見出し画像

■91アニメ「スーパーカブ」なぜ小熊に両親はいないのか

静かで豊かな作品です。女子高生のバイクのある日常をゆったり描いておられますが、むしろ私はハラハラしていました。深夜にバイクで出て事故にならないかとか、メガネでドレインを外そうとしてバイクが倒れないだろうかとか、けっこう緊張してました。

ところで、ある解説動画で「小熊の父親は事故死」「母親は蒸発」「アニメでは分からないが原作の漫画にある」とありました。

これは私としては迷うのです。アニメをテクストととして扱いますと原作を論拠とはできませんから、小熊に両親がいない理由は不明としかいえません。しかし作品論として扱いますと、原作を論拠として採用できます。

私がアニメを見ようと構想して一年、500作あまり拝見しましたが、いまのところアニメをテクストとして扱おうと考えております。なぜならアニメを見る視聴者がかならずしも原作にあたるとは思われないためです。

さて、アニメ「スーパーカブ」小熊に両親がいない理由を、アニメしか見ていない視聴者に向けて解説したいと思います。

とりあえず、登場する大人を考えます。教員、バイク屋の爺さん、コンビニで声を掛けてくれたドライバー、椎の両親でしたね。そういえば礼子も一人暮らしを希望し、親は登場しません。
さて、「はやく帰れ」というドライバーや、オイル交換をしてくれるバイク屋、これは父親の代理といえます。つまり実父は不在で、作中では生死すら分からないわけですけど、父性はちょいちょい介在しているわけです。礼子の両親も同時に不在として扱われている点を考慮しますと、作中では「父親の死を嫌い不在として扱う」配慮が考えられます。

小熊に声を掛けたドライバー、小銭を落としていましたね。ガソリンを小熊に想起させる場面ですが、もしかしたらあの男、父親だったりして、ね?