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現代に活きるイスラムの智慧

法律は、制定してもそれが守られることを担保しなければ意味がない。法律を適用、時に強制し、これを守らない人は摘発して司法の裁きに委ねるのが法執行機関である。湾岸アラブ諸国では、警察以外に、市役所が法執行権を行使している。「global middle east」シリーズ(No. 007)
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ブログ「global middle east」(2009.04.30)
偽装と市場監視

今年最初の「目から鱗が落ちる」ような話は、ドバイの隣国・シャルジャ(الشارقة:UAEを構成する7首長国のひとつ)で経験した。

官民が合同で組織する団体「国際知的財産保護フォーラム」は、中国などで氾濫する模倣品(ニセモノ)被害から自らを守るべく、主要な日本企業が結成した組織で、これまで中国政府に熱心に働きかけてきた結果、同国内での取り締まりが一定の成果を上げつつあるという。そこで今年(2009年)初めて、今度はそのニセモノが世界に流通する拠点である中東ドバイに働きかけ、その流れを断とう、ということでミッションが派遣された。

知的財産権(حقوق الملكية الفكرية)は、大きくわけて商標権と著作権に分けられるが、今回の訪問の主眼は、商標権保護、すなわち、日本の主要メーカーのブランドに似せたニセモノの氾濫を防止する、という点におかれた。例えば、トヨタの自動車部品や、キャノンのカメラのバッテリーなどのニセモノが大量に出回っている。それは、両社の商標権を侵害して売上げに著しい悪影響を与えているだけでなく、ブレーキの効きが悪くなったり、突然爆発したり、と消費者の安全にも深刻な問題が発生している。

このようなニセモノを製造しているのは主に中国の業者である。中東には、物を製造する、という文化がそもそも希薄であるのでニセモノを作らないが、そこは商業の民。少しでも安いものは大歓迎、ということで偽ブランド品流通の一大拠点となっている。

だから、「少し教育してやろう」、という意気込みでの訪問となった。

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ところが、現地訪問を通じて明らかになったこと(いや、単にわれわれが知らなかった、ということだが)は、模倣品等の取り締まりについては、中東の方が先進国であり、日本は相当遅れて始めた分、あまり大きな口は叩けない、ということだった。

われわれの訪問先は大きく分けて2つだった。一つは模倣品の輸入や再輸出の際にこれを水際で取り締まる権限を有する税関当局。ドバイの場合、フリーゾーン(自由貿易地区)を経由する再輸出取引が圧倒的に大きいので、フリーゾーン当局もその関係になる。もうひとつは、品物が輸入された後、市場に出回った際これを取り締まる警察権力等である。

私が「おやっ」と思ったのは、後者の仕事をしている訪問先として市役所があったからである。団のまとめ役である日本政府の専門官(弁護士)によれば、シャルジャの市当局が、模倣品取り締まりでは最もよい成果を挙げているので、まずは「感謝しに行かなければ・・・」とのことだった。

シャルジャ市消費者保護局不正商取引対策課。シャルジャは、連邦国家制をとっているUAEではドバイの北に位置する別の国だが、目に見える「国境」などはない。東京に対する川崎市のように、ドバイのベッドタウンとして、また、よい意味でドバイと競争している「都市国家」だ。その市役所がニセモノの摘発と廃棄、そして業者の処罰までビシバシとやっているという。私は「ははん」と頷いた。それは、私がイスラム文化論の講義の中で教えている「ムフタシブ(المحتسب)」の制度の現代版に他ならなかった。

ムフタシブは、イスラム帝国が栄えた時代に、市場で不正が行われていないかと街中を巡回した市場監督官である。11-15世紀に各地で書かれたヒスバ(公益監督)の手引書によると、ムフタシブの主要な任務は度量衡の監視、物価の維持だった。つまり、秤を操作して不当な儲けを挙げようとする商人、不当な値段をふっかけて暴利を貪る商人などから市民生活を守ることが役人の重要な任務であった。アラブ湾岸諸国では、そのシステムが当たり前のように現代の統治機構、地方自治の中で生きているのだ。

日本では、ニセ・ブランド品の取り締まりも、食品偽装や悪徳商法の取り締まりも、すべて警察の仕事である。市役所や中央省庁の出先には行政指導する部局はあっても、直接、物品を押収したり、罰金を科したりすることはできない。

しかし、UAEでは、これを市役所や、中央省庁である経済省の出先機関である経済開発局が警察と同じように行っている。私は、この違いは何だろう、と興味が湧いた。この世界の一角に足を踏み入れて、早いもので25年が経過している。今頃気づくとは。

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そういえば初めて、エジプトへ着いたときの新鮮な驚きは今も忘れない。いくつかの「カルチャー・ショック」を経験したが、その中でも本稿と直接関係していることは、「この世界では、商人は常態的に客を騙す」という事実だ。相場の二倍、はたまた十倍、ひどいときには百倍もの値段を吹っかけて平気な顔をしているのは、お土産もの売りの商店主だけでなく、タクシーの運転手もそうだ。青果市場では、腐ったオレンジをきれいなオレンジに混ぜて売ろうとする八百屋と果てしない根気合戦をしたものだ。

アラブの制度は、基本的に性悪説に立っている…。放っておけば、人は必ず騙すのだから、騙さない社会、弱者を守る社会がアッラーの御意思だとして、イスラム法が介入しているのである。

一方、日本はといえば、これは世界に誇ってよいことであろうが、儒教の強い影響か人を騙すことは非常に悪いことと、概して安心である。第一、中世に最も進んだ市場経済を誇った日本の商取引の伝統では、騙すような商人が成功する可能性はない。いわば、日本は性善説だ。それだけに、市場で人を騙すことは犯罪。だから、警察が担当する、ということであろう。

今まではそれでよかったかもしれない。しかし、昨今の偽装大流行の風潮は、日本の社会が明らかに変わって来ていることを示している。偽装を許さない社会を実現するためには、先進のイスラムの制度を取り入れて、農水省や経産省、そして都道府県にも取締官を置き、逮捕、摘発、行政罰の賦課などの権限を与えるべき時が来ていると思う。消費者センターだけで消費者は守れない。

この年の9月、日本でも消費者庁が発足しました。小さな取締り権限(法執行権)を与えられているようですが、インターネット利用犯罪の拡大を防止していくためには、更に強い権限を与えるべきかもしれません。地方自治体への授権も面白いと思います。(真の行政改革が必要です。)
この10年で、湾岸諸国の知財保護への取り組みも大きく前進しています。エジプトとサウジアラビアは、アラブ版特許庁を整備したいと意気込んでいます。私はこの分野での日本とアラビア語圏の交流の橋渡しに、残りの人生を費やしたいと思っていましたが、その矢先、コロナ禍で停滞していることは残念です。


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