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満月の夕

なんとか間に合った!
26年目の今日、この曲をupしました。
私にとっては「音楽を生業にして生きよう」と思うきっかけになった曲です。「人を泣かせることで生かす事ができる」と教えられました。
『満月の夕』(Soul Flower ver.)



ソウルフラワーユニオンの中川敬さんが阪神淡路大震災の後、各地の避難所を慰問演奏している時のこと。
(避難所での演奏は電気さえ確保できない事もあり、マイクスタンドにメガホンを付けて演奏したらしていたそうだ)

演奏が終わった後、中川さんのところに1人のおばちゃんがやってきて、目を腫らした顔で言った。「やっと泣けた」と。
聞けばその人はずっと炊き出しをやったりして、どちらかと言えば人を励ます立場に立つことが多かった。みんな家族を亡くしたり家を失ったりしている中で、とても「自分が泣く事なんかできなかった」。
それが、慰問演奏で懐かしい曲を聴いたら一緒に歌ったりしているうちに、とうとう込み上げるものに耐えきれず、泣いてしまった。
その時、このおばちゃんの感情はやっと回り始めたのだった。

…又聞きでしか無いし原典(=中川さん自身のブログ)をちゃんと見ないで記憶だけで言っているので、違うところもあるかもしれない。
でも、だいたいこんな話だった。

それを聞いて、私は何故かこう思ったのだ。
「歌は、音楽は決して余裕ができた時に気楽に楽しめば良い、というだけのものじゃない。音楽が人を生かすことだってあるんじゃないか。
ならば私は、音楽を生業にしても良いんだ」
と。

よくよく考えてみれば、決して誰も「音楽なんて余裕ができた時に気楽に楽しむだけのもの」とは言っていない。
が、父は私に対して「お前にとってはそういうものだ」と言った。ずっと、言っていた。
いや、父だけじゃない。家族や大切な人も、皆同じ事を言った。それは私を大事に思ってくれるからこそ言っているのだ、ともわかっていた。
私には才能も無いしその為の専門教育を受けた訳でも無かったのだから、当然だっただろう。
が。
そんな事は、もうどうでも良かった。
向いていようといまいと、「私が」やりたくてやりたくてたまらなかったのだ。
それは、子どもの頃からそうだった。「それはお前の人生じゃない」と言われて、ずっと我慢していたのだった。

両親とももういないし、育てなければならない子もいないし(というか子はいるけど二度と会えないし)、ならば私はもう「自分の人生を生きる」事を自分に許して良いんじゃないか。
そう思った。

最初は、仕事にまでするつもりは無かった(だから正確には☝️の方に書いた「生業にして良いと思った」きっかけより少し前から「音楽だけやって生きよう」と思うようにはなっていたけれど、生きているだけでも精一杯で、とてもとても「仕事の事なんか考える余裕は無かった」。本当に。弟が支えてくれなければ、15年くらい前に私は死んでいただろう)。
が、この曲を知って、中川さんによってそのエピソードを知って、私の人生は決まった。

中川敬さんには、心から感謝している。…と言っても、別に直接の知り合いとかじゃないんだけど💦
ついでに言えば、私が初めて『満月の夕』という曲を知ったのも、ソウルフラワーとか山口洋さんとかの演奏ではなく、酒井俊さんの演奏をライブでスタッフとして音響やりながら聴いた友人が、自分のステージで歌うのを聴いたのが初めてだった。
又聞きの又聞き(笑)

でも、ある意味そこまで遠くなっても、まだこの歌の力は衰えていなかった、という事なんだろう。
歌そのものにも感謝。

せっかくなので、中川敬さんのブログを…最近すっかり忘れてた💦
(今はブログはやってらっしゃらない模様?なのでソウルフラワーユニオンのオフィシャルサイトへのリンクを💦)
http://www.breast.co.jp/soulflower/
よろしければ。

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