音楽には、人間性が出る

音楽には、人にあらゆる効果を与える。それこそ、前向きな感情も、後ろ向きな影響もあるかもしれない。あるいは、全く感じさせないこともある。ある人にとっては、強い動機付けに結び付くほど、またある人にとっては、単なる環境音と同じようにしか感じないこともある。

「音楽は人を感動させるためにある」という言葉は昔からたくさん言われているようだ。しかし、感動させるとは限らない。またしかし、感動させない音楽が無意味、というわけでもない。すべての人を感動させてしまう音楽は、おそらく存在しないだろう。音楽の会場で鳴りやまない拍手も、純粋にその音楽に感動しきったものか、あるいは「演奏をした」という行為そのものに対する賞賛か、演奏だけでないその場で起こったあらゆる事象に対する感動かもしれない。つまり、すべての拍手が、感動からくるものなのかもわからない。

ある音楽が、すべての人に同じ表情に写らないとも思われる。耳と脳の、ヒトが持つ聴覚器官が、一人一人どのように感じているのかは、わからない。さらに、一人一人の味の好みが違うように、一人一人の、音の好みも違う。

これらは、音楽に「人間性」が出ていることに起因すると思われる。人が持つ性質は、音楽も持つことができると考えている。喜怒哀楽、憂鬱、狂気、虚無、達成感、辟易、ありとあらゆる言葉で語りつくされる表情は、音楽にも持つことができるだろう。それを通じ、音楽は単なる音ではなくなるように感じる。これはおそらく、人間がかかわるからこそ「人間性」が出るのだろう。音楽と人間は、nearlyequalかもしれない。

音楽に、作詞家、作曲家、あるいは演奏者の人間性が出ているか、それもまたわからない。まるで自分が自分ではないような感覚を覚えているときに音楽が生まれれば、その自分ではない者の人間性が出るのかもしれない。また、その度合いもまた異なるかもしれない。本人が人間性をその音楽に出し切ることができなければ、あまり人間性のないものになるかもしれない。

音楽を極める、ということは、売れるようになる、こととは別次元で存在すると思われる。売れるということは、多くの人に感動を与え、人気が出るということである。人間で言えば、それはたくさんの人に人あたりがよく見えていること、その人の真髄まで見せていない、あるいは、聴衆が耳を背けているということにもなるかもしれない。音楽を極めるということは、自身の人間性を深めること、人間性をより音楽につぎ込めるようになること、以上の二点だと思う。それは必ずしも、たくさんのファンの獲得とは違う位置にある方向性だ。

音楽の聴き方を極める、ということも、おそらくできる。多くの音楽を聴くことで、たくさんの人間性に触れ、様々な集中力をもって様々な側面から音楽に触れることによって、その一つの音楽の様々な人間性を見出すことができる。こうして、単に表面的な感情だけで音楽を楽しむ、という段階から、音楽から音楽家の人間性を見出していく段階にまで行くことができるのではなかろうか。

このように、双方の変化によって、音楽はまるで「生きている人間」のように、その姿を変えていく。この作り上げる側と受け取る側の間にある、ある意味コミュニケーションともいえるつながりが、音楽というものなのだろう。

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