での渡航はまだハードルが高いと判断し、まずは自分だけタイに戻って暫く単身赴任生活をすることにした。

このnoteでバンコク封鎖日記を書いていたのが3~4月なので、あれから4か月になる。「まだたった4か月か」と思えるくらいこの日本滞在期間は濃密な期間だった。自分の人生において、稼ぐ場所、住む場所、子供が学ぶ場所、それら全てを同時並行で検討しなければならなかった。ある意味で価値観が揺さぶられるような経験であり、「人生において何が大切か」について何度も考えさせられた。

「ふつうの幸せ」の有難さ

帰国した当初は、千葉と東京で小さなAirBを転々としながら家族で身を寄せ合うように過ごした。非常事態宣言真っ只中だったので殆ど出歩くことも無かった。僕と妻はリビングや寝室でPCを広げそれぞれリモートワーク、子供は毎日タイの学校のオンライン授業に参加した。

お昼になるとご飯を作り、子供が会議中の僕の部屋に食事を運んでくれたりもした。オンライン授業の休憩時間に「公園にいこう!」と子供を連れ出し、公園で一緒に遊んだ。やがて近所の駄菓子屋でお菓子を買うのが子供たちの毎日の楽しみになった。

夕方、仕事が終わるとスーパーにみんなで買い出しに行き、好きなアイスを1つずつ買った。あまり住んだことの無い東京の下町に暮らし、スカイツリーが間近で見られることに子供たちは興奮しているようだった。

目の前にあるのは、いたって地味な、ごく普通の生活。でももしかすると「本当の幸せ」ってこういうものかもしれない、とも思った。コロナによってどこにも行けず、仕事も様々な制約を受けたが、だからこそ目の前にある幸せに気づくことができたのは、ある意味で幸運な経験だった。

今からはしばらく家族と離れる生活が始まるが、離れることでまたそのありがたみに気づくのだろう。それはそれでよいのかもしれない。

時間の価値は後から気づく

やがてタイのオンライン授業が終わり、子供たちは7月から日本の学校に通うようになった。千葉の普通の公立小学校。水筒と上履きと体操着を持って学校に行く風景は、自分が子供のころと変わらない。一方で、学校が終わると友達と公園に遊びに出かける様子は、タイでは見られない光景なのでいいなぁと思いながら過ごした。

次男(8)には自転車を買ってあげた。タイでは小さな子供が道を自転車で走ることはまずない。どこかに出かけるにも少なくとも小学校までは親同伴が常識だ。そんなわけでいつも親にピッタリとくっついていた次男が、たった1日で自転車を乗りこなし、2日目には友達と近所を走っていた。その成長に逞しさを感じるとともに、急に遠くに行ってしまったような寂しさもふと覚えた。

子供が小さいうちは「早く大きくなってほしい」という思いが強かった。小さな子供がいることで、行動が制限される不自由を嘆いたこともあった。しかし、10年もたたないうちにそんな時期はあっという間に終わってしまい、懐かしさと寂しさが親の心には残る。この10年は凄く貴重な10年だったんだということにはその時は気づかないが、終わってから気づくことになる。

時間の価値というのは、今この瞬間には気づきにくいように出来ている。子供との時間もそうだし、趣味や勉強に使うための時間もそうだ。「もっと時間があったら」「忙しい時期が終わったら」と思っているうちに、人生はどんどん過ぎていってしまう。しばらくは周囲の状況は色々変わっていくと思うが、「いまのこの時間がとても大切なんだ」と言い聞かせて過ごしていきたいと思うし、10年前、20年前の自分にも伝えてあげられたらどんなにいいか、と思う。

一番大切なのは健康

やがて少しずつ外に出歩けるようになり、会いたい人になるべく会っておこう、と行動し始めた。その中で、すでに引退された70代の元経営者の先輩のお話を伺う機会があった。自分のようなコンサルティングをされていた方で、今後の自分の人生や事業のヒントを見つけたいと思い、訪ねて行ったのだ。その方が仰っていて特に印象に残っているのは、「もしもう一度やるなら、身体をもっと大切にします」という言葉だ。

その方は、独立後の事業が順調で、どんどん精力的に仕事を増やす中で、やがて生活のリズムが乱れ40代で体調を大きく崩してしまった。そこからは以前のようなペースで仕事が出来なくなったと言っていた。あまりに忙しく、床屋に行っても「忙しいから15分でやってくれ」というような人間だった、でもそんなことでは体を壊してしまう、と少し後悔の表情とともに語っておられた。それでも、家を建て家族を幸せにし、沢山のクライアントに貢献し続けた人生は、私から見れば素晴らしい偉業のようにも思えた。

健康の大切さも、失ってみないとわからない。若いうちはいくらでも無理は効くし、少々生活習慣が乱れても健康には影響は出ない。しかしそうした油断が続き習慣化すると、後で健康に大きな影響が出てしまう事がある。

自分も40代になり、周囲には大きな病気を患う人も増えてきた。幸い自分はまだ健康だし、身体を壊すほどは働いてはいない。しかし、経営環境がどんどん変化する中で、もっと自分を追い込む必要も感じている。それでも、後悔しない人生を送るためには、こうした先人の言葉にきちんと耳を傾け、少しでも体に大切にする習慣を意識していこうと改めて思った。

ちなみに自分はこうした自分の父親くらいの世代の方のお話を聞くのが好きだ。人生を懸命に生きてこられた方の言葉には、人生の本質に関する知恵が詰まっている。面白いなと思うのが、いろんな方に話を聞いたが「お金が大切」という人には一人も出会ったことが無い。もちろんお金なくして生きてはいけないが、やはりお金は人生を豊かにするためのあくまでも手段であるという、順番を間違えてはいけない、とこうした先輩の話を聞くたびに思わされる。

人生でほんとうに大切なものは、意外とシンプルで、そして身近にある。しかしだからこそ、その価値に気づくのがが難しいのかもしれない。

・・・さてそんなことを思いながら、いまバンコクに向かう飛行機に搭乗しようとしている。この4か月は大変なことも多々あったが、改めて振り返ると、人生に向き合うことができた、とても気づきの多い貴重な期間だった。

これから14日間の隔離が始まり、それが終わると、空き家にしていた家に帰り(ドアを開けるのがドキドキ)、チームやクライアントと再び再会する。恐らくそれらのプロセスでも気づくことが色々とあると思うので、また内省し、このように記事にしていければと思う。



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