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マクロンがもたらした危機と教訓

 アルジャジーラ(アラビア語チャンネル)は、31日、マクロン大統領との独占インタビューを番組 لقاء خاص (特別インタビュー)で50分間にわたりノーカットで放送した。世界の要人の生の声を伝えるこの番組スタイルは創立以来20年以上変わっていない。世の中で起きている事情を間接的にしか伝えない我が国メディアと比して、「事実を直接伝える」だけでなく、「事実を作り出す」重要性を同局が有していることを再認識した。(※このインタビューが放送されることで、新たに国際的な波紋が広がる。そのことを期待すればこそ、要人はインタビューに応じる。)

 マクロン氏が先月初頭以来、対イスラム世界に対して物議を醸す発言をし、それがシャルリー・エブド誌による預言者ムハンマドの風刺画再掲載の問題と融合して大問題を起こしていることについては、拙稿で同大統領の「不見識」として紹介した。→【地球コラム】「イスラム恐怖症」を扇動するマクロン政権の不見識(jiji.com)

 本日、このインタビューを視聴して改めて気づいた点をメモしておきたい。

 今次の危機は、同大統領の舌が引き起こしたものであって、対応を誤らなければ何人かの命が奪われることはなかったのではないか、と思っていたが、やはり、この人の対応は危機管理の観点から明らかに稚拙であるとの感を強めた。世俗主義を重んじ、万人が平和裏に共生する国を守るという理想は結構なものだが、一方で、その論理を理解しない社会、人口の方が世界の多数派であるという現実を理解せず、あるいは理解しても何らかの理由でそれを無視し、その主張を普通にすればどれほど大きな代償を支払わなければならないのか、という点についての意識の欠如を言葉の端々に感じる。

 ENA出身の「エリート」は鼻もちならぬ、という話は耳にタコができるほど聞かされているが、典型的なお坊ちゃん植民地主義者という私の従前からの評価を更に強化することとなった。

発言のテキストに即してポイントを述べる。

1.冒頭から、ライシテ(世俗性)を守ることが自分の任務、と強調
 ライシテは難解だが、「それは信仰する自由であり、同時に信仰しない自由を意味する。このことにより、フランスは、どのような宗教に属する国民であれ全く同じ政治的、市民的権利を享受できる国となることができる」と述べて、それゆえに、風刺画を描く国民の自由を侵害することはできないのだ、という論理を何度も繰り返した。そのうえで、「だからと言って、すべての風刺画を私が支持しているということにはならない」と逃げを打ち、せっかくの会見にも拘わらず、イスラム教徒に喧嘩を売り続けた。

 すなわち、「素晴らしい共和国の理念を理解せよ。わからないお前たちが悪い」、という態度である。

2.テロ犠牲者の大半はイスラム教徒自身、との詭弁
 300人以上のテロ犠牲者を出しているフランスにおいて過激主義対策が至上命題であることを強調したのはよいのだが、仏政府が血道を上げている国内のイスラム過激派封じ込め対策が、過激主義者と穏健なイスラムを分けて考えていることを説明。そして、世界のテロ犠牲者の8割はイスラム教徒、というどこから持ち出したかわからない数字を挙げて10月2日の「イスラムは危機に瀕している」発言を正当化。イスラム教徒もフランス政府もともに暴力的過激主義者と闘わなければならない、ということをイスラム教徒に説得できたと考えている。この論理には、一部のイスラム教徒は納得するのであるが、風刺画の存在と、それについての彼自身の発言、態度がともに戦うべきイスラム教徒全般の感情を著しく害していることへの認識と反省が感じられない。

3.サウジアラビアを暗に批判
 
おそらく口が滑ったのだと思うが、フランスには報道の自由がある、と賛美する過程で、「ボイコットをしている国の多くには、報道の自由がない。預言者だけでなく、誰の風刺画も描けない。ときには、彼らは外国の指導者を風刺する。自国の指導者を風刺した漫画家の腕はへし折られてしまったからだ。ジャーナリストは殺害されたり、牢屋に入れられている」と述べた。これは、仏の過激主義との闘いに共闘を表明しているサウジアラビアを一遍に興ざめにさせる禁句であった。(トルコも意識したのだろうが。)

4.イスラモフォビア(恐怖症)を煽ったのか
 
マクロン大統領が支持率回復を狙って敢えて「イスラム恐怖症」を煽ったとの見方は、筆者が発明したわけでなく、世界的な論調だ。インタビューでは、「曲解された」「誤解がひどい」などと繰り返し火消しに熱心であったが、そこまではっきりと説明できるのであれば、なぜ初めからそう言わなかったか?と却って疑惑は膨らんだ。「イスラム教徒のフランス人」と「国民」を分けて考えていて、後者の感情を高ぶらせて強い大統領、共和国の世俗原則を堅持する大統領、といったイメージを強調したい意図が垣間見られた。

「危機と教訓」

 このように、シャルリー・エブドが創立50周年を迎えて新たな問題を起こすことが予見されていたにも拘わらず、現代言葉でKY(空気読めない)な大統領の拙い対応が、これほどの危機を招いたものである。世界は様々な民族と価値観から成っており、仏の世俗主義だけが至高の価値、といったドグマを世界に強制することはできない。

 またこの事態が明らかにしたもう一つのことは何か?それはいみじくも上記のマクロン氏のサウジアラビアに関すると思われる失言にみられるように、先進民主主義国家における暴力的過激主義との闘いは、現状、中東の専制国家群との共闘を余儀なくされているという大いなる矛盾だ。暴力的過激主義撲滅のためには、まず中東の民主化を図ることが先決なのではないか?それとも、撲滅のためにはあらゆる立場の人が妥協し、協力しなければならないのだから、そのことは置いておいて協力していくのか、という疑問が生じる。イスラム教国家の側はとても心の準備が整っているとは言えないのだ。取締りの際に人権蹂躙が起きても目を瞑るのか?宗教的感情を傷つけることがあってもそれは耐え忍ばなければならないのか?という問いに答えを出していかねばならない。

 教会で祈っていた敬虔な老女の首を掻き切るなどという凄惨な事件を防ぐためには人智を尽くしてCVE(暴力的過激主義対策)を進めなければならない。そのことで国際社会は一致しているにも拘わらず、今回の事件はその時計の針を10年以上戻した感がある。(了)

※表紙写真はアルジャジーラが放送した映像を撮影したものです。転載できません。

以下有料設定としていましたが、2年が経過しましたので無償公開します。

 この記事を書くために、インタビュー(全50分)のうち関心ある部分のみを訳出しました(文字数3,666字)。それは、アラビア語吹替を聞き取って和訳したもので、厳密な意味ではマクロン氏の言葉と少し違う点があるかもしれません。しかし、アラビア語翻訳歴35年の小職が何事も漏らさず、何事も付け加えず、誠実に訳したことを証します。

 これは、記事読者の参考のために供するものであり、インタビューそのものの版権はアルジャジーラに属し、翻訳テキストの著作権は小職に属します。出典(上記)を明記して引用することは可能ですが、そのまま転載することを禁じます。

マクロン大統領インタビュー日本語書下し

(記者)深刻なテロ事件が相次いだ。イスラム世界、イスラム教徒に対しておっしゃりたいことは?

・・・国際社会でも多くの誤解のためにフランスが攻撃されています。だから、貴局との会見でこれを取り除きたい。なぜなら、貴局関係を含むSNS等で多くの誤解が流されています。それを取り除きたいのです。

 その前に、フランスのカトリック教徒に対してひとこと述べさせてください。昨日彼らを大きく傷つける事件がありましたので。彼らに対する支持と共和国の保護を伝えたいと思います。ちょうど、ローマ教皇猊下と電話でこのことを話していたところです。

 そしてフランスが信教の自由を堅持しているということを申し上げます。それは「ライシテ(世俗性)」ですが、言葉が非常に難解なために、多くの誤解があります。きょうは、それを解きたいのです。それは信仰する自由であり、同時に信仰しない自由を意味します。このことにより、フランスは、どのような宗教に属する国民であれ全く同じ政治的、市民的権利を享受できる国となることができるのです。どんな宗教の人もすべての宗教のひとが住む一つの社会の一員となれる。これは重要なことです。国家はすべての人に権利を保障しなければなりません。私が申し上げたいことは、このところ皆さんが聞いていることとは真逆のことです。すなわち、我が国は世界のいかなる宗教とも問題を抱えていません。すべての宗教行為は、我が国において自由に行うことができます。フランス人のイスラム教徒は、他の国のイスラム教徒と同じです。

(記者)あなたはパティ氏の葬儀で「他の者が後退しようとも、私は風刺画をあきらめない」と述べて物議を醸しています。表現の自由についておっしゃったと思いますが、イスラム教徒への一種の挑戦、ないしはイスラム教徒の感情を考慮していないと批判されています。

・・・多くの報道機関で間違った引用がされました。アラビア語のSNSでは「預言者を中傷する漫画を支持する」と私が言ったと言う風に曲解されて話が出回っています。そんなことは全く言っていません。第一に、風刺画というものは、イスラム教徒の人たちに私の言うことをよく聞いてもらいたいのですが、すべての宗教に関係しているのでです。特定の風刺画が個別の宗教を攻撃しているということはありません。またそれはすべての指導者にも関係しているのです。第二に、私は、「その権利を守ることが私の役割である」と述べました。社会がすべての人の権利を尊重しなければなりません。大統領である私が、これはOK、これはダメ、という風に決めつけることはできないのです。そうすれば、この国に私が特定の道徳的価値、宗教的価値を設定することになります。そして「それは書いてはならない、その絵はダメ」、ということになります。そのような意見が衝突すると、自由の範囲は次第に狭まり、人々は話ができなくなってしまいます。これが集団で生活する人間の難しさであり、また、多様性の時代の要請であり、私達が共有する価値なのです。私達は隣り合って生活しているだけではありません。ときには、お互いに敬意を払った上で意見を言い合うことがあります。またときには皮肉を言い合うこともあるでしょう。どのような宗教であれ、哲学であれ、です。しかしそれはお互いを尊重し、平和的な環境の下に行われるべきです。

 あなたの引用した私の発言については、アラブ・イスラム世界で随分と虚偽・逸脱の報道がされました。私がその風刺画を支持している、という風にです。申したいことは、それは私が問題にしていることではないということ。私が支持しているのは、人間はだれでも、信じていること、考えていることを書いたり画に描いたりする自由がこの国にはあるということです。それが重要なのであって、私達の権利、私達の自由なのです。もちろん、ときにそれが摩擦を起こすことは知っていますが、そのことは話し合われなければならないのです。相互に尊敬できる空間が必要です。このことを禁止するということは解決になりませんし、一部の人が傷ついたということを正当化する議論をしても解決にはなりません。

(記者)仏製品ボイコットが起きています。これについてどう思いますか?

  不適切な行動であり、非難します。しかしそれは風刺画についての間違った考えに基づいて一部の組織が起こしているものです。またときには他の指導者が主唱しています。それは受け入れ難いものです。なぜならご承知のとおり、風刺画について、フランスは国民主権の国です。主権の存する国民によって定められた法律が適用されます。私は事態を鎮静化するために何と言うかと言えば「この問題に介入することはできない。憲法に反するからだ。そんなことをすれば主権の多大な損失となる」ということですが、それは風刺画を支持している、という風に曲解され、我が国が攻撃されています。

 私は多くの(他国)指導者に、フランスでは報道の自由が保障されているのだと言っています。しかしボイコットを呼びかけた多くの国では、報道の自由はありません。そこでは、預言者だけでなく、アッラーであれモーゼであれ誰の画も描くことはできません。ときには、彼らは外国の指導者の風刺画を描きます。自国の指導者を風刺した漫画家の腕はへし折られてしまったからです。ジャーナリストは殺害されたり、牢屋に入れられています。しかしフランスではそのようなことはありません。ですから、新聞が何かを言っても、それは政府の立場ではありません。新聞が何かを書いたからといって、そのために国全体・国民全体をボイコットするなどという行為は狂っています。いくつかの国ではそれが正当化されるでしょうが、我が国ではできません。・・・

(記者)在外仏人、仏企業の安全が心配ではないですか?

 自由と多様性の国である仏の権益に対するあらゆる形の暴力を明確に非難しない政治家や宗教の指導者は、仏国内外で起こされる暴力事件に関して、ある場合は直接、または間接的に責任を有すると考えます。それゆえに、私はきょうここに、各指導者に対して友好と鎮静化の呼びかけたいと思います。

 ここのところ、多くの人が仏国について受け入れ難い発言をしています。全くの虚偽を真実であるかの如く強調し、私が言わなければならなくて言ったことを、最悪の犯罪者であるが如く評しています。私達が今、フランスで何をしているか知ってもらいたいと思います。数年前より、政府はテロと強く戦っています。テロは既に300人以上の国民の命を奪い、それには我が国に住む外国人の命も含まれています。イスラムの名で届けられたこのテロは、あなた(記者)が今おっしゃったように世界のイスラム教徒の責任ではありません。挙がってきている数字を見てみましょう。過去40年の間に世界でのテロ犠牲者の80%以上がイスラム教徒でした。ナイジェリアで少女たちを誘拐しているのはイスラムの名を冠した組織ですが、少女たちはイスラム教徒です。産婦人科病院を攻撃するのも同じこと、そのような例は数十も挙げることができます。イスラム教徒こそ、イスラムの名で起こされるテロの犠牲者なのです。この「イスラム」がわれわれを攻撃しているのです。

 もうひとつのグループとも私は戦っています。この点は翻訳による誤解の問題が生じていますが、フランスでは「過激なイスラム」と呼んでいます。どういう意味でしょうか。彼ら暴力的過激主義者はイスラムの内部で教義を曲解し暴力を引き起こします。そして我々の彼らとの戦いをイスラム全体に対する攻撃だと(勝手に)解釈しています。まったく逆です。仏には数百万人のイスラム教徒がいます。私は彼らと戦っているのではありません。彼らは国民としての完全な権利を有する人々であって、平和に暮らしたいだけです。また、我が国には多くのイスラム教を主要な宗教とする友好国が世界中にあります。しかし今日、暴力的過激主義者たちはイスラムの名において最悪の犯罪を行い、教義を曲解しています。

  彼らは子供たちを学校から連れ出し、誤った躾をしてフランスでテロを起こすよう言いつけています。彼らは国外の組織とも連絡をとっていますので、政府は3年前から彼らを制圧するための強い措置を導入しています。国民とイスラム教徒の国民を守るためです。それが害を及ぼしているという考えがあるようですが、それは誤解に基づくものです。

 このことを、私は10月初めの演説で強調したのです。人々は私のこの決意を「分離主義に基づく法案」と言いました。しかし改めて明確にしたいと思いますが、この法律パッケージは、彼らのようにイスラムの名において犯罪を犯す暴力的過激主義者に対するものであって、その目的は全てのフランス人イスラム教徒を含む国民の保護なのです。

 では具体的に政府は何をするのでしょうか。まず、彼らが彼らの「学校」で子供たちを教育することを禁じます。また、テロの実行を可能にしている資金が外国から彼らの下に届くことを防止します。・・・(以下省略)

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