【デキる上司の十訓十戒004】叱り方 ~オファって、レビュって、ワーンする「利行」~

「利行」というのは、相手の良いところを引っぱりだしてあげるということです。どうやって引っぱりだすかというと、「布施」がほめることによって相手に自信を持たせたのに対して、叱ることによって相手にヤル気を出させるのです。私としては、この「利行」の体現である「叱る」という行為が、上に立つ者の『信』の源泉だと考えています。上が下をどう叱るか。

部下が上司に対して信頼を持つか、敵意・嫌悪・軽蔑といったネガティブな感情を抱くか。叱り方には、その浮沈がかかっていると思うのです。そりゃあ誰だって、ほめられるのはうれしいものです。ホメ殺しという言葉もあるように、例え社交辞令やお世辞であっても、それが上っ面だけのおべんちゃらだとわかっていても、イヤな気はしないもの。それが人間です。

誰だって、「自分は他の人とはちょっとちがう」「いざとなったらデキる人間だ」といったふうに自分は特別だと思っているからです。だから、そのことを他者が言葉にしていってくれると、「わかってくれているんだなぁ」と感じてうれしくなるのです。

でも、本当の意味で部下を成長させるのは、デキる上司の叱りだと思っています。自分の至らない点や落ち度を言葉にして指摘されたとき、ふつうは落胆・反発・憤怒などネガティブな気持ちが芽生えるものです。ましてや、相手が自分のことをろくに知りもしなかったり、明らかに自分より劣ると思っていたりした場合には、特にそうでしょう。自分が好きでもない、尊敬もしていない、上司として評価していない相手から、自分の自尊心やプライドへの配慮が微塵も感じられないような指摘のされ方をしたら、復讐の炎がメラメラと燃えさかるなどということにもなりかねません。

つまり、上司にとって「叱る」という行為は、組織や業務や人材をマネジメントする上でもっとも慎重になされなければならない生命線なのです。叱り方が部下からの信頼を生み、叱り方が部下を育てるということです。

【「叱る」と「怒る」】

ところで、管理職研修で「部下をどのように怒ればいいのか悩んでいる」という声をよく耳にします。まずは、「叱る」と「怒る」の言葉のちがいを理解してください。部下を叱るのはOK。部下を怒るのはNGです。このふたつの言葉は決して同義語ではありません。まったくちがいます。叱るという行為は思考表現であり、相手を理性的に諭すことを言います。一方、怒るというのは感情表現であり、自分の情緒的な行為。前者が相手のためを思ってのものなのに対して、後者は自分のストレス解消の一助でしかありません。 

ちょっとイメージしてみてください。上司から「バカヤロウ! 何やってんだ、お前は!」とやられた部下はどうなるでしょうか? 怒鳴られた部下は直立不動の姿勢で頭を下げるはずです。この構図は一見なんの問題もないように見えがちですが、それはちがいます。ほとんどの人間は、「申し訳ありません!」のひとことで一件落着したものと勘違いしてしまうのです。だから、根本的な解決になっていない。いずれまた同様の局面がおとずれる公算大です。怒鳴られたから反射的・本能的に謝っただけで、問題点が明らかになり納得しているわけではない。どうすれば同じ過ちをしないで済むのかを理解したわけでもありません。

おまけに、こんな光景を目の当たりにした他の部下たちにも、何かいや~な感じが蔓延します。つまり、職場のムードもネガティブなものになってしまいます。スカッとするのは上司だけ。要は、ひとりよがりの自己満足でしかない。ましてや、部下を育てているとは100歩ゆずっても言えません。

【「怒る」の3大リスク】

上に立つ者は、怒るという行為の3つのリスクを肝に銘じておかねばなりません。まず、部下の学ぶ機会を奪ってしまうということです。怒鳴られて頭を下げてハイおしまい。これでは、自分の至らなかった点を深く考えて次に生かすというプロセスがぶっ飛んでしまうからです。

つぎに、ビジネスにとって重要な情報を入手できなくなってしまうということ。怒鳴るイコール部下の口を封じることに他なりません。となれば、顧客に関する情報など、本来、上司として把握しておくべきことが漏れてしまいかねません。

さいごは、次以降の失敗を報告させなくする素地を作ってしまいかねないということです。怒鳴られた部下はもちろん、他の部下にしても怒鳴られたくないという本能ゆえに、ネガティブなことを極力あなたに知られずに済ませようという意識が蔓延ってしまうわけです。つまり、怒鳴ったあなたは一瞬スカッとするかもしれませんが、その代償はあまりにも大きいと知るべきなのです。

では、どうやって(怒るのではなく)叱ればいいのか。叱るという行為は、れっきとした上司の仕事の一環だということを再認識してください。そこで「利行」です。叱るという行為は、「利行」でいう叱り方のオプションのひとつと考えられます。「利行」には3つのレベルがあります。①オファーレベル(日常的に気づいたことに対する提案) ②レビューレベル(問題や失敗が表面化した時の諭し) ③ワーニングレベル(最終警告)。ひとつずつ解説していきましょう。

【オファーレベル】

まず、オファーレベル。これは、日常的に気づいたことに対して、部下のために善かれと信じて、こうしたらいいのではないかと提案してあげる感じです。

「布施」と同じく主語をIにして、「私はね、山田さん。あなたがもっと大きな声でしっかりと自分の意見を言えるようにしたら、周囲のあなたへの信頼感がさらにグッと増すだろうなとずっと考えていたんですよ」と伝えてあげます。「ここをこう直しなさい」ではなく、「もっと良くするために、こんなことをしてみたらいいんじゃないかな」とオファーするのです。慣れてくると、叱ったこちら側も、どこか心が温もるような感覚を覚えるんですよねぇ、これが。不思議です。

【オファーサンプル】

「桜木さんは、資料提出前に再度チェックすることで、グッとミスを減らせると思うよ」
 
「望月さん、お客様と会話する時は、自分の大切な身内や友人と向き合っているようなイメージを持つともっとよくなるんじゃないかな」
 
「芳しくないことほど早めに報告する。そこを徹底してくれたら、キミは鬼に金棒だぜ」
 
「キミが定時の15分前にスタンバイしてくれると、私はものすごく安心なんだよね」
 
「残業する場合には、15時までに作業内容と想定時間を一報してもらえると助かるな」
 
「プレゼンでは原稿を見ない。それで、聞き手の関心をグッと惹きつけられると思うよ」

【レビューレベル】

つぎに、レビューレベル。これは、具体的な問題や失敗が表面化した時に振り返らせて、共に吟味して諭すということです。タイミングとしては、上司のであるあなたの耳に入ったらなるべく早いうちに、です。機を逸してはなりません。上司は部下の指導者でもあります。改善点に気づいたら即アクション。これが親心というものです。まちがっても、何ヵ月も先の人事評価面談まで持ち越すようなことはしないでください。本人に改善点も伝えずにダラダラと先送りした挙句、芳しくない評価をつけたとしたら、部下にケツをまくられても仕方ありません。「なんで気づいた時にすぐ教えてくれないんですか!その時点で指導されたなら、すぐに修正できたじゃないですか!」ってな具合に…。

内容的には、例えば、顧客から名指しでクレームが来た、帳簿のミスが発覚した、報告を怠った、無断で遅刻をした、提出物の期限を守らなかった、企画書の内容が稚拙だった等々でしょうか。で、こういう時に、いまだに、先述のように怒鳴り散らす上司がいるわけです。これは愚の骨頂です。こんなときこそ、押し出したい負の感情をグッとこらえて、クールに諭さなければいけません。上司として部下たちから信頼を勝ち得ることができるかどうかの分岐点です。

最初にやるべきことは、なぜこうした事態を招くことになったのか、本人の言い分を問うことです。これをすっとばしてしまうと、思わぬ落とし穴が待っています。顧客やメンバーから伝え聞いた事情について部下を質す場合、まずは事実関係を本人に確認してから先に進むようにします。で、実際のところは誰の言い分が正しいのかはわかりません。ですから、こう切り出します。

「キミの言い分はよくわかったよ。その上で訊きたいのだけれど、今回の件は、どうしてこのような顛末になってしまったのだと思う? ちょっと考えてみてくれないか?」

たしかに無理難題を言ってくる顧客もいます。正論で返しただけでは納得してくれない顧客もいます。しかし、ここで大事なのは、相手のことは置いておいて、部下の側に何かできることはなかっただろうかと振りかえらせることです。この自省のなかから飛躍のヒントを見つけられる部下は期待が持てます。何ごとも他責ではなく、自分自身の中に原因があったのではないかという思考プロセスを学ばせるのです。

仕事上のミスにしても、顧客からのクレームにしても、当該部下だけが全面的に悪いということは、ふつうはないものです。もしかしたら、指示を出した側に配慮が欠けていたかもしれません。過去に積み重ねられてきた不満が何かしらのきっかけでたまたま今回表面化したのかもしれません。だから冷静に振り返らせる。相手のない問題や失敗であっても、その部下がなぜそのような行動を取ってしまったのか。その背景を本人に探らせるのです。

経験的には、部下の精神的な側面に行き当たることが多いです。例えば…。

「最近は仕事に慣れてきたこともあり、新人時代のきめこまかさや丁寧さに欠けていたかもしれません」
「無理な条件を突きつけられてついつい反発心が芽生え、結果として顧客の気持ちに配慮の足らないモノの言い方をしてしまったかもしれません」
「提出期限キッカリに提出したのでは、内容の修正等が生じた際に間に合わなくなるという基本的なことを、忙しさにかまけて失念してしまいました」

本人がみずから考えて、ある程度、真の原因に近づいたと感じたら、続いて未来に目を向けさせます。「なるほど。それが今回の原因分析の結果かな。それでは、次にまたこうしたことを繰り返さないために、キミはどうしたらいいと思う?」と。上司であるあなたが「こうしろ」と言うのではなく、本人にアクションプランを考えさせて宣言させるのです。心理学的に、そのほうが実行確率が高まることがわかっています。

人は誰しも、人に押しつけられることを好まないものです。逆に自分で出した結論であれば、そうそう簡単にスルーはできない。なんとか実行に移そうと努めるわけです。ここまでいったら、最後は上司がフォローしてやります。

【レビューサンプル】

「とはいえ、キミがいつもチームの業績に貢献してくれていることは本当に感謝しているんだ。後輩たちの鑑になって、みんなを引っぱっていってほしいと期待してるんだ。引き続き、よろしく頼むよ」

「今回の件は、なぜこうなってしまったのか。ちょっと経緯を教えてくれないかな。その上で一緒に対策を考えてみたいんだよね」

「とはいえ、好き勝手言ってくる顧客に対して、時として感情的になる気持ちもわからなくはないよな。私だって若い時分は、似たような経験を多々したものさ。でも、ビジネスってぇのは、感情を表に出して得るものはない。それを学ぶいい機会だったんじゃないかな、今回は」

「岡さんとしてもがんばったと思うよ。次は何とか結果を出したいところだよな。具体的な方法論について、一緒に考えてみようじゃないか」

「とはいえ、中間報告の指示を出さなかった私にも落ち度はあるよな。いや、キミのことだから大丈夫だろうって思い込んでしまったところはある。次からは、指示を出した時点でお互いに進捗チェックのタイミングを取り決めるようにしようじゃないか。キミもたくさんの案件を抱えて大変な時期だからね」

こんな感じでしょうか。どんなに有能な部下であっても、まったくミスがないということはあり得ません。そんな時、本人に考えさせ善後策を練らせ、その上でフォローしてやる。そんな上司の気遣いに対して、「よし。この上司やチームのためにも、次はこんなまちがいをしないようにやってやるぞ」という忠誠心や反骨心が芽生えてくるのだと思います。部下の失敗や問題が表面化した時にどう言葉を紡ぐか。考えさせて気づかせてフォローする。この厳しさとやさしさが、人望ある上司と、そうでない上司の分水嶺だということを認識しておいてください。

【ワーニングレベル】

さいごは、最終警告時の叱り方です。残念なことではありますが、やはり、中には同じ過ちを何度も繰り返す部下もいます。こういう部下に対しては厳しく叱る必要があります。その場合にも、決して感情的になってはいけません。クールに叱るほうが、相手は危機感を募らせるものです。ふつうレビューレベルで諭す場合には、部下の人格ではなく、問題となった行為にフォーカスして問い質すのが鉄則です。しかし、ワーニングレベル、つまり、最終警告に際しては、詳細な事実をいちいち質すようなまどろっこしいことはしません。根源的なところをストレートに衝くのです。

「私はね、キミがこうして何度も同じ問題を引き起こすとね、そもそもヤル気があるのかどうか、そこのところがとても不安になるんだよね。聴かせてくれないか」

これが効きます。「ヤル気」という、抽象的ではあるけれども、日本の文化においてもっとも尊いとされる部分に正面から切り込まれたとき、多くの部下は一瞬ひるみます。本能的に、不用意な回答はできないぞ、と思うわけです。そして多くの場合、こんなふうに言ってきます。

「まぁ、一応、ヤル気はあるつもりなんですが……」

実際、かなりの確率でこう返してくる。「ヤル気がない」と言うわけにはいかないし、「ヤル気があります」と、いけしゃあしゃあと答えることも憚られる。そんな心境だと思います。そうしたら、上司であるあなたは、こう追い打ちをかけます。

「キミの『つもり』はどうでもいいから、行動で示してもらいたい」
「口先だけでは、だれも信用してくれないぞ」

モノは試しで、機会があったら試してみてください。かなりの効果を発揮するはずです。

【注意したい「すみません」と「わかりました」】

他にも、この手の部下が多用してくる言葉に、「すみません」と「わかりました」があります。この2つは、個人的に大嫌いな言葉です。
 
「すみません」というのは、実に曖昧な言葉です。日本人のクセとして、「ありがとう」の代わりに「すみません」を使うことがままあります。即刻やめましょう。また、喫茶店とかで注文したりウェイトレスを呼んだりするときに、「すみませ~ん」というのもよくあります。やめましょう。ともすれば謝罪を意味する「すみません」は、それを発した側も耳にしたほうも、なにかこうネガティブな気持ちになります。お礼を伝える時は「ありがとう」を、何かを頼むときには「お願いしま~す」を使うべきです。そのほうがスマートです。そして、謝罪の気持ちを表すのであれば、「申し訳ありません」で徹底すべきです。

でも、頻繁に問題を起こす部下の「すみません」・「申し訳ありませんでした」は本当に当てにならない。そのひと言で事をうやむやにしてはいけません。具体的に改善させるところまで導くのが上司の仕事です。でないと、時間を費やして叱った意味がありません。触りのいい「申し訳ありません」で逃がさないことです。具体的にどうするのか、畳みかけることが必要です。相手にとっては、かなり厳しい叱り方です。

「同じことを何日か前にも伝えた記憶があるんだけど、忘れちゃった?」
 「あっ、いや。すみませんでした」
 「『すみません』じゃなくてさ、今後キミがどうしようと考えているのか。それを具体的に話してくれないか」
こんな感じです。
 
それから「わかりました」。その場を逃れたい一心で、バカのひとつ覚えのように「わかりました」を繰り返す部下がいます。そりゃあ、さすがに「いいえ、わかりません」とは言えないでしょう。だからこそ、本当にわかったのかどうかを確認しなければ意味がない。簡単に「わかりました」だけで話を終わらせてしまっては何の指導にもなりません。
 
「わかってもらえたかな?」
 「はい。わかりました」
 「OK。じゃあ、何がどうわかったのか、言ってみてくれる?」
 
どうですか? 何度も同じ過ちを繰り返され、しばらくしてまた同じことを蒸し返さなければならない空しさを味わったことはありませんか? 私は何度も経験しました。当時を振り返ると、本当に無駄なことをしていたなぁと悔やまれてなりません。「すみません」・「わかりました」のその場逃れを許さない。もう一歩踏み込んで、部下の意識をきちんと確認したいものです。
 
あるいは、度重なるミスに対する警告であれば、伝えたい主旨を文書化して話し合うことも有効です。事の重大さを認識させるという意味で、これまた効果は抜群です。「もう次はないぞ」というニュアンスを確実に伝えることができるからでしょう。デキる上司は、ここぞという時にはクールにドライに覚悟させる技術を持っていたいものです。

【利行の応用編】

さて、「利行」の応用編をふたつ紹介しておきましょう。ひとつは、「利行」と「布施」のカップリングです。「ほめる」と「叱る」をセットにするとさらに効果が期待できるということなのですが、肝心なのはその言い回しです。「でも」・「しかし」などの逆説表現を使わないのがポイントです。例えばこんなふうに。

「私はね、山田さん。あなたはいつも仕事が丁寧だから本当に安心なんですよね。そんなあなたにさらにスピートが加わったとしたら、これはもう鬼に金棒だろうなっていつも見ていたんですよ。どうでしょう? 次回からはそんな意識を持ってやってみてくれたら、私はとてもうれしく思いますよ」

これまでお伝えしてきたように、やはり主語は一人称にします。そうすることで、言われた側の心にじんわりと滲むように染み込んでいくのです。

「利行」の応用編のもうひとつ。それは、心理学でいうラベリングというものです。部下に何かしらの改善を促したいときに、提案するというよりは、意識してほしいことを先に「あなたはもうできていますよ」と暗示にかけてしまうような使い方です。ほら、居酒屋とかの男性用トイレに書いてありますよね。「いつもトイレをきれいに使っていただいてありがとうございます」って。あれを見て、男性たちは一歩前へ出て用を足すわけですよね。ワンランク上の人心掌握術ですが、とても有効なストロークです。

要は、「こうしてほしい」と提案するのではなく、部下がすでにあなたが望んでいる状態になってしまっていると仮定して先にほめてしまうのです。例えば、仕事は早いのだがケアレスミスが多い部下がいたとしましょう。そして上司であるあなたは、もっとじっくりと丁寧な仕事ぶりを欲しているとします。そのときに、まずこう言ってしまうのです。

「私はね、山田さん。あなたには物事を深くじっくりと考える面があるんだなぁ~って感心して見ていたんですよ」とか、「私は思ってるんですよねぇ。山田さん、あなたはヤル時はヤル人なんだなぁ~って」とか。こう言われた部下は、自然と丁寧な仕事をしようと意識するように変化していくから不思議です。

【叱るのが苦手な上司は行動基準を明文化せよ】

 ちょっと逸れますが、子どもも一緒です。算数が苦手で伸び悩んでいたとしたら、こう言ってあげる。「お父さん思うんだけどさ、健ちゃんって算数のセンス、あるよねぇ。結構すごいと思って見てたんだよね」。これがきっかけになって、子どもが算数に関心を持つようになって、結果、成績も上がっていったというケースはよくあります。

さらにさらに興味深いのは、担任の先生にも応用できる点。例えば、「先生。ウチの子、先日、塾で褒められたんですよ。英文解釈のセンスがすごいって。ハハハハ」なんて親から言われると、担任もその子どもを見る目がちがってきます。少なくとも、問題の解き方を注意深く見てくれるようになったり、意識的に目をかけてくれるようになったりするわけです。子どもにしても、先生から気にかけてもらうことはまんざらでもない。だから、子どもの意識も前向きに変わっていきます。

逆に、親がいくら胸の内では然るべき大人に育ってほしいと願っていても、「いつまでゲームばっかりやってるんだ! 少しは勉強しろっ!」みたいに怒鳴ってしまったとしたらどうでしょうか。子どもだって「うるさいなぁ。死んでも勉強なんかしてやるものか!」と反発するのは当然のことだと思いませんか? 本当は子どもだって勉強の大切さはわかっているし、それなりに成功して幸せになりたいと思っている筈なのに、親のまちがったアプローチによって、両者ともが不幸な結果になってしまいかねません。

いずれにせよ、改めてほしい点や物足りない点があったとしたら、そこをネガティブに責めるのではなく、こうしてみたらどうだろうとポジティブに伝えるように心がけたいものです。そして、時には提案の枠を超えて、先行して褒めてしまうことで洗脳(?)あるいは前向きな錯覚を喚起する。それが「利行」の諭し方の本質なのです。

誰しも自分が認識していない点を褒められたり期待されたりすると、「喜んで!」「細かいところまで見ていてくれるんだな。よし、期待に応えなきゃな」という前向きな意識が芽生えてくるものです。ところが、部下のために善かれと思って伝えたことも、それが説教やお小言のように伝わってしまえば逆効果なのですね。おわかりいただけると思います。

「利行」のさいごに、上司であるあなたが部下たちに求める行動基準を明文化しておくことをお勧めします。小学校の頃、よく教室に貼ってありましたよね。「大きな声であいさつしよう」・「廊下は走らない」・「外で遊んで来たら手を洗おう」・「下校時には机の中を空にしておこう」・「消しゴムのカスは床に落とさない」等々。あれの社会人版です。特に、これだけは絶対にやってはならないという戒めを紙にしておくのがいいと思います。これがあれば、部下に苦言を呈するのが苦手だとしても、かなり指摘しやすくなるはずです。叱られた部下たちの納得感も増すことでしょう。すぐにヤルべきです。

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