40過ぎのある現実#10

こんばんは、ジャッコです。

11月に入り、寒くなってきましたね…冬が嫌いな自分は、来年の3月頃までの季節が早く来ないかと待ち遠しいです。

相変わらずアルバイトを掛け持ちしながらの就活の日々です。

そして、軽度ではありますがうつ病で不眠症も患っておりますので、欠かさず通院しております。毎日の投薬も忘れておりません。

今回はそんな軽度なうつ病になってしまった経緯を少し詳しく書いていこうと思います。

<初めてのうつ病>

実は現在2度目なんです。1度目は某飲食店に勤めていた時になりました。と言うのも、兄が重度のうつ病になり、仕事をしながら、なんやかんや世話をしていて、こちらもうつになりました…

うつ病の人との付き合いというのは大変で、その人の発言を聞き入れて、肯定しても否定してもダメで難しい人付き合いとなってしまいます。

そして、某飲食店での働き方もプラス要素になり、自分もうつ病になりました。一緒に勤めていた人が「ジャッコさん、トレー拭いてた時、目がめちゃくちゃ死んでましたよ」と言われたのは今でも覚えています。

恐らくその日は死んだ目をしながら仕事をして、仕事を無事に終え帰宅した時でした。電車の乗り換えで階段を下っていた時に転んでしまい、右足首から足の甲までの痛みが走り歩けない程に痛みが出ていました。

乗り換える電車も最終でしたので、帰宅は諦めました。とりあえず、足の痛みが治まったら近くの漫画喫茶かビジネスホテルにでも泊まって、明日の仕事に備えようと考えていたのですが…

「めっちゃ痛いし、歩けない!!」

そんな状態だったので、階段の踊り場でうずくまってた時に、階段のシャッターを閉めに来た管理会社の人でしょうか?(警備服ではなかったです)が、2人程自分の場所にきて「大丈夫ですか?」と、心配しに近付いてきました。

「階段から転んで足首を痛めてしまいまして…」と答えたら、見せてくださいと言われ、靴を脱ごうとしたのですが、脱げませんでした。

パンパンに腫れあがっているのが言われるまで気付かず、頑張って何とか脱ぎました。そんな足を見た管理会社の人がすぐさま救急車を呼び、搬送されました。

救急車が到着して、寝た状態で搬送されました。救急車の中で状況を説明して携帯電話で店長に連絡。その後、救急車で運ばれるのですが、請け負ってくれる病院が無く、何件か当たってやっと見つかったのが当時、飯田橋にあった警察病院でした。余談ですが、現在は中野の警察官の寮だった場所にあります。

実は靴を履きなおしておりました。履いた時も頑張って履きなおし、救急車に乗り込みました。病院について、再度靴を脱ぐ事になるのですが、自分と看護師さん2人で5分くらいかけて頑張って脱ぎました。ついでに今回は靴下も。

幸いにも宿直担当医が整形外科担当の人で、医者が足を見てびっくり!

「どんな転び方したらこんなに足が腫れるの!とりあえず、レントゲン撮ろう!」

自分だって分かりません、滑って転んだだけです…最終電車へ急いでいたので必死で階段を下っていたのだけは事実です。

レントゲンを撮った後、右足小指と薬指が骨折してました。他の結果が分からないので、とりあえず病棟が空いてるかどうかを確認後、空いていた病棟に運ばれ、そこで1日だけ過ごすんだろうなぁ…なんて思ってました。

夜中、痛みがひどく迷わずナースコールをしました。鎮痛剤を打ってもらい、何とか治まり朝まで寝ました。

朝、起きたら夜中にお世話になった先生が自分の所に来て、応急処置を始めました。これが今までの人生一番辛かった痛みでした。

腫れた足に内出血した血がいちごジャムみたいな塊であったそうで、それの抜き取り作業でした。

右足の甲にメスを入れました。実際に見てないのですが、メスが入ったのがまるわかりで、まずここでかなりの痛みを感じました。

その後、中に溜まった血の抜き出し作業。これがメスが入った時よりも痛く、周りにいる人への迷惑なんて関係なく本気で「いったっっい!!うおおおお!!いたい!!」と叫びまくってました。痛い足をねじったり、押したりだのしてたので、本気と書いてマジと呼ぶくらい痛い思いをしました。

その時は女性看護師さん2人が、それぞれ自分の右手と左手を握ってくださり、「頑張って!ジャッコさん、頑張って!!」と必死に応援してくださいました。本当にこちらの気持ちに寄り添ってくれて感謝しております。お陰で何とか耐える事が出来ました!

そこで、右足首じん帯損傷との診断となり、しばらく入院生活が始まりました。

この様子を、後日談で当時立ち会ってくださった看護師さんが教えてくれましたが、麻酔は打ったそうなんです。確かに、応急処置前に足に注射を打たれたのはわかりましたが、麻酔だったとは考えられなかったです。全く効果無しでした…

だからと言って、医者が下手とかミスではなく、自分の足の状況が想像を絶する物だったそうなので、上手く患部に麻酔が届かなかったなどの要因もあると思いますし、仕方ない事だと思ってます。

応急処置が終わった後、携帯電話で実家に電話しようとしたのですが、バッテリー切れ。かつ、施設も古い為、携帯電話禁止なので、車椅子を用意してくださり、それを利用して公衆電話から実家へ連絡しました。


さて、自分の大怪我の話になって、うつ病関係がないじゃないか!と、感じてる人も多いと思います。

実はこの入院生活で、うつ病とおさらば出来ました。

まずは実家の両親、勤めていた店の店長(業務上仕方なく)、当時学生だった弟(遠路はるばる実家方面にある学生なのですが会いに来てくれました)、兄と兄が当時付き合っていた彼女以外の人との面談をしなかったです。ぶっちゃけ、兄には会いたくなかったです。うつ病を引っ張りながら彼女連れて何してんの?って感じでしたからね…それに、態度も渋々会いに来たって態度でしたし。

自分の会いたい相手(若干名除く)とだけで、済ませられたのが当時の自分の精神的にも合っていました。

携帯電話のバッテリーが切れていたので確認が取れなかったので、店の状況を知りたくて公衆電話で確認の電話を入れた時、バイトの女子が「お見舞いに行きたいですぅ~」と言ってきたのですが、冷たくお断りしました。向こう側から嫌われているの肌ひしひしと感じていましたし、本気でそんな風に思ってるなんて微塵も感じませんでした。それに、会っても話す事も何もなかったですし…

そして、生活リズムが整いました。朝起きて、夜に寝る。この習慣がついたのと、自分だけの時間が持てあます程の余裕が出来たのがうつ病から脱せられました。

ただ、足の痛みは凄かったですけどね…

手術もしました。手術前は右足の膝までギプスをしてしばらく生活を送り、松葉杖での生活です。

手術後は痛みはありましたが、リハビリを頑張ってました。松葉杖を使った階段の上り降りの練習から始まり、自力で右足が動かせるように足だけでタオルをまとめたり、歩いたり、その他もろもろ色々とやりました。

それでも痛みは全く消えず、これと一生付き合いながら生活か…なんて思ってましたが、そうでも無かったです。それは後ほど記載します。

様態が落ち着いた時に一時帰宅し、携帯電話のバッテリーと、GBA(ゲームボーイアドバンス)、フィギュア(ケロロ軍曹がFAガンダムみたいな恰好している物)を1つ持って行き、とりあえず隠れながら携帯電話でネットサーフィンをしてました。auのWINを使っていたのでネット接続は定額です。

近くに本屋も当時あったので、定期購読していた雑誌もそこで購入してました。自宅付近に本屋が当時あって、そこで定期購読していたのですが、入院している旨を伝え、一時中断し、退院後にその本屋さんで定期購読を再開しました。外出するには届け出が必要なので、しっかりと提出して購入しにいきましたよ。病院のすぐそこだったんですがね…

入院中にGBAでスーパーマリオ2をワープ有りと無し、意地悪なワープももちろんやり込みの全面クリアしたり、晴れた日は屋上に行ってぼーっとしてたりなど、何もしない?とまでは言いませんが、怪我と言うリスクは負ってる物の開放的になり、心と体が(大怪我はしているけど)本当にリフレッシュされた入院生活でした。

当時はコミュ障的な自分だったので、入院生活で知らぬ間にうつ病を解消できました。本当に貴重な時間を過ごせた自分だけの時間だったので、嬉しく思います。

退院後、経過様子の為にしばらく休職していたのですが、人手が足りないとの事で、最低2か月は休みたかったのですが、無理やり説得されて渋々現場へ戻る事に。

現場復帰しても、短時間の勤務で無理なく仕事をやっていた感じです。

因みに、この入院は労災が降りて、その労災証明の為の診断書の3000円のみで済みました。

そして、血抜きしたメスの後は右足の甲に残ってます。

<足の痛みが治まる>

仕事復帰しても痛みは続き、完治はしてない様子で、足がどうしても痛くて定期的に通院してました。何度も再手術の話が上がっていました。癒着などの懸念もあり、レントゲンをとったりなどしました。でも、特に問題もありません。不思議な状態が続きました。労災なので、病院側も利益が出ないと判断したのか、更に詳しい症状を調べる事もせず、毎回点滴だけで終わってました。

自分もその頃に飲食業を辞め、IT企業へ入社。デスクワークが多くなりました。

歩くことが少なくなったので、悪化して行くのかなぁと不安に感じてましたが、椅子に座っていた時間が長いのが功を奏したのか逆に良くなり、普通に歩けるようになりました。

定期診断の時にスーツ姿で病院に行ったとき、その姿に担当医がびっくりして「転職しました!」と言いました。そして、「痛みがなぜか消えて、普通に歩けるようになりました!」と伝えて、怪我の治療が終わりました。

それでも、また痛み出したりしたら、すぐに病院に来てくださいと言われましたが、問題もなく、現在は普通に生活しております。

お陰で普通に生活出来てますし、その後の仕事にも支障なく、かつ、今の立ち仕事の飲食業掛け持ち2件も問題なくやっております。


<2度目のうつ病>

現在の軽度のうつ病です。

1度目よりもひどくなく、本当にちょっとしたストレスからの発症でした。

このご時世に例の感染症ではなくただの風邪…不思議に思ってました。

過去にも書きましたが、以前働いていたステーキ屋の働き方や、数年経っても正社員になれない気持ちが自分のメンタルがやられたと考えてます。

現在は「軽度のうつ病で薬が無いと寝れないけど、とりあえず朝起きて、夜は寝る」の生活を今年の夏から徹底してます。

お陰で薬には頼ってますが、健康的な生活を送れています。

バイトも穴を空ける事無く(定食屋の最初の方で風邪とぎっくり腰で迷惑かけましたが…)バイトを続けてる状態です。

以前も書きましたが、何がきっかけで自分のメンタルがやられるか分かりません。過去にも書きまして、繰り返しになりますが、自分の場合は就活もありますし、バイトもやっています。

バイト環境も今の所、問題も無くやっております。

就活も今月、数社面接が決まり、内定はもらえるかどうか、もしくは二次面談までいけるか、内定がもらえるかまでは分かりません。「でも、やるんだよ!©スチャダラパー」という状態です。

しばらくの間はうつ病と不眠症と付き合いながら、バイトと就活、後はITパスポート取得(これ書くのを完全に忘れてました)に向けて頑張ります!

バイトの関係上、ITパスポート取得は12月になりそうです。頑張ります。


無駄な前置きなどで、変に長文なりましたが…

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

この辺で失礼します。

超余談:自分を担当してくださった先生は現在は警察病院から離れ、違う病院に勤務されてるそうです。名前がとても独特でしたので、覚えてたので調べてみました。先生の益々のご活躍を心からお祈りしております。そして、今年の2月、中野に移転した警察病院に実はお世話になっております…現在のうつ病ではありません。それは気が向いたら書こうと思います。


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