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■77アニメ「殺戮の天使」超人哲学と殺戮

ゲームが原作のためか、やや破綻した場面もありますが、興味深く拝見しました。作画がとてもよく、声優も全キャラとてもよく合っていると感じます。

興味深い、といいますのは、レイもザックもニーチェのいう「超人」ではなかろうかと推定したためです。つまり道徳からの迫害を、死への憧憬とし、超人的能力を殺人とした場合、二人の有り様をよく理解できるんですね。辻褄が合うのです。

どうしても、ザックがレイに対して「神はいない」という発言から、レイの聖書への信仰に本作のモチーフがあるかのように見えますが、「神の死」をいうなれば「超人哲学」をモチーフと観るべきでしょう。

私が本作を解説しますと、
高い能力を生まれ持ったレイチェルは、母親を殺害した父親を殺害したため、その能力を殺傷能力に向ける。しかし聖書のいう神、良心に苛まれ多重人格となり、記憶喪失となっていた。
一方ザックは幼少期からの虐待のため、歪んだ感情に生きていたが、高い身体能力から殺人に長けていた。
二人に注目した神父はビルを建設し超人の世界を観察する

となります。

追記:ラストシーンについて
原作ゲームで二人は行方不明とナレーションされるため、二人共に生き延びている「明るい読み」があるそうです。しかしアニメにそういったものは見当たりませんから却下とします。
「暗い読み」、レイチェルが生きる証(死への憧憬)としていたナイフを残し、窓枠には血痕が描かれているため、レイチェルはザックに殺害され、ザックも射殺されたと考えられています。
私は両者とも却下としています。ひとつ、レイチェルが残したナイフはザックが来たため必要なくなったため手放した。ふたつ、レイチェルとザックは窓から飛び去っているため窓枠に血痕は残らない。みっつ、アニメというテクストにはゲームにあるナレーションは存在しない。
つまり?
私が採用するのは「誓い」という台詞の一点にあります。この誓いとは作中にて神への信仰から人間同士の約束へと書き換えられてゆきます。ザックが殺すまでレイチェルは生きるという約束。言い換えればザックがレイチェルを看取るまで一緒にいる約束です。殺す=殺害=死 と考えるのは短絡的ではないでしょうか。