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コート・ダ・ジュールの漁師を護る聖人

聖ペテロ

使徒となったイエスの弟子たちには漁師が多い。
最初に弟子となった聖アンドレ、兄の聖ペテロも漁師だったことから、漁師、豊漁の守護聖人になっている。
地中海沿岸、ことに南仏コート・ダ・ジュールの漁港の多くが聖ペテロを守護聖人にしていている。
聖ペテロの祭日(6月29日)を前後に各漁港、各町村で聖人の祭日が祝われる。
フランスの祝祭事は、その前後の週末に移動していることがある。
今回、要領良く回れば、3つの漁村の聖ペテロの祝祭事を取材可能と知り、6月下旬にコート・ダ・ジュール聖ペテロのフェス・ラリーを組んでみた。

聖マキシム教会での晩の祈り

コート・ダ・ジュールサン・ピエール(Saint Pierre 聖ペテロの仏語)の祭事は、祭日前日の6月28日、「サント・マキシム」の町の港近く、聖マキシム教会での晩の祈りから始まった。
17時から始まった晩の祈りには、住民たちが南フランス、プロヴァンス地方の民族衣装を着て参加していた。

教会前からプロセッション(祈祷行進)の出発

晩の祈りを済ませた18時頃、レジャー港へ向けて横縞のマリン・ルックの男性たちがサン・ピエールの聖像の御輿を担いで海岸線へ。
サント・マキシムは、11世紀初頭にニース沖のレランス島の修道院の修道士たちが作った宗教色の強い町だったが、現在は南仏でも人気の海浜リゾートになっている。

海岸線のプロセッション

サント・マキシムには、ヨット・ハーバー、セーリング・スクールもあり、水上スキー、ジェット・スキーなども楽しめる。
年中温暖な気候が続くことから一年中リゾート客が絶えない。
港湾対岸のサン・トロペが、金満著名人の集まる超高級海浜リゾートであるのに比して、サント・マキシムは庶民的な海浜リゾートとしてフランス人にも人気が高い。

海上運行

サン・ピエールの御輿のパレードは、レジャー港の先端にある桟橋から遊覧船にのせて、サン・トロペ湾を約1時間ほど海上運行して幕を閉じる。
小1時間の運行中、同船する漁師たちは日ごろの豊漁への感謝の祈りを捧げ、さらに漁の無事を祈願する。

サン・トロペでの松明の行列

祭日の前夜、サント・マキシムの対岸の「サン・トロぺ」でもサン・ピエールのプロセッションがある。
21時から始まる宵の祈りに合わせて、大急ぎでサン・トロぺ被昇天の聖母マリア教会(Notre Dame de l’Assomption)へ向かった。
到着すると、教会には多くのパレード参加者が集まり、松明の行列の準備が始まっていた。

被昇天の聖母マリア教会、堂内からの出発

被昇天の聖母マリア教会内に顕示されていたサン・ピエール像を御輿にのせて、堂内からプロセッションは出発。
担ぎ手は漁師たちから始まり、海運関係者たちが交互に担いで旧市街を巡る。
この教会には、サン・ピエールと共にサン・トロペの名前の由来となったピサの聖トルペスの聖像も顕示されている。

旧市街内のプロセッションの様子

被昇天の聖母マリア教会から出発したプロセッションは、アップダウンの多いサン・トロペの旧市街を通リ、海岸線を廻り、再度教会へ戻る。
サン・トロペでは、漁師、海運業者、保険業者など海にかかわる約200名参加の男性主体のパレードだった。

「アンティ―ブ」サン・ピエールの祭日は、早朝7時から。
アンティーブピカソ美術館に隣接する無原罪聖母マリア大聖堂(Cathedrale de N.D. de l'immaculée Conception)の朝の祈りから始まる。
この地にはローマ帝国時代にミネルヴァ神殿があったらしい。

アンティーブの教会前

約1時間のサン・ピエールの祭日のミサの後、胸に多くの魚の金型を下げたサン・ピエール像を御輿に載せて港に向けて8時半頃にプロセッションは出発した。

旧市街の行進

マリン・ルックの漁師たちに担がれた御輿は、旧市街を取り囲む城壁を出て、ヴォーバン港の広場に特設した祭壇に向かう。
特設祭壇で司教が港と港湾従事者たちを祝聖した後、港湾を一周して再度旧市街へ。
祝祭事の会場となるヴォーバン港の広場では午後から仮設レストランが開催される。

レストラン・ルルザンの前で

ヴォーバン港から大聖堂に戻る途中、旧市街の中心地にあるレジスタンスの殉教者広場に面した老舗魚介料理レストラン・ルルザン(L'Oursin)の前で司教がレストラン、魚介類を祝聖した後、子どもの代表がサン・ピエールへ賛辞の詩を朗読した。

サン・ピエール(マトウ鯛)

コート・ダ・ジュールでは春から初夏にかけて、胴体に「聖ペテロの指の跡」といわれる大きな黒斑があることから、"サン・ピエール"と呼ばれる魚(マトウ鯛)が旬を迎える。
体長40〜50センチメートルの"サン・ピエール"は、コート・ダ・ジュール名物のブイヤベースにして食されることも。


聖人録

聖ペテロ

Petrus

「サン・ピエール」はフランス語、ラテン語で「ペトルス」と呼ばれる。
イエスの12使徒の1人で、イスラエル北部ガリラヤ湖に近いベトサイダで、漁師の息子として生まれ、シモンと命名された。
先にイエスの弟子になっていた兄弟アンドレアの導きでイエスを知った。
その時、イエスは「汝の岩ケファ(アラム語、ラテン語でペトルス)の上に教会を立てん」と告げたため、シモン改めペテロと名乗るようになった。
ペテロは、ゲッセマネの嘆き、最後の晩餐などなど数々のイエスの重要な公生涯の生き証人であった。
イエスは、ペテロに初代教会を託し、天国の鍵を与えた。
聖ペテロはアンティオキア(現シリア)、その後ローマに行き、計33年間、初代教会の司教を務めた。
教会の礎を築いた聖ペテロには、聖ペテロ使徒座の祝日が2月22日にも設けられている。
聖ペテロは当時のローマ皇帝、ネロの残忍極まるキリスト教迫害の犠牲となり、現在聖ペテロ(ピエトロ)大聖堂が建つヴァチカンの丘で殉教した。
その際、イエスと同じ十字架では畏れ多いと申し出て、逆さ十字の刑で処刑された。
殉教の地には墓が築かれ、後世、その上に聖ペテロ大聖堂が建立された。
現在も聖ペテロ大聖堂の主要祭壇の下には、聖ペテロの墓、歴代の教皇たちの墓がある。
英語の「ピーター」を始め、「ピエトロ」「ピエール」「ペドロ」と、欧州では今日も人名として広く好まれている。
聖ペトロは橋梁建築者(Pontifex)、漁師、鍵の錠前師、修繕業者、石工、時計職人、鍛冶屋など、その他多くの職業の守護聖人になっている。

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