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今までの私の恋愛遍歴

自己紹介でも話しましたが、私は男性同性愛者、ゲイです。今日は今までの私の恋愛遍歴を話していきたいと思います。結構特殊な恋愛人生だと思います。というのも、性的指向の変化とその気づきに大きなラグがあったのです。

最初は私は多数派でした。

実は私は元々はマジョリティーである異性愛者(ストレート)でした。物心ついた頃から、中学2年生の頃までです。それもあってか、小学校の頃は、自己顕示欲が旺盛で、人間関係においては、人脈の広い子だった気がします。初恋は小学校2年生で、その頃の僕は、何においても先を読むことが苦手で、後先考えず口の軽い子に好きな子のことを伝えてしまい、広まってガッツリ冷やかしを喰らいました。今となってはいい思い出ですが笑。こんなふうに私は普通に恋をして、普通に暮らしてました。この後2回も女の子に恋しました。でも中学2年生の時に、ある大事件が起きます。

慎重な恋

中学2年生の春のことです。当時まだ異性愛者だった私は、当時同じ吹奏楽部でトロンボーンという楽器を吹いていたある女の子を好きになりました。(ちなみに純粋に顔が好きでした。やらしいですね。)小学校の頃とは違って、慎重になっていた私は、「失敗して仲間外れにされたら終わり。」と思っていたので、その子が僕のことをどう思っているかを徹底的に調べる人でした。当時LINEのタイムラインリレーが大流行していて、これを使って探ったんですけど、「この人(リレー投稿をお願いした人)と付き合える?→○ or ×」の質問欄には「ないわ。」と書かれていました。終わったと思いましたね笑。100%成功しないことを悟りましたが、当然恋心は消えないため、いつか、何かの機会があればと思って、叶わぬ恋をし続けていました。

アンサンブルコンテストでの出来事

月日が経って、冬、私の中学の吹奏楽部は究極の弱小校でしたが、大会という大会は強豪校のように一丁前に出続ける学校でした。冬はアンサンブルコンテストという少人数の大会があるのですが、私はサクソフォーン4重奏、好きな子は金管8重奏で出場しました。毎年全てのチームが銅賞であっけなく帰ってくるのが、定番でしたが、私たちの代は違いました。

(吹奏楽に馴染みがない人がいると思うので、説明いたします。通常吹奏楽における大会において、演奏の結果は「金賞」「銀賞」「銅賞」の三つのどれかが授与されるのですが、「銅賞」は一番下の結果で、本当に最低の言い方をすれば、『最低出演すれば、もらうことができる、いわば参加賞のようなもの』なのです。(しかし、銅賞は参加賞と言い換えられない立派な賞だと私は思いますがね…))

結果は、

サクソフォーン4重奏(銀) 金管8重奏(金)

でした。

出場者はもちろん部員全員てんやわんやで大騒ぎ、狂喜乱舞とはこのことでした。もちろん私も正気ではありませんでした。その時です。あの私が諦めかけた高嶺の花の好きな子が、「ハグして、、、!!」と言ってきたんです、嬉し涙を流しながら。私は下手ながらでも銀賞を取ることができた喜びに加えて、半年以上好意を寄せていた子とハグができる(クズ野郎ですね…今思えば、気持ち悪いです。)と舞い上がりました。そして、熱い抱擁を交わしました。

しかし、この時に、私の頭の中の小さな糸が切れたような違和感がありました。メーターが振り切ってショートしたようなそんな感じでした。嬉しすぎで頭がどうにかなっちゃいそうという感じです。実際この時に変化が起きたと今思えば感じます。

恋愛感情の喪失

家に帰って、最高の一日だったこと噛み締めて、その日は寝ました。翌日、学校に登校して、例の子に会いましたが、不思議なことになんとも思わないのです。私はとても戸惑いました。昨日まで好きだったのに、今はなんとも思わないのです。翌日も、その翌日も同じことが起きて、「こんなことってあり得るのか」と内心パニクっていました。私の中では、一番して欲しいハグをしてくれたから、「もう欲求がなくなったんだろう。」と結論をつけて、終わらせることにしました。

そして高校へ

私は高校受験で第一志望に合格し、吹奏楽の強豪校かつ進学校と言われていた高校に入学することができました。そこで、2年間吹奏楽漬けの人生、3年生になると同時に引退する人と残る人がいるのですが、私は部活の顧問の先生の罵倒の毎日がトラウマになり引退組を選択し、受験勉強に専念する人生を過ごしました。見た通り、よくある高校生の生活です。

中学の事件以来、私は全く恋をせずに過ごしてきました。中々ときめかないのです。友達の関係で好き、大好きという感情は湧くのですが、鼓動が速くなり、時々胸が苦しくなるあの独特な感じは一度も起こりませんでした。

高校生の私

当時は同性愛者だなんて微塵も思っていませんでした。普通にタイプな女の子がこないだけだと思っていました。では男の子に対してはどう思っていたのかというと、女子とコミュニケーションを取るのが慣れていた私は、どちらかというと女子よりも男子の方に気を遣って接していました。サッカー部や野球部の男子同士みたいな(偏見入ってると思いますが…笑)アグレッシブな戯れ方も知らない私は、クラスで気の合う感じの男子を恐る恐る探す感じでした。

そんな思いの中、高校2年生の新学期、1年の時に仲の良かったクラスの男子はみんなバラバラのクラスになってしまい、途方に暮れている時に「ある男子」と仲良くなります。

趣味の合う友達

私の好きなものはディズニー、吹奏楽、英語、タイピングゲーム。この中で万人受けするのはディズニーくらいです。ただ、「広く浅く」というよりかは、「狭く深く」という感じで、マニアックなオタクという感じでした。つまり、趣向が特殊すぎる人間だったんです。大体何かしら好きなことを熱弁したら、みんなついて来れずに引くというのがいつもの流れでした。私の主観の中では男友達が貴重だったので、気の合う子がいたら、何が何でも一生ものの友情を作りたいと思っていました。(メンヘラ気質を感じますね。)

そんな中、ディズニーのジャンルで相性がバチバチにマッチした子がいました。それが先ほどの「ある男子」です。

「ある男子」だと説明が大変なので「Tくん」としましょうか。私は、新しいクラスに、知り合いが吹奏楽部の同期2人(しかし僕とはあまり話さない子)しかいないほどのものでした。初日に大して仲良く慣れず、絶望していたその夜、LINEの新クラスのグループ情報を頼りに私の個人チャットに声をかけてくれたのが、Tくんでした。その自己紹介で相手がディズニー好き(しかもマニアック)ということをお互い知った私たちは、お互いのことを知れば知るほど、仲良くなっていきました。ここまで趣味が合う友達に、出会ったことがなかった(おそらく向こうもそうだったのでしょう。)ので、一緒に入れる時はいつも馬鹿みたいに一緒にいました。授業間のたった10分の休み時間も、体育のペア組も、昼休みも、校外学習の班組みも彼から誘ってれたりしました。また、お互いの休みが合う日には必ず遊びにいきました。(まぁ、強豪校吹奏楽部に所属していた私に休みは一年で15日あるかないかでしたが…)これがずっと続けば幸せだと思いました。

しかし、そう簡単にこの状況は、続きませんでした。

T君との関係

T君はとても好奇心旺盛で、いろいろなことに興味を持つクラスの人気者でした。よく言う陽キャというやつですね。オマケに可愛い系のイケメンで女子にも人気。私にとっては羨ましく、憧れの存在でした。一方私は、基本インドアでネガティブで狭い世界を好むいわば陰キャというやつですかね。周りの人はT君の人柄を徐々に知り、彼は色々な人に引っ張りだこで、沢山の人とつるむようになりました。しかしクラス替えをした後の3.4ヶ月経てばそんなのよくあることです。ただ、私はこの状況が耐えられなかったのです。

当時の私は、深い仲の男友達を、ある程度仲の良い男友達にしたくなかったのです。現に、自分よりもフランクに話しかけられている友達を見るたびに嫉妬していて、そんな自分を情けなくも感じました。

そんな状態が2.3ヶ月続き。秋になった頃、部活が忙しくなり、昼休みも音楽室で合奏・パート練習する日々が続くと、なかなか授業以外で話すタイミングがなくなり、なんとなく疎外感がありました。

そんな不安の中、訪れた行事が修学旅行でした。私と彼は運良く同じ行動・部屋班だったので、たくさん写真を撮ったり、名所を巡ったり、喋ったり、ふざけてじゃれあったり、遊んだりしているうちに、その不安は綺麗さっぱり取れました。しかし、今度は自分自身のことについて悩み始めることになります。

速まる鼓動

修学旅行から帰ってきて、携帯を見ると、TくんのLINEのプロフィール画像が僕とのツーショットになっていました。僕はとても嬉して、テンションがhighになっていました。その時、久しぶりに鼓動が速くなり胸が苦しくなるあの感じがあったのです。少し困惑した私は、部活の友達に話したところ、「ただ単に、テンションがhighになったからじゃない?私も仲良くなりたい子に対してそういうことあるよ。」と言われたので、私は、「確かに。」と片付けてしまいました。

それから月日が経ち…

そんな出来事があってから、あっという間に3年生になり、クラス替えも行われ、Tくんとは違うクラスになりました。新学期が始まって1週間くらいまでは、休み時間にT君に会いにいってましたが、年度も変わったので、心機一転し、3年のクラスの関係性を大事にし、T君を考え続けることを辞めにしました。幸運にも、クラスにいい人が多かったので、そのクラスで温和に過ごし、受験勉強に明け暮れ、無事第一志望の大学に合格し、進学しました。(ただ、稀に彼のことを考えてしまうことがあり、その度合いは減りましたが、頭から離れなくなることは依然としてありました…)

久しぶりのT君からのLINE

大学に入学する直前の時に、久しぶりに彼から連絡がありました。内容はたわいない話でした。しかしその時、私の中に、胸が苦しくなるあの感じが再び現れたのです。

私は「流石におかしい。」と考え、ネット上で、いろいろ検索しました。その時から、セクシュアルマイノリティーについて深く考えることになりました。用語や定義はテレビでまあまあ知っていましたが、私は、小学校中学校の経験を拠り所にして全く自分に当てはめようとしなかったのです。

ゲイの自覚

『私は自分がゲイなのかそうでないのか。』約1年と3ヶ月間悩み続けました。

「高校時代に経験したあの変な感じは果たして恋愛感情によるものなのか、もしそうであったら小中学校の経験はどう説明をつけたら良いのか。」

「中学の経験から5年以上経つが、ひょっとしたらまた女性を好きになることがあるかも知れない。」

いろいろなことを考えました。しかし、一人ではどうすることもできなかったので、同じ大学の吹奏楽部に所属している同期のKに相談することにしました。

Kと大学生の私について

Kは、私と部活動のほか、同じ学部学科専攻に所属していて、いつも一緒にいました。大学の私は、高校とは違って、学部の友達も男子ばかりで、部活も同期にも先輩にもある程度男子がいたので、気を遣いすぎるコミュニケーションはしなくなり、心が楽でした。大学の中のコミュニティーで一番仲が良く、信頼できるのがKだったのです。

話を聞いてもらった結果…

私は彼に自分の恋愛やそれに付随する可能性のある出来事を全てKに話しました。彼は本当に親身になって話を聞いてくれて嬉しかったです。大学の空きコマの時間を全て使ってしまっても何の文句も不満も言わずにただただ付き合ってくれたのです。言葉の力は偉大で、自分の口から話して、回顧すると「T君に恋をしていた私」が浮き彫りでした。この時にようやく自分がゲイであることを理解したのです。他にも、ある系統の男子に抱く憧れのような淡い感覚は、私のタイプの人に対するときめきであったこともKと会話することで分かりました。

私としてはこれが人生で初めてのカミングアウトで、「男性である自分が男性に対して恋愛感情を寄せているかも知れない」という悩みを発した時に、Kに拒絶反応を出されてしまうのではないかとひたすらにドキドキしてたので、そのときは気が気じゃありませんでした笑。でも、Kは私のことをすんなりと受け入れてくれる最高の友達でした。

そして現在

私はこの出来事以降、Kを含めた大切な友達4人、大切な先輩1人、思わぬ形で伝えることになった後輩1人の計6人にカミングアウトをしました。

T君との関係はどうなったのかと言いますと、大学に入ってから掌をひっくり返したように向こうの返事が少なくなり、距離を置かれたので、感情が冷めてしまい、恋煩いもこのときピリオドを迎えました。現在は新しい恋を模索中です笑。

これが私の今までの恋愛の全てです。

今は、そして周りと同じような普通の生活を送っています。部活では副学生指揮者を奮闘しています。(コロナウイルスのせいでまともな活動はできていませんが…苦笑)

この事情を知らない部活の同期や先輩後輩と恋愛の話をするときなどに、やるせ無い気持ちにはなるときはありますが、いつか自分のタイミングで彼らに言える時が来るのを待とうと思います。

乱文そして長文であるにも関わらず、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

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