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THEラブ人間『夢路混戦記』

○アルバムタイトルとアルバムジャケット

 まず「夢路」は漫才コンビの夢路 いとし・喜味 こいしから来ている。それは、CDの帯の「いとし、こいし、かなし」からも分かる。今YouTubeで見てみてもクスリと笑える人懐っこさ、大ベテランのそれとは感じさせない親しみやすさ、軽やかさのある漫才だという印象を持った。

 この漫才の軽やかさに対して、「混戦」とは不穏かつ重々しい印象を感じさせる。それは、彼等のバンドヒストリーを振り返れば付されてしかるべきワードだと言えよう。ちなみに、「混戦」とは「敵味方が入り乱れて戦うこと。乱戦。また、勝敗の予想がつかないような戦い。」を意味する。ラブ人間の勝敗はまだ決まっていない。しかし闘い続けてきたことは間違いない。何のためにか、それは「夢路」を突き進むためではないか。


 アルバムジャケットは、(おそらく)男女二人が横断歩道を駆け抜けていくところをモノクロでスナップ写真的に捉えたもの。フロントマンの金田(以下敬称略)は「そしてこの街中を逃げ回っているのか、走り回っているのかわからない男女が映ったジャケットデザイン」と述べているが、俺は「逃げ回っている」とは思えない。タイトルと絡めるならば、まさに「夢路」を傷つきながら、しかし手を離さず駆け抜けていく、突き進んでいく様子を捉えたものだと考えられる。裏ジャケが海に向かって駆けていく二人の背中を捉えたものだが、これは入水的な決死のものか、何とか広い景色が見えるところまで駆けていった、という未来か。
 アルバムから離れた話でいうと、この写真を見た時、俺は安部公房の撮ったスナップ写真の一つを思い出した。進む方向も人数も違う。でも、曖昧な全ての人の孤独を映しているような。歌詞カードの中の写真も全体的にそれっぽい。特に、カーブミラーを映したものなんて、『箱男』に収められた写真と非常に近しい(以下は安部公房の撮った写真)。

○各収録曲感想

1.コーラフロート

キラキラとしたギターのフレーズからアルバムが幕明ける。「音楽的なオーバーラップは、大滝詠一大先生の「Cider」あたりの、いわゆる王道のNiagaraサウンド。」と紹介されているがドラムの「ドコドコドコ…」って入ってくる感じとか、まさに、で好き。「クリームソーダ」を背景に持ち、音楽的なリファレンスに「サイダー」がある楽曲が「コーラフロート」っていうんだから捻くれてるな。

途中の「ねえ?きみブル-?」を「Make me blue.」に聞き間違えた。「ターコイズの石のような きみの瞳は夏を見た」とあるから、「きみの瞳にぼくを映して、ぼくを青く染めて欲しい/そんな状態のきみの瞳に映り続けたい」的なことかと勘違いした。


2.頭のおかしな男たち

 東京と、ですます調と、電車という三つのキーワードではっぴいえんどの『風街ろまん』が頭に浮かんだ(こっちは路面電車)けど、全然関係ない(苦笑)。
「おかしいかな?」と歌っているのは、「おかしいんだ」と自覚しているからこそ歌っているものだと思った。「小さな駅になった気分」になること、そんな存在になってしまっている今の自分、それを作ってきた今までの行動。それらはこれから変えていかないと行かないのだろう。

この楽曲の解説に、中学時代を振り返ったもので「ニールヤングの「ハーベスト」をCDウォークマンでずっと聴いてた。」と書いてあった。脱線ではあるが、このニールヤング『ハーベスト』収録曲の「Are You Ready for the Country?」というのは佐野元春の「国のための準備」の元ネタ的なものだよね(曲調は異なる)?このワードが強く響く世の中になっちゃってるなあと溜息もこぼれつつ。


3.虹色のスニーカー

 イントロから鳴るドラムの音の質感が好き。ムツムツした感じの。
 「今はこんなに心地いい場所も きっといつかは嵐が来る」というのは、10年代に起こった様々な自然災害・異常気象を思うと、「嵐」というのは比喩としてだけでは響かない。でも、跳ねるような歌い方で、その重さを強調しないようにしている。

また、「夢で見たきみはお腹を大きくしてた」というのは、単純に考えれば女性のパートナーのお腹に自分との子どもが、という話だが、曲名の中の「虹」がLGBTQのレインボーフラッグの存在を意識したものだとすると、前述の解釈だけで留められないものとして、解釈することが可能でもあるな、と思った。

そういや、靴の曲といえば、『SONGS』収録曲の「太陽と血の靴」もそうだな。。


4.ズタボロの君へ

 ナナナーのコーラスの、全体をグイッと引っ張る力よ。バタバタとした駆けるようなリズム感で「ズタボロのままで行け」とサビで高らかにうたっている様は、アルバムジャケットの二人に向けられているようでもある。「いま俺どんな顔してる?」と歌っているが、どんなひどい顔してたって、行くしかないんだよな。


5.いつかこどもがうまれたら

 ベースが少し山下達郎感のある、ミドルチューン。元々、ソロの作品だと知り、確かに弾き語りでの形も頭に浮かぶような。
 恋というか、愛情の歌だなあ。でも、生まれてくる「こども」に対して、というだけでなく「こども」を迎えるパートナーへ語りかける歌でもある。それは「どんなふたりになる?」というフレーズで明らかにされている。
 また、ここで並べられている問い掛けは、自問としても機能している。


6.愛と呪い

情念迸りまくりの一曲。溜まった澱のような感情をこの一曲にまとめたかのような存在感。それは歌唱だけでなく、演奏にも現れている。
総評に詳述するが、この曲は非常に素直な曲と考えられるかもしれない。 それは、歌詞と演奏が表すエモーション、情念といったものに乖離が無いからだ。

歌詞カードに「INSPIRED by ふみふみこ」とあって何のことやらとおもったけど、この方の著作に「愛と呪い」という作品があるのね(不勉強で知らず)。


7.砂男Ⅱ

 冒頭の「1人で住んでたあのマンションに今はもう どっかの誰かがきっと住んでいるんだろう」とあるように、「砂男」の続編という位置付けにあるため、歌詞の色んな所に当時からの経年をうかがえる。
 しかし、サビでコーラス重ねたりせず、ボーカル単体で剥き出し感を強調している点など踏襲している所も勿論少なくない。「何度も何度も数え切れないほど歌ったあの歌」は確かに息づいているのだ。

 経年によって、歌われる・歌う主人公は愛情を上手く用いることができるようになっているように思えた。もう会うこともないかつて愛した人に「なんでもないような顔して生きていてね」と歌えるくらいには。その変化は、リスナーとしては少しさびしくもあるのだけど。
 サビの問い掛ける表現は、そんな甘くないということを自らに向けて歌っているものだろう。しかしながら、だとしても、やっていくしかない。「でも、やるんだよ」的なスピリットだよなあ。

 脱線すると、「何度も何度も数え切れないほど歌ったあの歌」といったようにこういった、自身がこれまでに作った楽曲にメタ的に触れる歌詞を聴いて、清春の「あの詩を歌って」を思い出した。こちらは黒夢の「LIKE @ ANGEL」のことを「あの詩」として歌っている。


8.東京の翌日

 本アルバムの中では「コーラフロート」と並んで最も好きな楽曲。爽やかなメロディがムチャ好き。
 「今日地震があった」という事実だけを並べて、その翌日にニュースを見て泣き、歌ったりしているだろうか?と自問している。でも、その自問にはこの曲が答えを出している。「歌ったりする」のだと。
 というか、この曲は大きな事件があったとて、それを曲として昇華するしかない、ある種の「業」のようなものを歌っているまであるのではないか、と思った。そのように重い側面を抱えながら、曲調は実に軽やかだ。その軽やかさに惹かれる。


9.二十才のころ

 「二十才のころ」はこうだった、という歌詞ではなく、「二十才のころ」を振り返っている「三十路」の今を歌っている歌詞になっている。
 いくら「下北沢の朝日」を浴びて「魔法」がかかったって、現実には「あのアパートも若さも恋も とっくのとうになくなっちまっ」てるし、ボロボロの状態。それでもバンドサウンドの中で「雨宿りなんかしないで ぬかるみの中でちゃんと踊りきろうね」と、この戦いをやりきらねばいけないと決意を固めている。
 その決意を語感を軸にしたキャッチーな歌詞でまとめているのは面白い。

脱線すると、前述の「雨宿りなんかしないで ぬかるみの中でちゃんと踊りきろうね」という部分を聴いて、小沢健二の「薫る(労働と学業)」の「どしゃぶりの雨の中で踊ろう 服も靴も脱いで 関係ないよ 大人も子どもも どしゃぶりの雨がくれる 未来の虹 もう少しで 何が最高かは 変わるから」という部分が頭に浮かんだ。


10.夢老い人

 入り方がビートルズの「The Long and Winding Road」かと。どっしりとしていて、アルバムの締めらしい曲だと思った。

 ここで二人称で「お前」と語られているのは自分自身のことだろう。「この人生の主役はお前だろう」というのは、「この人生の主役は俺だよ!」ということを表現しているに違いない。
 自分の人生の主役は自分自身であるべきだ。そうしなくちゃならない。ベボベの「スローモーションをもう一度 part.2」的を思い出した。


○全体としての感想

「ズタボロの君へ」の冒頭の歌詞は以下の通りだ。

ちゃんと隠した?
寂しさ 悔しさ ポケットに詰め込み
笑顔をつくってニコニコするのが
私の仕事です

また、チャップリンの名言として、「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言う言葉がある。

 このアルバムに収められた楽曲の歌詞の多くはボロボロであったりする今の自分を表しているものであるが、そのバンドサウンド、バイオリン、メロディによって、その重さを感じさせないような曲になっている。
 つまり、よくよく歌詞を聴いてみると(近くで見ると)悲しかったり、葛藤を抱えていたり、傷が感じられるものの、楽曲としての印象は(遠くから見れば)ポップな楽曲に感じられるようになっているのである。

 歌詞の引力に引っぱられすぎてエモーションに傾きすぎると、もう軽やかなポップではいられない。逆にそこに浸りきらずに明るい/爽やかな曲をぶつけることで微妙なニュアンスであったり、前述の歌詞のような、より深い悲しみ、傷の存在を聞き手に感じさせることができているのではないかと思った。

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