見出し画像

北綱島特別支援学校の閉校問題

私が横浜市政に強く関心をもつキッカケになった「北綱島特別支援学校の閉校計画、分校移行」について書かせていただきます。

福祉は勝手により良くなっていくものとそれまでは思っていました。

特別支援学校。


聞きなれない方もいるかもしれません。
2007年まで視覚障害教育を行うのが盲学校、聴覚障害教育を行うのが聾(ろう)学校、そして肢体不自由の障害や知的障害児が通うのが養護学校と呼ばれていました。

横浜市で最も人口が多い港北区。綱島には「北綱島特別支援学校」があり、肢体不自由な子どもが76名が通っています(2022年4月現在)。
子どもには、たんの吸引や胃ろうなどの医療的ケアが必要な重度重複障害がある場合も少なくありません。

日本では、生まれる子どもが減っている一方で、医療的ケア児は増えています。その理由は医療技術が向上したことで、出生時に疾患や障害があり、これまでであれば命を落としていた赤ちゃんを救うことができるようになったためです。
医療的ケア児は「新しいカテゴリー」の障害児とも言われています。

横浜市立北綱島特別支援学校

北綱島特別支援学校に何が起きたのか

2015年9月、市教育委員会は北綱島特別支援学校を閉校(2019年3月末)し、旭区に新設する左近山特別支援学校へ統合する再編方針するとの方針を発表しました。

その話は突然のことで、保護者への説明会も有識者の議論もなく一方的に閉校する計画を当事者たちに突きつけました。
横浜市の北部は人口が増えてており、通学する子が増えているのですから、学校を拡張する話があるとしても、閉校にしようというのはおかしな話です。

しかも、その学校に通っているのは医療的ケアが必要な子どもたち。港北区から鶴見駅経由で旭区の左近山特別支援学校への通学は、大人でもヘトヘトになるルートで、市教育委員会の決定、説明対応には疑問と不信感を抱かざるをえません。

6年半、閉校から本校化に戻すため保護者や市民の方たちは闘われました。保護者たちは1日に何度もたんの吸引や様々なケアが必要な子どもを看ながら行政とやりとりする活動は相当な苦闘だったと思います。

あらゆる福祉の増進を止めさせない。
この北綱島特別支援学校の閉校問題は私が市政に関心を抱いた大きなきっかけの1つです。

どんな騒動だったのか、時系列で見ていきます。

横浜市及び周辺の特別支援学校(肢体不自由)分布図|横浜日吉新聞より
横浜市における特別支援学校(6校)の整備等に関する考え方(素案)より|令和4年3月

北綱島特別支援学校“再編計画”の経緯

▶︎2015年9月
市教育委員会が北綱島特別支援学校を2019年3月末で閉校し、旭区に新設する左近山特別支援学校(旭区)へ統合する再編計画を明らかにした

【市の主張】
『2015年5月現在、軽度の子は上菅田(225人)、重度の子は北綱島(81人)と中村(76人)と青葉台(42人)と東俣野(66人)に就学している。上菅田の過大規模化やスクールバスの長時間化は問題である。軽度から重度の子が共に学ぶことや防災などの観点からも自宅近隣の学校に通うことが求められている。北綱島は生徒が増加による校舎の狭あい化、音楽室や図工室等の特別教室不足している。増改築は見込めない。だから北綱島特別支援学校を廃校にすることを決めた。』

▶︎2015年10月、11月
保護者らは10月と11月の2回にわけ、延べ3万筆以上の署名を集め、請願書を教育長へ提出

▶︎2015年12月
市教育委員会が「閉校」後も2026年度までは、上菅田特別支援学校の「分教室」とすると説明

※2026年度で計画公表時点での在校生が卒業予定。「分教室」は、市立学校条例に規定がなく教職員や事務員の明確な配置基準がない。また校長もいない。保護者側は「市会の議決を経ずに市教委の一存で閉室とすることが可能」「北綱島は重度重複障害がある子が多く、体調急変時などに適切な判断ができる責任ある立場の校長が不可欠」などと問題視。

▶︎2016年7月26日
相模原やまゆり園事件

▶︎2017年10月
市教育委員会は「分教室」の時限措置を撤廃、分教室後の新入生についても、希望があれば受け入れると説明

▶︎2018年2月
2019年4月から上菅田特別支援学校(保土ケ谷区)の「分校」とする横浜市立学校条例の一部改正案を横浜市会にて賛成多数で可決

自民党、公明党の市議会議員と立憲民主党の前身である民主党の議員が分校に賛成をしています。港北区選出の市議会議員であっても分校に賛成をしました。
更におかしなことに、この3年後、2021年横浜市長選挙では、自民党公明党から推薦した立候補者と立憲民主党の候補者がともに「北綱島特別支援学校の本校化」を公約にします。

▶︎2018年12月
市教育委員会は北綱島特別支援学校の狭あい化と示した資料の数値誤りを公表

1人たありの校舎面積の数値が誤っていたことにより北綱島特別支援学校を閉校にさせようとした数字的根拠がなくなりました。
もうこの時点で、次年度から北綱島特別支援学校を元の「本校」に戻すべきなのに、市教育委員会は戻しませんでした。

※「狭あい化の根拠となった数値」は2度訂正したと記憶しています。

▶︎2019年4月
左近山特別支援学校(旭区)が開校

▶︎2021年9月
特別支援学校について、文部科学省は一学級の児童・生徒数や教員数、必要な施設など、これまで示していなかった設置基準を初めて公布

▶︎2021年10月
市教育委員会は「上菅田特別支援学校北綱島分校」から元の状態に戻す方針を示す

【市の本校に戻す理由】
・国による特別支援学校の設置基準と神奈川県による特別支援教育の指針がそれぞれ示されたことを受け、今後の受け入れ枠不足を解消するためには北綱島特別支援学校を含めて「現在の市立肢体不自由特別支援学校6校は最低でも必要」と判断

▶︎2022年4月
北綱島特別支援学校として本校復帰

北綱島特別支援学校は、子どもたちと保護者たちの6年半の苦闘を経て本校に戻りました。しかしこの騒動について本人や保護者に対し、当時の横浜市教育委員会委員長も林前市長、現在の委員長山中市長も謝罪をしていません。
保護者らは閉校計画の作成経緯の検証を求める請願をしましたが、市は「第三者による検証は不要」とする見解を示しました。

当事者不在だった廃校計画、そして翻弄されながらも闘われた本人と保護者たち

横浜市教育委員会の差別的な閉校計画と粘り強く向き合ってきた保護者の皆さんのパネルディスカッションの動画を紹介させていただきます。

北綱島特別支援学校 本校に戻ったけど・・・
~6年半の閉校計画を検証する~

動画を横浜日吉新聞さんが文字起こしされています。

「義務教育」とは子どもにではなく、行きたいと思っている子どもを行かせる「親に課せられた義務」です。
しかし1979年(昭和54年)4月1日に養護学校が義務教育になる前まで、日本では、本人および保護者の意思に関わらず、多くの障害児の保護者に対して就学猶予や就学免除の適用がされていました。そのため、教育を受ける権利を子どもたちがもっていても環境がない状況でした。

2021年、国が特別支援学校の設置基準を設けたことにより北綱島特別支援学校は本校復帰ができました。
公共性のある事業にしっかりとした設置基準や運用の基準があることは、私は大切なことだと感じています。
そして新たにできた基準から推測すると、川崎南部・横浜東部地域では2030年度に約350人、湘南地域では200人近い受け入れ枠不足が見込まれています。

今後も市内の特別支援学校再編問題は再燃するかもしれません。

医療的ケアナンシーのホームページより

今後、北綱島特別支援学校の閉校計画、分校移行のようなことも、国が良い法律をつくっても自治体でそれを実現できないということもあってはならないと考えています。

福祉サービスは、天皇からの施しでも、政府からの施しでもありません。あらゆる福祉サービスの歴史を紐解くと、先人の方々が苦闘し獲得、実現されてきたことだとわかります。
今を生きる私たちは、先人の方たちのおかげで無意識的に福祉サービスを享受できています。

あらゆる福祉の増進を止めさせない。
よりよい福祉を次世代に継なぐ。

私が尽力したいことの一つです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?