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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】認知症介護の迷宮(10)

義母の入院から3ヶ月半が経過していた。悠子と神崎は、入院病棟の面談室で相談員と向き合っている。神崎が切り出した。

「かなりの数の物件を見て回ったのですが、なかなか予算内で収まるところが見つからない状況です。南九州とか北陸のほうですと、だいぶリーズナブルな物件があるのですが…」

相談員いわく、
「ご予算はどれくらいを想定されているんですか?」

打ち合わせ通りに悠子が口を開く。

「お恥ずかしいんですが…月額12万円くらいでと思ってるんです」
「そうですかぁ…」

沈黙。

相談員も、予期せぬ低い予算に驚いているのかもしれない。しかし、これこそが、神崎の描いたシナリオなのだった。

「なかなか、その金額ですと、やはり都内でというのはむずかしいかもしれないですねぇ。こちらの病院でもご紹介できる施設があるのですが、どうしても月額20万円はくだらないという感じでして…」

ここで神崎が恐縮したような面持ちで口を開いた。

「ご相談なのですが…。これまでいろいろと調べたり、現地を見学したりとかなりやってきて、ある程度ローカルの物件で決めざるを得ないという認識をしているんです。ただ、親戚とかとの関係もありまして…。物件探しと同時に、理解や協力を得るためにいろいろと調整する必要もあるんですよね」
「それはそうでしょうねぇ」

相談員がこちらを気遣い、気の毒そうにうなづいた。

「そこでなんですが…。例えば、最終的に物件を確定するまでの間、何と言いましたっけ、入院患者さんが自宅復帰するまでの中間施設で…」
「ああ、老健…ですね」
「ああ、そうでした。その老健とかにあと一・二ヶ月、お世話になるという方法は取れないものでしょうかねぇ?」
「老健はおっしゃるように、自宅に限らず、次の住まいに移るための中間施設です。なので、数か月後には出ていただくという前提でのご紹介になってしまうんですよねぇ」
「はい。当然そうだと思います。あくまでも早期に行き先を探すというのが大前提です。その上で、ご紹介いただける老健があれば、私たちも大変助かるのですが…」

悠子は、うつむきながら、ふたりのやりとりをじっと聞いていた。すると、相談員はしばし考えるような素振りをした後、こう言った。

「そういうことであれば、私どもが患者さんを紹介している老健が何か所かありますので、空き状況を問い合わせてみましょう」

相談員の言葉に耳を傾けながら、悠子は思った。

「ああ。結局また、神崎さんが言ってた通りになったんだわ」

こうして、義母を入院させてからちょうど5ヶ月後、入院先の病院からの紹介という形で、東京郊外にある老健に義母を移した。この頃になると義母もかなりおとなしくなり、かつてのように感情を露わにすることもなくなっていた。それだけ心身が衰弱したということなのかもしれないが、悠子としては、やはりこうなったことから得る安堵感のほうがまさっていた。

歳月は流れ、義母の老健での生活は、もうじき丸3年を迎えようとしている。認知症病棟の入院期間は原則2ヶ月。例外があっても3ヶ月が限度。入院時点でそう告げられていたにもかかわらず、それよりも丸々2ヵ月も長く入院させておくことができた。

そして今度は、費用的かつサービス品質的に納得感の低いグループホームや老人ホームではなく、医療・看護もそろっている老人保健施設へと転院することができたのだ。並行して手続きをしておいたおかげで、毎月の支払いは9万円を切る。しかも、医療費と介護費の自己負担額の限度額を超えた分が2万円程度返還されるため、実質的には月額7万円で済む計算だ。

退院はおろか、次の行き先についてたずねられたこともない。現に、かなりの患者さんたちがこの老健、もしくは隣接する病院で最期を迎えるという話を職員が教えてくれた。だとすれば、和彦と悠子は、すべて神崎が提案してくれたシナリオのまま、義母のエンディングを迎えることになるのだろう。

なにも神崎が、医者や相談員たちに嘘偽りを言ったということはただの一度としてない。純粋に悠子と和彦の要望を汲み取って、横に居てそれを伝えてくれただけだ。しかし、もしも、神崎のような存在と出会えない人たちは、悠子たちのように視界が開けるということはなかなかないのではないか。やはり、医療や福祉の世界で、本当に欲しい情報やサービスを確保するには、それ相応のお作法が必要なのだなと、悠子は思うのだった。

悠子にとって、あの苦しかった半年間は忘れられない時間である。自分の置かれた状況に絶望を感じ、藁をもすがるような想いで電話をかけたとき、こんな日を迎えられるとは想像もしなかった。しかも、こんなに早く。こむずかしい理屈をこねることもなく、とにかく目の前で起こっている問題を解消してくれたという意味で、神崎は悠子にとって救世主なのだった。
 
悠子は、今でもときどき、神崎が最後に話してくれた言葉を思い出す。

「今回のご経験は、きっと20年後くらいに生きてくると思いますよ。それはおふたりのお子さんたちにとっても、きっと望ましいことのはずです」

神崎の笑顔と声を思い出しながら、悠子は遠くを見るように、フーッとひとつ、大きく息をついた。

(完)

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