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オウィディウス『変身物語』の翻訳について

 最近になってオウィディウスの『変身物語』(講談社学術文庫 大西英文訳 2023.9.7)の新訳が刊行された。以前から気になっていたオウィディウスのテキストの翻訳に関して記しておきたい。

 前提となるラテン語の原文をウィリアム・S・アンダーソン(William S. Anderson)が編集したテキストから問題とする箇所を引用してみる。

Errant exangues sine corpore et ossibus umbrae,
parsque forum celebrant, pars imi tecta tyranni,
pars aliquas artes, antiquae imitamina vitae.
exercent, aliam patrem sua poena coercet.(Book 4 443-446)

 最初に人文書院版の『転身物語』(田中秀央、前田敬作共訳 1966.6.25)から同じ箇所を引用してみる。

 肉も骨もない、血の気の失せた亡霊たちが、ぞろぞろ歩きまわっている。
盛り場にくりだす者もあれば、この地下の王者の宮殿を訪ねる者もあり、
むかしの生活を思いださせるようないろんな仕事にたずさわっている者も、また、罪のむくいを受けている者もある。(p.137)

 次に岩波文庫版の『変身物語 上』(中村善也訳 1981.9.16)から同じ箇所を引用してみる。

 肉も骨もない、生気のうせた亡者たちがここをうろついているが、ある者は広場につどい、ある者は冥王のやかたに参集する。生前をそのままに、何かの仕事に励んでいる者もあれば、定められた刑を受けている者もある。(p.159)

 次に京都大学学術出版会版の『変身物語 1』(高橋宏幸訳 2019.5.31)から同じ箇所を引用してみる。

 そこには血を失い、肉も骨もない亡霊たちがうろうろしている。
 広場にたむろしたり、冥王の館に集まったりする者、
 また、生前を思い起こし、それぞれの技術を
 駆使する者、さらには、罰せられて刑に服する者がある。(p.181)

 次に講談社学術文庫版の『変身物語 上』から同じ箇所を引用してみる。

 肉体がなく、骨がない、血の気の失せた死霊たちが彷徨さまよい、
広場にたむろする死霊たちもいれば、底深く鎮座する冥王の館につどう死霊たちや、
生前の生業をそのまま真似てわざに励んでいる死霊たちも
おり、また刑罰に服している死霊たちもいる。(p.206)

 翻訳は日本語だけに限らない。次にフランク・ジャスタス・ミラー(Frank Justus Miller)の英訳を引用してみる。(Harvard University Press Second Edition 1921)
(注として「exercent, aliam patrem sua poena coercet.」
This line, included in some manuscripts, is rejected by most editors. と書かれているので、最後のラインの訳が省かれている。)

 There wander the shades bloodless, without body and bone. Some throng the forum, some the palace of the underworld king; others ply some craft in imitation of their former life. (p.209)
(体も骨もない血の気のない亡霊たちがそこをさすらっている。広場に押しかける者たちもいれば、冥王の館に押しかける者たちもおり、自分たちの前世の人生を真似て仕事に励む者たちもいる。)

 次にメアリー・M・イネス(Mary M. Innes)の英訳を引用してみる。(Penguin Books 1955)

 Lifeless shadows without body or bones wander about, some jostling in the market-place, some round the palace of the underworld's king, while others busy themselves with the trades which they practised in the old days, when they were alive. Others, again, are subjected to punishment, each according to his crime. (p.114-115)
(体も骨もない生命のない亡霊たちがさまよっている。市場の中で押し合いへし合いする者たちもいれば、冥王の館を取り巻いている者たちもおり、彼らが生きていた頃の過ぎた日々に従事していた商いで忙しく立ち働いている。また、他の者たちはそれぞれの罪に応じて罰を受けている。)

 最後にジョルジュ・ラファイエ(Georges Lafaye)の仏訳を引用してみる。(Gallimard Le 7 Septembre 1992)

 Partout vont et viennent des ombres exsangues, sans chair et sans os; les unes se pressent au forum, les autres dans le palais du souverain d'en bas; d'autres se livrent à divers travaux qui leur rappellent leur vie d'autrefois; d'autres subissent le châtiment qu'elles ont mérité. (p.149)
(肉体や骨を持たぬまま血の気の失せた亡霊たちが至る所に行ったり来たりしている。広場に押しかける者たちもいれば、地下の支配者の宮殿に押しかける者たちもいる。かつての彼らの人生を彼らに思い出させる様々な仕事に従事する者たちもいれば、彼女たちが当然受けるべきだった罰を受ける者たちもいる。)

 改めて原文を記して和訳してみる。

Errant exangues sine corpore et ossibus umbrae,
parsque forum celebrant, pars imi tecta tyranni,
pars aliquas artes, antiquae imitamina vitae.
exercent, aliam patrem sua poena coercet.

 こまかな文法を説明すると繁雑になるので、簡単に訳してみると、「sine corpore et ossibus」は「体や骨無しに」、「exangues umbrae」は「生命の無い幽霊たち」という主格の複数形、「Errant」は「erro 放浪する」の三人称複数現在形となる。
 「Pars……pars……pars」は「Par」の主格の三人称複数形で「~な者たちもいれば~な者たちもいる」となり、「forum」は「広場に」という対格で「celebrant」は「celebro 殺到する」の三人称複数現在形となる。「imi」は「下界の」の属格で「tyranni」も「支配者」の属格、「tecta」は「tectum 神殿」の対格で、「celebrant」にかかる。
 「artes」は「ars 手段」の複数の対格、「antiquae vitae」は「以前の人生の」という属格で、「imitamina」は「imitamen 模倣」の複数の対格と見做して両方とも「exerceo 実行する」の三人称複数現在形「exercent」にかかる。
 「sua poena」は「その罰が」という主格で、「aliam patrem」は「他の者を」という単数形の対格で、「coercet」は「coerceo 罰する」の三人称単数現在形となる。
 意図的に一語残しているのだが、「aliquas」はどの翻訳も「aliquis 数々の」という程度の意味で訳されており、それほど重要視されていないのであるが、個人的には「aliquis 他のもの」という意味で「artes」にかかると見なしたいのである。つまり「aliquas artes 他の手段で」という意味になるのだが、現世ではなくあの世での手段でという意味に取り、主人公(審理人(iudex privatus)?)は自分が死んだことに気づかずに現世でしたことと同じこと(antiquae imitamina vitae)を実行し、冥土のやり方を(aliquas artes)を実行したと捉えてみたいのである。

 これは正誤の問題ではなく、物語として面白いか面白くないかという問題なのである。何故ならオウィディウスは詩人として間違いなく天才なのであるが、『恋の技法』なども書いている「ふざけた男」でもあり、個人的にはふざけ過ぎたから皇帝アウグストゥスによってトミスへ追放されたと睨んでいる。
 ラテン語を学ぶような真面目な学者気質の人たちにオウィディウスの「冗談」のニュアンスがくみ取れるかどうか疑わしくはないだろうか?