◆剽窃について 2◆

●2024年2月2日
昨日、内田先生の「盗作」の問題をお知らせいたしました。その際、先生からストーカーへ指揮が続いているとお知らせいたしました。そして、本日もございました。まだ文脈の効果が冷めないうちに皆様に周知させていただきたいと思います。
こちらが主張したやまれない心情、ご理解の助けになりますことを祈ります。下記になります。


【内田樹先生と集団ストーカー】
文脈の記憶が新鮮なうちに記録を取られていただければと存じます。
【朝一仕事は信濃毎日の連載エッセイ。「文字が書けない子どもたち」について書きました。罫に沿って、ます目の中に複雑な字形を書き込むためにはかなり精度の高い身体運用が求められますが、どうもそれを苦痛と感じる子どもたちが出て来たようです。包丁で葱を刻むのも針の穴に糸を通すのも苦手。】
(続きです)【幕末明治の首切り役人だった山田朝衛門は300人の首を斬りましたが、首を落とす間に涅槃経四句を読んだそうです。柄に人差し指がまきつくときに「諸行無常」、中指で「是生滅法」、薬指で「生滅滅已」、小指で「寂滅為楽」で首が落ちる。一閃の間に16音。】

(続きです)【コンマ数秒の動作を16に分節できる精度の高さがすさまじい斬撃力を生み出したのです。精度の高い、分節数の多い身体運用を子どもに教えるのは、それが直接「生きる力」に結びつくからです。横に一本線を引く間に、勢い、太さ、濃淡を変えることのできる身体を作るために子どもに書字を教えた。



●2024年1月29日
すぐに周知の方に戻ろうと思うのですが、本日も、「二次創作、盗作」に関するカウンター、ご批判が寄せられているかもしれず、そちらに触れておいた方がいいような気もしていますが、どうなのでしょう…
その手の情報が「再放送」で繰り返されているということでしょうか…

数日前に内田先生からストーカーのかたへ「モノマネ」という指揮が出されたと思います。(先生には複合的な違法行為の教唆、おやめください)

〇これは、先生から本日のメッセージです。
【【未公開ネタ解禁】集え!どうでしょう藩士にしか伝わらないモノマネイベントが復活!
先生から突然、お笑いイベントの告知、その内容を加味して考えると誰に宛てたものかは述べるまでもないように思われます。

その際、過去の私の文章と(内田先生のものも含めた)参照文章が同時に公開されたということでしょうか…。内田先生に対しては、かつてご返答いたしましたのでそちらをご紹介いたします。

オリジナルは5年ほど前、騒動開始からは3年以上過ぎての文章になります。
『剽窃について ー再掲バージョンー 』
https://note.com/xr448/n/n1e55d7316f45
英訳バージョン『Plagiarism -Reposted version 』
https://note.com/j_oot/n/n043ecb96f01f

内田先生が提出する私宛てと思われるサインに“剽窃”“盗用”があります。
ギャングストーキング以前のテキストですが、振り返っても、現在行われていることと変化がないようにも見えるのではないでしょうか。なぜ、これが長期にわたってという疑問も浮かばれるかもしれません。ご反論に及ぶまでこれほど時間がかかったのは、、先生がたまに挟み込まれる水面下のメッセージ「盗作」が、どこまで本気で言っているのか、本当に自分に向いているのか、理解できなかったのです。これは誹謗中傷ではなくご批判ですから、一般的には、ストレートに主張すれば済むことにようにも存じます。ですが、長年にわたり、日本を代表する権威であられる方が面白おかしく「ほのめかし」でたまにささやかれるというのが、その言行不一致も含めて、当時はまだよく理解できず、3年もかかってしまいました。「こちらからご反応した方がいいのか」「でも、本当に盗作を問題にしていいのか」「でも…」と煩悶していました。いまを考えると、まだまだ序の口と言っていい頃です。

当時、こちらが提示し論点は3点になります。

①先生が日頃述べているコピーライトの考察と矛盾していること
内田先生【“私はどんな論件に関しても、自分の知見に独自性があると考えていない(今回の本も、ほとんど先人からの受け売りである)。なので、真似するなとか著作権が蜂の頭とかややこしいことは言わない(というより言えない)。”】
私は先生の愛読者でしたので、執筆時にはコピーライトに関するお考えは知っていましたが、今までの発言はすべてウソだったのでしょうか。
お立場の違いはよく分かっております。ご無礼に当時、直接先生にお問いかけさせていただいています。

②「盗作」のサインが繰り返されていること
先生の呪詛論です。
【人間の存在を記号化し、単純化することで、相手の破壊を目指すものであり】【言論の自由に「呪詛する自由」は含まれない。】
①と同様、お言葉とおふるいまい、ベクトルの向きが逆に。

③著書に出典が挙げられていないこと
【私が参照したものを含む2つの作品に関する分析は、かつて雑誌などを通じて知っていたものでした。】
にもかかわらず、【(先生の著作物には)参照した分析を含む一連の研究の出典は見つけられませんでした。】
【上のことは、先生とSNSでサインの交換の上、確認を取っています。】
こちらも言行が不一致であることをご指摘させていただきました。

【筆致に影響はあるかもしれませんけど、「文章の一致」や「コピペして語尾だけ変える」といったものはありません。】
【映画情報サイトのコメント欄には形式的に馴染み悪く、権威付けでマウンティングするように思えたのも大きな理由でした。】

補足しますと、集団ストーカーのかたが合流する前の文章ですので、現在、集団ストーカーのかたが何を提示しているのかは把握てきていません。常にそうなのですが、皆様のコンセンサスと一方的にギャップを開くだけの文章になっているかもしれません。そうでなければいいのですけど。
原理的には、ストーカーのかたの言い分は言い値になっています。法廷の現場を把握していないまま可能性をお書きします。実際には行っていないかもしれませんが、それが本当に自分の文章なのか、加工・編集はないのか、ウェブ上に自分の意思で発表したものなのか、メモ書きではないのか、それらが混在したものではないのか…この考えの中には根拠のない可能性のものもありますが、いやな考え方ですが、ターゲットである状況を考えれば工夫は「いくらでも」と思ってしまいます。

■ここでは、また別の例を明示させていただければと思います。といっても、拙稿『剽窃について』を読まれていない方もきっといらっしゃると思いますので、そのかたに向けて少し輪郭をクリアにする文章となります。長文が続きましたので、過去の文章を読むのも煩わしいというかた、ひょっとしたらこちらの方が多数かもしれません。手短にでもくっきりとお伝えすることができればと思います。
どちらかと言えば、自分のため、将来の記録としてリライトすることに重きを置いて残すことを旨としています


一昨日は、「盗作」「二次創作」について私の2の例から、2つの文脈についてお話しました。
1つは、映画情報サイトに書かれた趣味的な文章と、集団ストーカーという種の軟禁状態から書かれた救助と周知を呼びかける文章。洗練やオリジナリティを競うも、すべて自由のもと語られた言葉と、多重な犯罪行為と人権を蹂躙される緊急状況で発された言葉。二つの文脈には大きな溝が存在していることを述べました。

そして、『剽窃について』でとりあげさせていただいたのは、もう一つの問題でした。内田先生の盗作、二次創作問題です。

これはより厳密な参考文献の掲載を求められる大学教授(当時)が、商業的な著作物において、海外の資料を翻訳、紹介して、その参考文献を掲載しなかったというのが、「盗作」「二次創作」の文脈になります。(ちなみに、ご著書には多くの参考文献が掲載されているのですが、対象となっている元ネタの批評が載っていませんでした。)
先生と私ではお立場の違い存じています。平素ならありえないことですが、私は今現在、先生からストーカーのかたへのご指揮で「盗作」を指摘されてる立場です。詳細のご指摘をご容赦いただきたければと存じます。(複数の違法の問題含んでいますので、おやめください)

【いや,引用は「無断」でかまわないんですよ。問題なのは出典を挙げずに自分の文章であるかのように書いていることであって,それは引用ではなくて盗用,剽窃というのだ。】

これは当時、私に向けられていたメッセージの1つです。私は学生の頃に、元ネタとなっている批評を読んでいましたので、どう反応すればいいか、ご反応に困惑しました。でも盗作のメッセージが送られる、これが長い間続きました。
無料の映画情報サイトで書かれた素人コメントの言葉。これに対して、現在、日本の知的エスタブリッシュメントであり、大学の理事長であるかたが、コピーライトの権利をほのめかしの形式ではあるのですが、主張されていたという構図です。これが3つ目の「盗作」の背景です。

赤裸々な文章になっていると存じています。正直なところを申し上げますと、私には盗作などの資料を公開する別の役割を持ったかたがおりません。心苦しいですが、自分が行いたくないことを前面でおこなうのもまた自分となります。公平に過去を周知する作業を行えば、自分1人で2役(?)の作業となります。

盗作については、いったん世に出れば、法的、倫理的に問われると考えています。だから自分は行っていいのだ、と言いたいわけではありません。なら、すべてが許されないかというのも異なる、繊細な問題です。私はご確認できないのですが、しかし、恥ずかしい行為だと思います。無神経に行えば、著作者のかたにたいする敬意にもかける行為です。今後も、形式と敬意、より一層の配慮していくつもりです。
ただ、背景によって言葉の意味は変わってきます。

・複合的な犯罪が行われる緊急事態下、周知とsosの発信

・大学の理事長の研究書となる著作物。

同じ「盗作」「二次創作」の問題と言っても、その背後にある文脈でまた社会的にも意味は異なってきます。現在、ストーカーのかたの報道メディアでは、私が対象物として消費され、そのフレームの外にある行為の一つ一つの背景は、塗りつぶされていることを怖れてお書きしています。「悪魔」「獣」「人間以外のもの」…といったセンセーショナルな物語の設定を、これまで拝見させていただいてきました。もはや底の底にいる存在だとは思いますが、メディアの中でどのように描かれてきたか、もう一度お考えいただければ、ありがたく存じます。


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