ネット時代に気を付けたい「太った豚」の話

元々インターネットというのは怪しげな情報であふれる空間だと思うのですが、最近、情報の真偽が怪しいものが加速度的に増えているような気がします。

芸能人や政治家のスキャンダルといった誰かを貶める情報、病気や医療に関するそれっぽいけど実はトンデモな情報など、何が本当で何が間違いかもわかりません。いわゆる専門家のような人が語ると門外漢はそれが正しいように感じてしまいますし、イイネの数が数万を超えて多くの人に支持されるとますますその信ぴょう性が増して感じられます。

ネット情報のバズは中毒的な快楽がありますから、イイネを得ようと情報を脚色したり、しまいにはでっち上げたりすることに動機づけられる人も増えていきます。そうやって多くの真偽の怪しい情報がネット空間に増えていく。これはもうなかなか止めようのないことだと思います。

こうした話で私が思い出すのは、「情報の真偽を確かめることの大切さ」をウィットに富んだスピーチで伝えた「平成26年東大教養学部 学部長の式辞」です。当時は話題を呼んだ記事ですが、時々読み返したくなる名スピーチです。ぜひご一読をお勧めします。

要約しますと、教養学部長の石井氏は、1964年の3月に当時の総長であった経済学者の大河内一男先生がスピーチの中で語った

「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」

という言葉を紹介します。ですが、「この言葉には実はいくつもの誤りがあった」というのです。要点だけ紹介します。

まず第一に、実はこの言葉は大河内先生自身の言葉ではなかったということ。19世紀イギリスの哲学者、J・S・ミルの言葉の引用だったということ。本人はきちんと出典を述べているのですが、それがマスコミによって東大総長自身の言葉であるかのようになって広まってしまった。マスコミが意図的に省略したわけではないと思いますが、現代でもよくある話です。

2点目は、そもそも大河内氏が引用した言葉は、原文とはだいぶ異なっていたという点です。ご自身の記憶違いもあったのかもしれませんが、原文は「太った豚よりも痩せた人間になる方がよい。満足した愚か者になるよりも不満足なソクラテスである方が良い」(拙訳)というものだったようで、それが頭の中で変換されてしまったようです。確かにずいぶん違いますが、昔見聞きした表現を「こんな感じだった」と話してしまうこと、というのは我々の日常でもよくある気がします。

最後に、そもそもこの表現は確かに大河内氏の原稿には書かれていたそうですが、「当日、この言葉は読まれなかった」そうなのです。読まれなかったのに、マスコミに渡った草稿をもとに新聞原稿が作られてしまい、言ってないのに言ったことになったというわけです。

つまり、この「太った豚になるよりも痩せたソクラテスになれ」という言葉は、「石井氏が言った」という主語も違うし、「言葉そのもの」の目的語も違うし、「言った」という事実も違う、何一つ正しいことは含まれていないのに正しいことのように伝わってしまった、ということです。

石井氏は、この事実を取り上げながら「情報が不確かに伝わること」をこう指摘しています。

そこで何が言いたいかと申しますと、まず、皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った
方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。
情報が何重にも媒介されていくにつれて、最初の事実からは加速度的に遠ざかっていき、誰もがそれを鵜呑みにしてしまう。そしてその結果、本来作動しなければならないはずの批判精神が、知らず知らずのうちに機能不全に陥ってしまう。ネットの普及につれて、こうした事態が昨今ますます顕著になっているというのが、私の偽らざる実感です。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞

ここで彼が指摘しているのは、いま私たちが肝に銘じるべきことそのものなのではないかと思います。

「健全な批判精神」を持ち、「一次情報に当たる」こと。

こうした姿勢をすべてのネット民が持てというのはかなり難しいですが、少なくとも一人一人がこうしたリテラシーを持って情報に接すること、また大人たちが子供たちに真偽の怪しい情報は鵜呑みにしないこと、を責任をもって伝えていくことが大切ではないかと思っています。



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