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コミュニティの中の学び~地域サロンから見えてくること~

執筆者名:森真由美
(牡丹の会 主宰)


こんにちは。名古屋市のふれあい・いきいきサロンとして「牡丹の会」を主宰してる森真由美です。いきいきサロンなるもの、一体何かといいますと、地域の住民が主体となって進めていく交流活動です。高齢者・障害者・子育て世代が、地域でいつまでもいきいきと暮らせることを目指しています。

科学と関係あるの?と思う方がいるかもしれませんが、私は、人間の生きる営みそのものがサイエンスだと考えています。生物学・社会学・生活科学などなど、新たな発見が積み重なった結果が「科学」ではないでしょうか。

比較的高齢の方が多いコミュニティでは、最先端の科学はちょっと・・・と謙遜される方がいらっしゃいます。若く元気で自由に動ける方と比べて、病気や高齢化だったり障害があったり、身体的な制限が心理的な謙虚さに繋がっているのかもしれません。

一方で、なにかしらの制限があるからこそ、それを補おうとする智恵や工夫を凝らし、日々実践して生活しています。経験と考察で世界を論証しながら生きていく、まさに科学の営みそのものです。
そんな小さな地域のコミュニティに目をむけることで、新たな発見が生まれると考えています。

新たなチャレンジを

牡丹の会は、2023年12月20日で、開催300回を迎えます!300回もいったい何をやっているのかといいますと、IT機器をテーマにしたおしゃべりです。パソコン教室として始まり、現在は、タブレットやスマホなどの機器の使い方をお互いに学び合う場となっています。
「このアプリがおもしろいから、いっしょに使ってみない?」「この場合は、同意してもいいの?」はたまた、「送金用のパスワードがきちんと入力されているか見ていて欲しい」というように、対等な信頼関係があるからこそできる会話があります。

写真:点字ストラップ
他者とのコミュニケーションはスマホだが、アナログのメモ用紙も手放せない。

街の中を見渡せば、携帯電話のキャリアが無料のスマホ講座を開いていますし、カルチャーセンターや生涯学習の教室もあります。何となく興味があるけれど、踏み出せない方もいるでしょう。地域の中に、気軽に相談でき背中を押してくれる場があれば、より深く系統的に学びたいという意欲に繋がると思います。

世代や立場を超えて、同じ土俵でコミュニケーションがとれるということも重要です。
牡丹の会には、毎回、80代90代の方、視覚・聴覚・身体障害がある方が参加してくださいます。スマホやパソコンを使うことで、若い世代(ここでは70代以下を指しています)や障害のない人と交流でき、お互いに多様な立場を知ることができます。

5段階の学習レベルで考えてみますと、ある一点だけをみたら1や2の方であっても、別の立場では4や5になる方がいます。

「車いすで支えればいいんだ」「手がない時には脇をこうやって使うのね」「見えてても音声での操作は便利かも」「翻訳もできるけど勉強もできるのね」といった会話をし、別の立場で考えることを繰り返すとどうなると思いますか?

なんと、70を過ぎてもほとんどの方が、別の新たなチャレンジを見つけているのです。
ご家族の介護の合間に外国語の習得を目指す方、技術者から介護ヘルパー・ガイドヘルパーになった方、経営者から傾聴ボランティアになった方など、多様な方との交流で、自分と異なるコミュニティへ参加するハードルが下がったのではないでしょうか。

ITという科学技術は、ビジネスの世界では効率化を求める道具として使われているのに、地域コミュニティの中では、むしろ複雑化し、その中から新たな人間生活を生み出しています。私にはそれが大変面白いのです。

人生初のランウェイ

自主的なコミュニティの場として「ばあば工房」というレンタルスペースがあります。
地域の「ばあば」が集まり、古布をリサイクルした布ぞうりや小物づくり、編み物、お粥カフェ、夏休みの子ども食堂などに使われています。
レンタルスペースと言うと、おしゃれな雰囲気を想像しますし、始まった当初はこじゃれた民芸カフェを想定していたようです。築80年の古民家ですから、不動屋さんから不動産価値は”0”と断言され、図らずも生活感が出てきてしまったというのに、新たな利用者も増えてきています。何故でしょう。

写真:海外からの観光客に好評の展示物(販売もしています)

ここにあるのは、生活そのものの手作業です。
来る者拒まずで、来たい人が、新たなアイデアを練り、もくもくと手を動かし(口も動かし)作りたいものを作っています。作品は、取りとめなく好き勝手に壁に展示し、まさに「おばあちゃんち」なのです。

SDGsの視点で、着物のリメイクをしているというので参加してみました。ほどいた着物を100%活用し、物質的な無駄がない「ものづくり」に精を出すという企画です。デザインも型紙も、自分の腕を信じたその場の思い付きですので、同じものを作れる自信はありません。

出来上がった洋服は、地元アーティストのミニコンサートとコラボしてのファッションショーでお披露目します。仕事ではないので、手間も時間も惜しまず効率化も採算も度外視ですが、まさか自分の人生でランウェイの機会が出来るとは思いもよりませんでした。

一般的に、レアな物には価値があり、それを手に入れるのが一種のステイタスです。自作の場合、コストパフォーマンスという点では非常によろしくないですし、出来たモノは市場のプロの仕事には叶わないでしょう。しかし、世界に一つ、唯一無二の物を手にするだけでなく、生み出したという満足感はこの上ないものです。

作品は、「私の」物語を持っている現代アートです。お金がかかるとかかからないとかではなく、作品を生み育てる営み自体が自己実現であり、非常に贅沢なことだと思うのです。

図:マズローの欲求論の概念

いくつになっても学びたい

地域のサロンでは、引きこもりや独居などで社会的に孤立することを防ぐために、参加した方に景品や軽食を用意し、生存確認を第一に考えている活動もあります。3,4,5の欲求の段階になると思います。こうした活動を継続させるためにも、地域の中に学びの①から⑤の段階が混在する場が大切だと思います。

自治会・自治団体によっては、民生委員・保健委員・児童委員といった地区住民のボランティアによって、講演会や勉強会が開催されていますよね。例えば、特定外来生物の対処や、健康に関する講演会、季節の料理教室や体操教室などです。

港に近い公園では、コンテナや貨物にまぎれ込んだセアカゴケグモやヒアリを見つけることもありますが、どんな行動をとれば良いのかわかりません。知識を持って意識していれば、毎日の散歩にも「発見」があると思うのです。

紹介したサロンのように、生活の科学なら、いくつになっても新たな挑戦が出来ます。年齢を問わず、いつからでも始められ、いつまででも学び続けられます。

ゆっくり考える楽しさ

科学は、価値ある正しい情報かどうか、技術は、如何に人手を無くし効率良くできるか、という側面で語られることが多いと思います。私にとって、科学は生活そのものであり、単純に楽しいから学びたいのです。楽しければ続くし、続けられれば、自分で考え深く掘り下げられます。

グローバル化が叫ばれて久しく、世界とか地球とか宇宙といった大きな概念の言葉が、毎日のニュースでも飛び交っています。

小さな地域のコミュニティに目をむけることで、大量消費でなく効率も悪いけれど贅沢な学びに気付けるのではないでしょうか。日々の中でそうした生活を見ること・見せることが、「科学」を教え育むことに繋がると信じています。

※本記事は「科学教育 Advent Calendar 2023」の企画において寄稿されたものです。
※本記事の内容や主張は執筆者によるものであり、本記事の掲載をもってJAASや教育対話促進プロジェクトがその内容や立場を支持するものではございません。

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