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石原慎太郎の『遭難者』について

 石原慎太郎が1992年9月に新潮社から上梓した短篇集『遭難者』はどうも文庫にはなっていないようで、それほど読まれていないのかもしれないが、「遭難者」の感想も記しておきたい。(以下、ネタバレが含まれる。)

 主人公の村上は暮れの26日に出発して正月の松の内にゴールする日本・グアム間のボートレースに他の十人のクルーと共に参加することになる。村上は最年少で前甲板員フォアデッキマンを任されるのだが、「なにかのはずみ(p.21)」でクルーの島田が落水してしまい、保安庁経由で横須賀の巡視船「くりはま」の捜索救助の要請するのだが、「くりはま」が現場に到着した際の気になる文章を引用してみる。

 無線の交信の後加納さんが、
「むこうは、この船の救急の要なしやといってるけど」
「それはどういうことよ」
「むこうから眺めれば、こちらも遭難しているように見えるだろうな」
加納ドクターは笑いもせずにいいました。確かにそれはみんなの密かな心中だったと思います。
「そうはいかない。この水温なら、あるいはまだ生きているかもしれない」
 挑むように艇長にいわれて黙ってうなずき無線に戻りかける加納さんに、
「いや、出来たら松島さんだけはむこうに移したらいい。だいぶまいっている、吐いてるタオルを見たら胃液だけじゃなし血が出ていた」
 ドクターもうなずきました。

「遭難者」p.26

 つまりこの時点で村上たちが乗っている船に問題はなく凪の状態だったはずで、問題があるならばこの時点で松島だけではなく全員移れば助かったのである。ところで落水した島田はどうなったのか?

後で知りましたが、島田さんの遭難の地点は北緯32度21分、東経140度18分、八丈島南東約120マイルでした。

「遭難者」p.22

 つまり当時村上を含む他のクルーたちは知らなかったが、島田は既に救出されていたと見なしていいだろう。

 「あかね」がようやく到着し、曳航用のロープを繋ぐリードロープをヨットに渡そうとするが上手くいかないまま、夜間の移転は諦めて夜明けに再開することになったのだが、ますます強くなってきた時化しけでヨットが転覆してしまい、唯一脱出できた村上だけが救出されるのである。そのシーンを引用してみる。

「ありがとうございました」
 いいながらなぜかいっている言葉の実感がなかった。
「こんな海で、人を助けるのはこっちが初めてだよ」
 誰かがいい、
「あんたは一人なのか、ほかはどうした」
「ほかは流されたのと、多分、まだ中に」
「中に」
 息を呑むようにして班長らしい男がいい、
「いったい何がおきたんだ。夜中に急にヨットの灯りが消えたんだよ」
「キールが外れて、落ちたらしい」
「そんな、なぜ、なにかに当たったのか」
「いや、波のせいでしょう」
 それきり誰もなにもいわなかった。

「遭難者」p.48-p.49

 以上の引用を踏まえて村上の仕事に対する信条が書かれた部分を引用してみる。

 船では、たとえ吃ろうが吃るまいが、ヨットというのはフォアデッキで作業している限り一人私がへまをすれば私だけではなしに船が沈んだり、みんなが死にさえもする。私は十分それを知ってきたし、私に関しても皆そう心得ていてくれるはずです。

「遭難者」p.18

 つまりこの海難事故は事故を装いながら実際は村上が仕組んだ殺人事件なのである。「あのヨットの中に、まだ誰かがいる可能性はありますか」と訊かれた村上は以下のように答えている。

「あると思います。私の他にもう一人中から脱出しましたが、彼は途中で力がつきて水に落ちました。」

「遭難者」p.50

 村上はもう一人がナビゲイターで無線係の加納ドクターであることははっきり認識しているはずなのだが、「もう一人」と敢えて名前を出さないところに村上の加納に対する後ろめたさを感じるのである。

 ということで「遭難者」もまた傑作といっていいと思うが、実は本題はここからなのである。2016年の田原総一朗との対談で石原は『遭難者』を上梓した際には一行も書評が出なかったと嘆いているのだが、正確に言うならば「新潮」平成四年五月号初出の「遭難者」に関して時評を書いている人物が一人いる。1992年文芸誌「すばる」で文芸時評を担当していた文芸評論家の絓秀実である。絓は以下のように記している(『文芸時評というモード 〜最後の/最初の闘い』集英社 1993.8.10)

相も変わらぬ石原「実存主義」の押しつけがましさにも飽きあきだが、もうひとつ、いくらなんでも話法に工夫がなさすぎる。最近あった事件(遭難したヨットからの奇跡的な生還者の話)をたちまち作品化するという安易さと釣り合っているのであろう。

『文芸時評というモード』p.142

 既に指摘したように「遭難者」における石原の「話法」は細かい配慮の上に成り立っているはずだが、絓は石原の話法を捉え損なっていると言いたいわけではない。かりにも文芸評論家の渡部直己と共著で二度にわたって『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993年と2004年。共に太田出版)を上梓している文芸評論家が石原の話法に気が付かないはずがないのである。つまりこれは「政治信条」が正反対の石原に対するバレないようにバカを装って悪意を込めた言いがかりなのであるが、だからといって石原を支持している人たちが石原の小説を「正確」に評価しているようでもなく、要するに石原の小説はずっと「政争の具」扱いで、まともに論じられたことなどないのである。
 いつか石原の「キャラ」を全く知らない若手の研究者によって石原の小説が再評価される時が来ることを願う。