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レスキューヘルパー、最終回

前回までにあらすじ

イミグレーションから出国許可が出てからというもの、「一刻も早く帰国して治療を受けるべき」と主張する我々レスキューヘルパー側と、

「帰国する前にフィリピンでやり残したことを終わらせる」と主張する当人との間に、微妙な対立がありました。結果、帰国がずるずると延びてしまったのです。

しかし、「ずるずると、いたずらに帰国が遠ざかっている」というのは、あくまでもこちら側の視点であり、当人は、「着実に帰国の準備が整ってきている」となっていたようです。

驚くべきことに、毎週会うたびに病状が悪化しているかというと、そうでもなく、逆にちょっとずつ良くなっているとすら思えてきました。

根本的な治療もせず、薬も飲まず、十分なケアの環境が整っていない中で(ベッドから立ち上がれない一人暮らし)、あえて帰国を選択せずに、あの環境に踏みとどまる当人の精神力に、私は密かに驚愕していました。


人の価値観は多様である。

外国人ケアワーカーが、一番最初に学ぶ「尊厳を支える介護」の中の一節です。

われわれ介護士は、「日常生活支援」が仕事です。その人の日常生活とは、その人の価値観や過去の経験、そして、こだわりなどから形成されていきます。自分の日常生活をどうしたいのかを決めるのは、介護士ではなく、本人なのです。

であるのならば、介護士として、治療を最優先とする「我々の意向」は端(はじ)に置いておき、本人が納得するまで「準備が整うのを待つこと」を支援しなくてはなりません。それがプロの介護士の仕事であり、そうやって自分を納得させました。すると、別の局面が見えてきました。

確かに、レスキューヘルパーである、われわれのゴールは、「当人を無事に出国させること」ですが、当人の生活は、その後も続きます。私に欠けていたのは、「その後」の視点です。

結局、介護士というのは、「その人の人生の局所的な部分しか見えていない」ということを忘れてはいけません。当人にとっては、治療よりも大切な何かがあるのでしょう。私の常識の範疇で判断せず、そう受け止めました。

さて、帰国が1カ月も延びましたが、ようやく当人の準備が整い、無事に出国を見届けることが出来ました。

帰国の朝に、わざわざお医者さんが来てくれました。糖尿病で腫れあがった両足を、包帯でぐるぐる巻きにしてくれました。ただそれだけの治療のために、スタッフを5-6人も連れてきて、処置が終わると笑顔で写真を撮って去っていきました。ツッコみどころ満載の医療行為です。


この一件を例にとっても、自分の常識の範疇で物事を決めつけてはいけないと、自分に諭します。たくさん人が来てくれた方が、にぎやかでいいじゃないですか!

人の価値観とは多様です。そして、その人の価値観を尊重して日常生活を支援するのが、プロの介護士の仕事なのです。

約2か月に及ぶレスキューヘルパーの任務は、これにて終了です。なんだかんだで私自身、けっこう楽しんでいたので、やっぱり介護の仕事が好きなんだと思いました。

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