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財産分与は親の最後の大仕事 ~『相続』から『想続』へ~

社会福祉士として大勢の方からの相談に応じてきたなかで、財産の承継に係る、私の価値観が定まりました。それは、「死んでから親不在のなかでなされるべきではなく、生きているうちにこそなされるべき」というものです。

一億総恍惚時代と揶揄されるように、これほどまでに認知症が蔓延してくると、あらかじめそなえておかなかった場合には、親名義の全財産は無条件で(法定相続率に則って)均等に分けられることになります。

本当にそれでいいのでしょうか?

親として、すべての子に対する想いは、一律で均等だったのでしょうか?

医療や介護をはじめとする老後サポートを、特定の子が担ってくれていたということはないでしょうか?

子どもたちが成人してから今日までに経済援助してあげた金額に差はなかったでしょうか?

親亡き後のお墓や法事等の祭祀承継者には、その分のコストを上乗せしてあげなくてもいいのでしょうか?

仮に遺言で相続金額に差をつけたとして、兄弟姉妹間に感情的なしこりは生じないでしょうか?

いわゆる争族の様子を天国(あるいは地獄)から眺めているだけで本望なのでしょうか?

こうした諸々の自問自答を経て辿りついた結論が、

親が培ってきた財産は、親の意思で配分を決めて、子どもたちそれぞれに個別に想いを伝えて、贈与税に配慮しながら可能な限り、生きてるうちに(認知症になってしまう前に)渡してしまう

…という価値観で、「相続」ではなく、『想続』といっています。ここ10年変わることなく、これがベストだと考えています。

そもそも『相続』という言葉は仏教用語で、『相(すがた)を続ける』というのが語源です。「親の意思が次の代に受け継がれること」を意味しています。で、親の意思とは「財産をどのように分け与えるか」ということで、要するに、『今ある全財産をつまびらかにして、子どもたちに引き継ぐ』…ということなのです。

法律上、『相続』は親が死亡した時点で発生する行為となっています。その行為の根拠となるのが遺言であり、そこに親の意思を明文化するわけです。遺言がない場合には、遺産分割協議を経て均等割りされるだけの話なので、逆に言えば、子どもたちに均等割りするつもりなのであれば、わざわざ遺言を書く必要はありません。子どもたちの受け取る金額に差をつける場合に限って遺言をしたためればいいという話です。

しかし、です。
いわゆる争族のきっかけは三つに絞られます。

①多くもらえる子に対して、少ししかもらえない子が噛みつく
②いちばん親の面倒をみた子が、何もせずに同額もらう子に噛みつく
③相続権がないにもかかわらずもらえる人に、子どもたちが噛みつく *遺贈

冷静に読み解くと、結局「公平(親への貢献度によって差をつける)」にしろ「平等(一律、均等割り)」にしろ、だれかがネガティブ感情を抱くということがわかります。そして、財産の分け方を決めた当の本人が不在の中で、子どもたちが「ああでもない、こうでもない」といがみあうわけです。

これって、親としてはイヤじゃないですか? なぜそうしたのかを自分の口で説明して、子どもたちが丸くおさまるようにしたくありませんか?

こういうことを言うと、法律家たちは「だったら遺言に付言事項(遺言書に別添する手紙)を添えておけばインでね?」となるわけですが、子を持つ親の立場としては、『アタマがしっかりしているうちに、子どもたち一人ひとりに謝罪と感謝の想いを伝えた上で、査定額を伝えて、その上でエンディングまでの支援を依頼して、できるだけおカネを先渡ししていく』のが理想ではないでしょうか?

なぜなら、財産の分け方についていかなる考えを持っていたとしても、遺言というのは相続権を持っているすべての人の前で開封され、誰がいくらもらえるのかがあけっぴろげになってしまうため、何を書き残したところで必ず不穏分子が出てくるわけです。これ、遺言の最大のデメリットです。まぁ、それ以前に、認知症になってしまったら遺言も書けませんが…。

そういう意味では、企業の人事評価と同様のオペレーションが理想だと思うのです。子どもたちそれぞれの査定内容が、他の子には漏れないようにする。これが複数の子どもを持つ親が執り行うべき最後の大仕事だと思っています。

おカネを先に渡してしまう理由ですが、親の老後をサポートする子どもの側にしてみると、数年か十数年かはともかく、「キミには将来これだけのおカネをあげるから、とりあえず身の回りの世話をよろしくね」と言われても、仕事や家庭のことで忙殺されてる状況では、覚悟が定まらないからです。 老親サポートに真摯に向き合えないと思うんですよねぇ。でも、おカネを先にもらえるのであればモチベーションが上がりますから、親の側としても老い先を託したい子どものサポートを手堅くゲットできることになります。

財産分与についての私のこうした価値観である『想続』には、概ね7割の後期高齢世代が賛同してくれています。決して強要するような話ではありませんが、どうしても、「親の意思を遺言にしたためて、死ぬまでの長きにわたってそれを隠しておく」…というやり方には違和感を覚えるのです。

判断能力が損なわれてしまう前に、子どもたちそれぞれとキチンと向き合い、自分の想いを伝えて、ギブ・アンド・テイクで(おカネを渡して)老後の支援を頼む…。

親側も子ども側も、このほうがまちがいなくハッピーだと思うのですが、読者のみなさんはどう思われますか?

ちなみに、現役世代に訊いてみても、8割以上の人が、「役務を提供し続けて5年後に1,000万円もらうよりも、先に500万円わたされて役務を提供するほうがよっぽどうれしい」と言っています。

そりゃ当然ですよね。
口約束は空手形。ハッピーエンディングを望むなら前払いが鉄則です。

作業ばかり頼んでやらせておいて、挙句の果てに均等割りなんてことになれば、お墓参りのたびに恨みつらみをこぼされるのはほぼ確定です。

老後支援を頼むなら、賢い親は前払い』…です。


ということで、私どもの事務所では、財産承継に係る相談を受けた場合には、こんな価値観で対応するのが基本方針となっています。


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