部下の心をつかむには ~自尊心と忠誠心の関係~

もう30年近く前になります。愛知県の西尾市というところで、当時、中学2年生だった男の子が、いじめを苦に自宅の裏庭で首を吊って亡くなるという事件がありました。クラスメート4人から100万円以上の大金を恐喝されたほか、信じられないようなさまざまないじめを苦にしてのことでした。それを克明に綴った日記が出てきて、報道番組のみならずワイドショーでも盛んに取り上げられました。学校現場での「いじめ」の実態が初めて明らかにされた最初の事件だったと思います。あれから「いじめ」なる言葉が社会に浸透し今日まで定着している、そのきっかけとも言うべき事件でした。私自身、子どもというのは、時にあそこまで残酷なことができるものなのかと驚かされたのを覚えています。

お父さんはそれ以来、全国を回っていじめを撲滅すべく講演活動を続けてらっしゃいます。お父さんの話でいちばん印象深かったのは、少年が命を絶つ直前の数か月、異変に気づいた両親が本人に問いただしたときの話でした。 

「おまえ、学校でいじめられてるんじゃないか? 正直に言ってみろ」と迫る父親に、少年は一切、いじめを匂わすような発言をしなかったといいます。そんなやりとりが何度もあったそうです。でもそのたびに、「お父さん、そんなことないから。心配しなくても大丈夫だよ」と微笑んで、いじめの「い」の字も吐かずに死んでいったというのです。

このことを、お父さんは今でも悔いています。何度も何度もいじめの実態を聞き出そうと問い詰めた行為は、わが子の自尊心を著しく踏みにじる行為ではなかったかと。クラス40人のなかで、自分だけがいじめの対象になっているという事実を認めたくない。それに屈服したくない。自分を産み育ててくれた両親に対して、他の誰でもない、あなたたちの子どもだけがいじめの対象になっているのですよという事実を知られたくない。そんな、わが子の自尊心や誇りのようなものを土足で踏みにじってしまったのではないかと。もっと他の訊き方があったのではないかと、自分を責めているのです。

幼稚園の先生から聞いたことがあります。子どもというのは、3歳にして自尊心が芽生えてくるものなのだそうです。それを他者に土足で踏みにじられたと感じた時、頑なで依怙地な反発心が生じてくる。それが中学生、ましてや成人であればなおさらのことでしょう。

このことから、上に立つ者が下のものと接するときに最優先に考えなければいけないもの。それがひとりひとりの部下の自尊心であることをインプットしておいてほしいと思います。そして、相手の自尊心に配慮していることの表れが、上から目線で一方的に押しつけず、部下の考えを尊重して向き合ってあげるということです。そのためにも、「命令」表現ではなく「依頼」表現を意識的に用いるべきなのです。

部下に限らず、一般に私たちは、他者から説教されたり、押しつけられたり、命令されたりすることがきらいです。これは、自分の未来に対して選択肢が与えられずに、一方的に強要されることへの心理的抵抗があるからです。つまり、人は誰しも、自己選択したいのだと思います。

上司であるあなたが部下たちの自尊心に配慮ある言動を積み重ねていったとすれば、そこに部下からあなたへの忠誠心が生まれることになります。これがあればこそ、あなたが苦言を呈した際にも、「よし。自分のことをあんなに気遣ってくれる上司のためにも、次こそはしくじらないようしっかりやってみせるぞ!」という反骨心が芽生えてくるものだと思うのです。

考えてみれば、私たちの仕事人生を振り返ったとき、イヤな上司から頼まれた仕事よりも、尊敬したり憧れたりしていた上司から頼まれた仕事には、おのずと力が入ったものではないでしょうか。好きな上司には評価されたいものです。だから必死にがんばるのです。そして、その結果として最高のパフォーマンスを発揮することができるのだと思います。

組織のパワーストラクチャーのなかでは、そりゃあ、嫌いな上司から出された指示であっても下は従うしかありません。一方的に命令口調で指示を出したとしても、表面上は「わかりました」と言わざるを得ません。でも、そうやってしまうと、部下から出てくるアウトプットの品質が不安なのです。「よしっ。やってやるゾ」という前向きに取り組んだ場合とちがって、ネガティブな感情を抱えながらやる仕事というのは、やっつけ仕事になってしまう可能性を孕んでいて、パフォーマンスやクオリティが心もとない。結果的に芳しくない結果が出てしまうと、ダメージは部下よりも上司に降りかかってきます。指示を出した上司側にペナルティが課せられます。そう考えれば、業務命令という切り札は、できれば使いたくない最後のカードだということがおわかりいただけると思います。

例えば、「おい。これ、100部コピッてきてくれ!」と言われた部下はどのように感じるでしょうか。おそらくは、「わかりました」と言ってコピー機に向かいながらも、心のなかでは「チェッ」と舌を打っているかもしれません。部下にだって都合と言うものがあるはずです。「チッ。こっちだって忙しいのに、自分勝手な都合であれやこれや命令しやがって、この野郎!」なんて気持ちでコピーを取られたらたまったものではありません。それよりも、「はいっ。喜んで!」という前向きな気持ちで取り組んでもらうほうが絶対にいい。

ですから、上司が部下に指示を出すときには、指示される側の気持ちに配慮しながら言葉や表現を選択するということが、自分の立場や仕事の品質を守るという意味で、とても大切なことなのです。これが部下をエンターテインするということです。それでいながら、その恩恵を受けるのは部下以上に上司のほうなのですから、こんなにラッキーなことはありません。くれぐれも、上に立つ者は、一時の感情や中枢神経でモノを言ってはいけません。口は災いの元。いくら注意しても注意しすぎることはないと思ってください。

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