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■89アニメ「ぽんのみち」はなぜ麻雀をしないのか

麻雀のアニメですから、「アカギ」や「哲也」といった勝敗や駆引きを想像しましたが、本作では殆ど麻雀をしません。かわいい女子高生たちの日常、一年間を12話に纏めた作品であります。

すばらしい作品なのですが、というと不思議に思われるでしょうが、私はおもしろいと感じました。時代背景が良い意味で出ているなと。

白黒はっきりするとか、熱い友情はテーマとして一般的で面白いですし、対照的ないわゆる日常系も面白いのですが、本作は時代を反映し「相対化しない」という特性がはからずも出ています。

作者や製作委員会ではもちろん麻雀の一面を描こうとしているわけですが、海で遊び、登山をし、料理をし、麻雀をし、という日常が一連になっているため、私などはナシコが「今日は麻雀をしない!」といった時には「そうだそうだかわいい娘が五人もいて麻雀なんて」などと思ったくらいです。つまり麻雀でなくとも良いので、本作はあまり麻雀に拘りません。

海や山や料理や麻雀の扱い、距離感が同程度である本作ですが、人間関係も相対化されない、薄氷を踏むような機微のある関係でして、イズミが「ナシコならすぐ分かるよ!」とか、パイが「やるときはやる子!」と自然にさらっと評しているのですが、とても現代的に感じます。私はそんなこと友人に言いませんし、サザエさんにも出ない台詞ではないでしょうか。言っても違和感しかありません。

ヒロイン役たるリーチェが対戦相手を圧倒し、男性役たるハネルが異質にも関わらず相対化されずに取り込まれてゆく様は熱量もなく、辻褄合わせもなく、おっとりとした気品を感じます。

いまどきサザエさんやレイアースでもないでしょうし、ぽんのみちのような風景画がアニメになるとは驚きでした。

ただ、手放しで本作を賞賛するものではありません。例えばイズミが一度も登場しない回があったとして、誰が気付きますでしょうか。相手を尊重しつつ相対化しないという事は平面的なんです。アイデンティティーが薄い。私は作中で最も良心的なイズミが好きなのですが、言い換えれば没個性的なキャラクターなんです。

ところで、「スライム倒して300年」というアニメが2021春にあります。10話でデスメタルを批難しつつ、コード進行のバラードを推薦する場面がありますが、これが相対化の一例でして、あまりアニメに向いていない内容かなと感じます。「ぽんのみち」とは正反対に、中心にバラードを置き同心円を描き、周縁を野蛮な未開としているわけで、作者はまさかアイアンメイデンが爵位を授かり、リンキンパークが20億再生だなんて考えもしていないわけです。1900年代ならまだしも、2020年代の作品とは思えない内容だと感じます。