あの膨らまないホットケーキに名前はあったのだろうか。
朝の家事がひと段落してコーヒーを飲んでいると、二階から大きな物音がする。
随分大きなネズミだな、なんて考えていると、主人が出勤の支度を終えて降りてきた。何かを床に落としたらしい。
彼はネズミ年だから、あながち間違いでもないか。
秋らしくなったと思えば急に暑くなったり、深まったんだか何だかよくわからない秋だが、それでも読書の秋。
よく椎名誠さんの本を読む。父の影響が大きく、昔から何冊も椎名さんの著書が家にあったのだ。
父はアウトドア好きで焚火が好きだ。
好きな事をとことん追求する姿に憧れもあったんではなかろうか。
椎名さんの本の中で、貧乏学生時代の話がよく出てくる。
何人かでルームシェアする下宿先で、玉ねぎは無くてはならない存在。
ネットに入れて吊るしたそれは、僕たちのシャンデリアだった、という台詞が印象深い。
自分の人生の中で食うに困るような貧困の記憶はあまりないのだが、
祖母がよくおやつを作ってくれた。
ある時はホットケーキに似たものだった。
それは小麦粉を牛乳で溶いて砂糖を少し混ぜ、フライパンで焼く。
ベーキングパウダーなんてものは家に無いので、もちろん膨らまない。
育った所は結構な田舎で、ちょっと足りない材料をスーパーまで買いに行く、なんてことは難しかった。
近所にあるのは雑貨店の「おかだや」のみ。
ここには塩や少しの市販のお菓子、菓子パン、農作業用品などがおいてある。
販売のメインは大きな冷蔵ケースに入った酒類とカウンターの向こうにずらりと並んだ煙草だ。
製菓材料なんぞあるわけがない。
祖母が作ってくれた膨らまないホットケーキのようなものに、これまた祖母手製のジャムやあんこを塗っておやつにする。
バターの香りもしない。
しかし祖母と焼きながら食べるそのおやつは、確かに美味しかった。
椎名さんの本を読むと、
忘れていた昔の懐かしい物事をこうやって思い出したりする。