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1年3ヶ月不妊治療して妊娠した話。⑤

こんにちは、しおんぬです。

またまた、noteの更新はご無沙汰しております!


昨年12/30から切迫早産で入院生活を送っていましたが、2/15にようやく退院しました…!
退院してからは、自宅で安静にしつつ入院中で出来なかったタスクを少しずつ消化する日々で、ようやく大きなものが落ち着いてきたので
「出産までにnoteも書き切っておきたい…!!」という気持ちの元に、少しずつ打ち始めました◎

今後のnote更新予定ですが、
この『不妊治療に関する健忘録』は、本記事を含めて3つで終了となります。
その後は妊娠の話…といっても切迫早産と診断されるまでは大きなトピックも無かったので、
記事としては2つくらい書くかな?といったところです。
先日妊娠10ヶ月となり、計画無痛分娩の入院予定日までの日数も残り僅かとなってきているので、テンポよく更新出来るように頑張ります!

ただ、私自身は『いつ産まれてもおかしくない状態』と主治医から言われているので、万が一更新の途中で出産した場合は
育児のペースが掴めるようになってから、続きを更新して参りたいと思います!笑

さて、前回は2021年の医療費関係についてのまとめ記事を書きました。

今回からは、2022年の不妊治療について記していきます。
過去の記事の通り、2021年は体外受精の移植を1回行いましたが
2022年は移植を計3回行いました。
この記事では、2回目と3回目のお話をしていきます。
尚、今回は文中に流産の話を含みますので「辛い話は読みたく無いな…」と思われる方は、これ以上読まれない方がよいです!

1.2回目の移植と妊娠判定

1回目の移植が化学流産という残念な結果になり、暫くとても落ち込みましたが
「妊娠しやすい身体ってどういうことだろう?」と自身を見つめ直す、良い機会になりました。
ネットで記事を読んだり、図書館で本を借りて読んだり、今まで知らなかったこともたくさん学びました◎

2回目の移植までに、それまでも行っていましたがある程度適正体重に近づける為により一層ダイエットを頑張りました!
・食生活に気をつける、必要な栄養素をしっかり摂る献立を考える
(仕事の日のランチをサブウェイでお野菜たくさんor自分でお弁当を作るを固定に)
・適度な運動習慣を作る
(通勤を自転車から徒歩に変更、フィットボクシング2を定期的にする)
特にこの2つは重点的に行っていました。
ちなみに、ダイエットは不妊治療を始めた頃からスタートさせていて
最終的に8kg程落としたのですが…健康的な身体を作るという意味でも、とても大事なことだったと思います。

私にとっての2回目の移植周期は、2022年1月頭から始まりました。
生理が来て2.3日後に移植周期スタートの診察で病院へ向かったのは、ちょうど年始の仕事が始まった頃でした。
ただ、一度化学妊娠したこともあって子宮内に痕が残っているため
このままでは移植周期に入れないという結果に…泣
時間をあけてまたエコーしに来て欲しいと言われ、その日は帰りました。
その頃、焦ってもよく無いことは頭の中で充分わかっていながら
なかなか結果に結びつかない焦りが、少しずつ強くなってきていました。

1週間後また病院へ行き、残留物が綺麗になったので薬が処方されまた生理を起こすことに。
生理が来てからは、1回目の周期と同じように移植への準備で薬がまた始まりました。
この頃、既に2月に入っていまして…当時の派遣先が教育関係だったんですが、
どうやっても移植日がピンポイントで2月の試験に関する日に。。
どうにかずらせないか、めちゃくちゃ診察室で先生に食い下がったことをよく覚えています。笑
と言うのも、試験当日は業務が割と多いのでお休みにしたいと上司に掛け合うのが本当に億劫で…
でも、先生からは「その日じゃないと移植出来ないよ」と言われてしまい。。。
結局翌週出勤してすぐ上司に掛け合い、休んでも当日が回るように他の職員さんへ業務の割り振りのお願いをし、なんとか許可をもらえました。

1回目の移植と2回目の移植での大きな違いは、
アシストハッチングとエンブリオグルーというオプションを付けたことです。

1回目は初めてなので何もつけませんでしたが、
2回目以降は少しでも確率が上がるなら…とそれぞれ付けるようになりました。(勿論金額も上乗せされます)
移植当日は、1度経験していたのもあって随分落ち着いて病院に向かえました。

2回目の移植から約1週間後、妊娠判定の診察で病院へ。
前回移植時のhcgは54.9だったんですが、今回はなんと322.6…!
嬉しい陽性判定に、舞い上がりました。
まだ越えなければならないハードルは幾つもあることがわかっていながら、どうしても嬉しくて…
「自分は妊娠できない身体ではなかったんだ!」という喜びが強かったと思います。

2. 悲喜こもごも

妊娠判定からまた約1週間後、胎嚢確認の診察で病院へ。
無事に胎嚢も確認出来、子宮内妊娠であることも聴けてホッとしました。
「卵黄嚢も確認出来たので、次回の診察でクリニックは卒業ですね!
出産する病院への紹介状を書くので、次回までに決めておいてね。」
と先生から言われ、会計で相当待ったことも気にならずウキウキで病院を去りました。
急いで実家の母と派遣会社の営業担当へ妊娠したと連絡を入れ、
夫の実家や私の祖父母には母子手帳を受け取ったら連絡かな〜出産予定日が私の誕生日と近かったので、産まれたら誕生日ケーキは合同かな〜なんてことを考えていました。

そんな喜びも束の間。
職場のイベント事があるという日に、出勤すると朝から生理2日目のような出血が…
スライムのような赤黒いドロッとした塊も何度か出て、「これは只事じゃ無いな…」と思ったのですが
イベント中に担当している業務が夕方まで席を外せないものだったのと、たまたま水曜日でクリニックは午後の診察が休診だったので業務が落ち着いたタイミングでは電話確認が出来ず…
何度もトイレに行っては恐々と流れ出る血を拭って、その度に検索魔になり、
でも確証にたどり着くようなものが無かったので不安ながらも仕事をして、退勤後は自宅で安静にして過ごしました。

翌日も同様の出血が続くならクリニックに電話するか、と思っていたら少しずつ止まってきて…
少量ながら出血が続いていたのですが、
・3月という繁忙期で、なかなか仕事が休みづらかった
・次の診察まで1週間以上あったが、診察日が決まっていた
為に、そのままクリニックへ連絡せずに次の診察を待つことにしました。
早めに連絡して、診察してもらっておけば良かったのでは…と今となっては思ってしまいますが
当時は不安ながらも、なんとかまだ希望があると思いたかったんでしょうね。

3月半ばが過ぎた頃、クリニックを卒業出来るかの診察で病院へ。
すぐエコーに呼ばれて確認すると、お腹の中が空っぽになっていて先生から話を聞くまでも無く状況を察しました。
あ、私流産したんだ…やっぱり出血はそのせいだったんだ……と、全身から力が抜けていくのがわかり、待合でも呆然としていました。
当時、妊娠性歯肉炎のようなものになっていて歯医者にかかる予定もあったので妊娠継続しているのかな?と小さい希望を持っていましたが
しっかりと現実を突きつけられてしまい、診察室で先生と話したこともぼんやりと上の空で聞いていました。
不思議と涙は出なかったけれど、この事実をリアルタイムで夫に伝える辛さと自身のメンタルがぐちゃぐちゃになっていくのがわかり
会計が終わるタイミングに間に合うよう夫が近くまで来てくれ、お寿司屋さんへ連れて行ってくれました。
久しぶりに大好きなビールとお寿司だったのに全然元気になれませんでしたし、その日の夕方は2人でライブを観に行く予定になっていましたが全くそんな気分にもなれず…キャンセルさせてもらいました。

直接的な原因はわからなかったけど、その日の夜は全然寝付けず
翌日の仕事は上司に事情を話してお休みにしてもらいました。
(当時の上司はとても淡白な人だったので、流産についての連絡をしてもあっさりとした返事でした)
実家の母や派遣会社の担当営業にも流産したことを伝え、
次からはちゃんとクリニックが卒業出来るとわかるまでは、ぬか喜びしてはいけない…母子手帳がもらえる段階まではなるべく連絡を控えておこうと決めました。
ただ、その時に図書館から借りていた本に
『1回流産した人が、次の妊娠でも流産する確率はわずか12%
2回繰り返したとしても、偶然が重なっただけという可能性が高い…(略)』

と書かれていて、何も考えられなかった私にとってそれだけが救いでした。

クリニックでもらった薬を全てやめて、歯の痛みが凄くて歯科に行ったら妊娠性歯肉炎というよりは虫歯が数本ある(!)ことがわかり
ここから暫く虫歯治療で通うことになります。
出産を控えた今だから言えるのは、このタイミングで歯の治療に行っておいて本当に良かったです。
この頃は前向きに捉えられなかったし、どこか毎日ぼんやりしていて不意に悲しくなることも多かったけれど…
自分にとって必要な時間だったのだと今では思えます。

芸能人の妊娠出産のニュースを見てふと泣いてしまったり、
友人の出産報告を心からお祝い出来なかったり、
なんて自分は心が狭いんだろう…と考えがぐるぐるしてしまうことも多かったのですが
凍結している胚がまだたくさんあることが、本当に残された希望でした。

3.流産を経て、3回目の移植

4月に入り、またクリニックに診察で行くようになります。
hcgの数値が下がってきたので、次に生理が来たら移植周期スタートしましょうという話に。
ちょうど不妊治療に対して保険適用が始まったタイミングでしたが、
4月以降も1回であれば助成金が受け取れるとのことだったので(保険適用になると使えない薬がある関係で)自費診療での移植を決断しました。

ただ、この後なかなか生理が来ません。。。
移植周期に入れないことでまた焦りが出て、クリニックへ電話すると次週通院することになりました。
結局プラノバールをまた飲むことになり、飲み切って生理が来た5月中旬から3回目の移植周期がスタートしました。
流産した後ずっと生理が来ず、謎の不眠も続いていたのですが
約100日ぶりに生理が来たことで次の移植が出来る!と気持ちが上がりました。
ただ、生理の出血を見て流産の時の出血を思い出してしまい…気分の浮き沈みが激しかったです。

3回目の移植は、6月の頭になりました。
仕事も少し落ち着いた時期だったので、サクッとお休みが取れて良かったのですが(2月の時とは随分違って笑)
移植から約1週間後の妊娠判定で、初めての陰性を言い渡されました。
これまでの2回では上がっていたhcgの数値が、全く上がっていませんでした。
なんとなく毎回陽性だったので今回も大丈夫と思っていましたが、そう毎回上手くいくものではなかったようです。
先生にも移植前から内膜がいつもより薄いとは言われていたので、あっさり納得して3回目の周期は終わりました。

全体的に辛く悲しいお話が多くなってしまいましたし、
記事がとても長くなってしまいましたが、ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。
次の記事で、幸せな方向に展開しますので!
それではまた、近日中に更新致します!

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