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詩と生態学

執筆者名:多田満
(環境研究学者)


はじめに

 現代の科学技術と社会との接点においては「科学者に問うことはできても、科学者にも答えられない問い」(トランス・サイエンスの問題)が存在する(小林 2007)。具体的な例としては、環境問題や公衆衛生、健康問題、原子力発電所の安全性などを挙げることができる。このような専門家にも答えられない問いに対する意思決定の場は、専門家と市民(地域住民)の情報や知識、価値観を共有化したうえで解決すべきである。とりわけ生態学分野の専門家(研究者)は、生物多様性や外来種、あるいは生態リスクなど地域の環境問題にかかわることから、野外調査をはじめとする研究を円滑に実施するためにも地域住民との科学コミュニケーションが求められている。

科学コミュニケーションと科学論文

 科学コミュニケーションには、いくつかの定義があり、そのうちの一つ「科学という文化や知識が、より大きい コミュニティの文化の中に吸収されていく過程」(ストックルマイヤー 2003)によれば、科学コミュニケーションは科学に関する知識や文化が社会に時間的、空間的に浸透していくことを示している(藤垣・廣野 2008)。科学を文化の一部とするなら、絵を見て、音楽を聴くのと同じように、誰もが科学と接する機会があることではじめて、科学が社会の中に存在したことになる。現在の制度では、科学的な成果の発表は論文と決められている。論文は学会などで分野を同じくしている専門家に理解されればよいのであり、そのために必要な執筆要項が定められている。もちろんこのような科学論文は重要な社会への発信方法ではあるが、文化として科学が広く受けとめられることを考えた時には、あまりにも限定された対象への特殊な形での発信と言わざるをえない。また科学論文は、「こころの外側」にある情報と意見とを伝達することが目的であって、その他の「心情的要素」を含んではならないとされる(井上 1992)。しかしながら、科学にも人間が行なうこととして多分に心情的なものの存在が認められる。すなわち、自然現象を不思議と思い、その解明を志す基礎科学研究の発想(ときめき)には、かなり詩的な心情が力になっている。たとえば、「こころの内側」で人生を不可思議と感じ、美に憧れる心情と、自然現象の謎を解いてみたいと思う探求心とは、どこかで繋がっている。

詩と科学

 ところで、理論物理学者の湯川秀樹(1907-1981)は「詩と科学」(1946 年)のなかで次のように述べている(湯川・池内 2015)。「詩と科学は遠いようで近い。(中略)しかし何だか近いようにも思われる。どうしてだろうか。出発点が同じだからだ。どちらも自然を見ること聞くことからはじまる」、「いずれにしても、詩と科学とは同じ所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか。そしてそれが遠くはなれているように思われるのは、途中の道筋だけに目をつけるからではなかろうか。どちらの道でもずっと先の方までたどって行きさえすればだんだん近よって来るのではなかろうか。そればかりではない。二つの道は時々思いがけなく交叉することさえあるのである」、「科学者とはつまり詩を忘れた人である。詩を失った人である。そんなら一度うしなった詩はもはや科学の世界にはもどって来ないのだろうか」。よって、研究者が科学論文を科学と「交叉する」詩によって表現することは、科学を知識としてのみ扱うのではなく、文化として根づかせるためのツールとなりうるのではないだろうか。

 論文の内容をもとに表現した詩(後述の論文詩)を誰かに伝え、会話が弾めば、そこに科学コミュニケーションは成立することになる。さらに科学論文は、詩と融合することで新たな科学文化を生みだし、詩は論文と融合することで文学の新たな詩のジャンルを創造することになる。このような社会で共有される詩は、市民の科学リテラシーを形成、ならびに向上させる一助(ツール)となるものと考えられる。そのことで人びとは、科学と科学者をより身近なものと感じ、科学と科学者に共感することもできるのではないだろうか。

 一方で湯川は、「記憶」(1954年)のなかで「自然科学は外の世界の整理、改善に大きな手伝いをしてきた。人文科学の助けをかりて、わたしどもの頭の中ももう少しよく整理できたら、皆がもう少ししあわせになり、世の中ももっと平穏になるのではなかろうか」(湯川・池内 2015)と述べている。

「論文詩」──生物多様性をテーマに

 そこで、多田は、科学コミュニケーションツールの一つとして自然科学(生態学)の論文(原著論文)をもとに「人文科学の助けをかりて」作成する「論文詩」を提案している(多田 2018a)。論文の形式(IMRaD)をもとに「経験的な論理」や「個人的な論理」により作成する詩のことを「論文詩」とよび、その定型的な論文詩の作成手順を提案した。すなわち、「非経験的な論理」(原理や法則など)に基づく調査や実験、理論のデータから導かれる事実を論拠とする「経験的な論理」による論文の科学的な論述性と、研究(調査や実験、理論)の日常体験に基づく直感や信念などを論拠とする「個人的な論理」による心情的な物語性から詩の作成をおこなった。具体的には、科学論文の緒言(I)から考察(D)にいたる一連のつながりに詩情性(比喩、韻律、対句、省略など)を加えて論文詩を完成させる。

 多田は、論文「奥日光外山山麓における繁殖期の鳥類群集」(多田・安齋 1994)からの引用をもとに科学詩の作成を試み (多田 2014)、その後、前述の方法による生物多様性をテーマに6連からなる論文詩を発表している(多田 2018a)。論文は、奥日光外山山麓において 1991 年から 1993 年の鳥類繁殖期(5〜7 月)に 5 回おこなった生態学の野外調査をまとめたものである。最後の第 6 連では、調査を終えた日常体験について「個人的な論理」による物語性から述べ、さらに研究の展開する可能性など展望について「『青』を輝かせるよう高らかに宣言する/歌声は多様性の空気を貫いた」「さあ、歌い続けよ!」とオオルリのさえずりに重ね合わせて比喩表現で述べている。

科学コミュニケーションツール

 科学者と市民との社会対話「環境カフェ」(多田 2018b)の「第 1 回環境カフェ+科学詩」(2017 年 3 月 18 日、早稲田大学で開催)では、論文詩の作成と前述の論文詩の解説をおこなった。前もって参加者には前述の論文(多田・安齋 1994)を配布して、「環境カフェ」開催後に(論文詩に対する理解や意見、感想に関する無記名式)アンケートを実施したところ、高校生からは「研究者と市民の間で理解し合うのが難しい課題でも、科学詩により共有できることが理解できた」「論文のように事実だけ述べるのではなく、情景などを入れることにより、そのときの状況や雰囲気をイメージしやすく、詩の方が手に取りやすい」「いままで自分が注目していなかったテーマだったのですが、詩ひとつあることによって、鳥に興味が沸いた」など。また、大学生からは「これが将来的に、教科書など教育の場などに発展すると、市民全体の意識が変わるかもしれないという可能性を感じた」のような回答を得た。これらのアンケート結果から、論文詩が専門家(研究者)と市民の科学コミュニケーションツールの一つとして有効ではないかと考えられた。

おわりに

 最後に詩と生態学が融合した論文詩の可能性について考えてみると、「詩と生態学は、ともに豊かな表現力を持ち、人間と自然のつながりをテーマにしている。この両者を融合させることで、より深い共感と理解を生み出すことができるのではないだろうか?詩人が生態学的な洞察力を持つように生態学者が詩的な感性を磨くことで、私たちは自然の美しさや壮大さ、そしてその脆さをより深く捉えることができるのである。詩と生態学は、互いに共鳴し合い、豊かな知恵と洞察力をもたらす。私たちは詩の力で自然への感性を高め、生態学の視点で自然との共存を追求する道筋を見出すことができるのである。そして詩と生態学が融合した時、私たちは自然との関係をより深く、より意識的に築いていくことができるであろう。」(註1)

註1
ChatGPTで作成後に加筆修正を加えたもの

参考文献

藤垣裕子, 廣野喜幸 (編) (2008) 科学コミュニケーション論. 東京大学出版会, 東京
井上勝也 (1992) 科学表現─基本と演習─. 培風館, 東京
小林傳司 (2007) トランス・サイエンスの時代──科学 技術と社会をつなぐ. NTT出版ライブラリーレゾナント, 東京
ストックルマイヤー S.編, 佐々木勝浩訳(2003)サイエンス・コミュニケーション―科学を伝える人の理論と実践, 丸善プラネット, 東京
多田満 (2014) 奥日光外山山麓の鳥たち─科学詩. センス・オブ・ワンダーへのまなざし─レイチェル・カーソンの感性. 東京大学出版会, 東京
多田満 (2018a) 論文詩─科学コミュニケーションツール. 日本生態学会誌, 68:59- 63
多田満 (2018b) 社会対話の実践──「環境カフェ」を例に. 環境科学会誌, 31:207-216
多田満, 安齋友巳 (1994) 奥日光外山山麓における繁殖期の鳥類群集. 日本鳥学会誌, 43:35-39
湯川秀樹, 池内了 (編) (2015) 湯川秀樹エッセイ集 科学を生きる. 河出文庫, 東京

※本記事は「科学教育 Advent Calendar 2023」の企画において寄稿されたものです。
※本記事の内容や主張は執筆者によるものであり、本記事の掲載をもってJAASや教育対話促進プロジェクトがその内容や立場を支持するものではございません。

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