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レスキューヘルパー、エピローグ 

「助ける」よりも「助けられる」方が、難しい。つまり、より人間力が問われるということです。

レスキューヘルパーの活動を通して、常に自分に問いかけていたことがあります。もし自分に介護が必要になった時、「助けて」と頼めるかどうか、です。

日本は成熟した国です。誰かに「助けて」とお願いしなくても、ある程度は国が助けてくれます。しかし、ひとたび海外に出たら、自己責任で生きていかなくてはいけません。

最終的には、自分で選んで海を渡ったのだから当然と言えば当然です。海外に出た日本人まで、国はサポートしきれないでしょう。少子高齢社会真っただ中の日本において、そんな余裕はないはずです。

元気でいるうちは、あまり意識できないことですが、もし自分が明日、事故に遭ったり、病気になったりして、介護が必要になったとします。

その時、私は誰に助けを求めるのでしょうか。

そもそも、「助けて」と誰かにお願いできるのでしょうか。常に、自分に問いかけていました。

今回、我々レスキューヘルパーは、一度たりとも当人から「助けて」とお願いされたことはありません。我々が勝手にスケジュールを立てて、勝手に訪問して、勝手に必要だと思う介護をして帰っていったのです。


レスキューヘルパー初日の大掃除

もちろん、毎回、当人から最大限の感謝のお気持ちはいただきました。しかし、「助けて」とは言われませんでした。

当人の気持ちは非常によくわかります。その言葉を発してしまうと、我々レスキューヘルパーに、心理的な負担を掛けてしまうからです。だから言えない。

私は、介護をしていてつくづく思いました。「助ける」のって簡単だな、と。人から感謝されるし、喜ばれるし、自己肯定感もうなぎ上りです。

一方で、「助けられる」のは本当に難しい。何かしらの見返りを提供できる余裕があれば別かもしれませんが、それがなかった時、果たして自分はどうなるのでしょうか。

日本人は、「助ける」ことに関しては大学生レベルですが、「助けられる」ことに関しては小学生以下である

これに近い台詞を何かの動画で見ました。まさに言いえて妙だと思いました。

社会保障が脆弱な分、家族や地域社会での助け合いが日常に浸透しているフィリピンと比較すると、この格言の意味が際立ってきます。


フィリピンの介護クラス

フィリピン人は、助けてもらうのが本当に上手です。普段から助け合っているからなのでしょうか。そのレベルは、大学を飛び越えて、博士課程級だと思います。私は、ひそかにフィリピン人から、「助けてもらう」スキルを研究しています。

人口減少フェーズに入った日本は、誰かを「助ける」だけではなく、誰かに「助けられる」訓練が必要だと感じています。

さて、先日レスキューヘルパーチームで集まって、授与式を行いました。「Good Helper」というタイトルの賞状を作って、チームの二人に贈呈したのです。

ドライバーの彼は、今回の機会がきっかけで、日本で介護士を目指すようです。このノリの良さがフィリピン人のいいところです。


日本で介護士を目指すドライバー

任務完了に伴い、レスキューヘルパーは解散します。しかし、将来、もし私に介護が必要になった時には、彼らに「Help me」と頼むことができるでしょう。逆に、彼らが介護を必要とする時が来たら、私も全力で助けます。

結局、「助けて」と言えるようになるためには、どれだけ人を「助ける」ことができるかが問われるのではないでしょうか。

私に深い示唆を与えてくれたレスキューヘルパーの機会と、当人に、感謝します。


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