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時水の循環

歌詞

空に光る粒のひとつでさえも
街を彩るひとつの飾りで
吹けば消える塵の中から
色の無い影を描くよ

こぼれ落ちる水に浮く
はぐれた葉は
虹をくぐる
風に揺られ
振り返ると気づく
鮮やかな飛沫

固く踏みしめられた地に
旗を挙げて
街を築く
小さな灯り
生まれては消えて
繰り返す日々に

揺れる木々のような
心に陽を添える
遥か遠い日々の
何処かへと続く

絢爛の紅の葉を照らす月
輝く影染めの山
今でも隅に埋まる跡は
人知れず眠る
それでも何かを残す
繋ぎ繋がれた軌跡
誰の筆に止まらなくても
枯れる葉のように

陰る月のような
心に色を置く
星を隠す雲は
夜空を染め上げて
彼方の時と地に
残る日々の跡は
揺れる日々の中を
繋ぐ糸になる

メモ

過去のインストにVOCALOIDの声を乗せよう、という試みの4つ目!

存在と循環がテーマ。

なんか、人間て宇宙規模で考えたらほんと点の中の点の中の点以下だなーって思うことがよくあるんだけど、おかげで大抵のことはどうでも良くなってくる感覚にもなって。

この現実自体が傷と薬みたい。

存在の小ささに絶望するけど、迷いや悩みはどーでもよくなって癒やされていく感じ。

それでも、やっぱり強烈に意識するのは、どんだけ小さくても、存在自体はしてしまっていること。めっちゃ小さくても、居る、居てしまう。

これ、すごいな?

と思うわけです。

存在してしまってるということは、この現実になんかの作用を及ぼしているわけで。どこかの歯車にはなっているわけで。しかも変形可能っていう。

そう考えたら、せっかく存在してるなら歯車の形を選びたいな〜と思った。言い換えると、自由な意志が欲しいな〜ってことでもあるけど。

この世界に存在している以上、大小はともかく何かしらの作用は及ぼす以上、作用自体も選びたい。こう考えてる事自体が楽しいから。

時の線がはるか昔から伸びていて、今がどの位置なのかは分からないけど、現在に至るまでに色んなものが残されてきて、継がれてきてる。1つ1つは小さな存在だったはずだけど、それが巡り巡ってる。

小さな1つ1つの存在の証が線を構成してるって考えたら、なんとも不思議。それが未来にどんな影響があるかどうかは、その瞬間においては関係なくて。ただこれをやりたい、みたいなシンプルな衝動が作用になって、いろんな形で循環していく。

もしかしたら未来は、星を越えて、次元を超えて、時空を超えて、栄枯盛衰を経て、今からは予想できないような状態で衝動の形が継がれるかもしれない。

それを自分が確認出来るか出来ないかはあんまり関係なくて。そうなるかも?と考えてるだけで、なんだかワクワクしてくる。過去や未来の結果に縛られるんじゃなくて、今この瞬間の衝動がとてもとても貴重だなって感じる。

とんでもなく奇跡的な確率で存在してるのに、とんでもなく小さい存在であることが面白くなってくる。

それでも、せっかく世界の構成物の1つなんだから、好きな形になろうとしてみる。結果に縛られない、衝動のエンジンで動く歯車。その結果の作用は想像しない形で流れていくかもだけど、流れるべきところへ流れるだけなんだと思う。

何かの起点に見えるものも、別の何かの循環結果だったりする以上、事実なんてものは、見る角度や切り取る範囲でどうにでも認識できてしまう。だから、外側のことはどうにもできない。

大事なのは自分が何をしたいかだけ。

自分は特別じゃなくて、ただの小さすぎる世界の構成物の1つ、という土台の上で。後のことは後の世界循環機構が勝手に決めていくから。

結局、突き詰めるといつもシンプル。

あ〜存在って面白いな〜。

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