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読書録/白の時間 内藤律子写真集

「白の時間 追悼オグリキャップ 引退後二十年の日々」
内藤律子写真集 学研

 仕事で騎手の仕事についていろいろ調べているうちに、ふと目に留まった写真に吸い寄せられた。牧場の柵の上に乗っかった猫に顔を寄せる白い馬。その優しい目、おだやかな表情についつい頬がゆるんだ。

 そこには一つの驚きがあった。その馬は、競馬とは無縁の私でさえも知っているオグリキャップ。引退レースとなった1990年の有馬記念で奇跡の復活優勝を果たしたあの馬だ。彼が引退後20年も生きていて、こんな穏やかな日々を過ごしているとは知らなかった。

 この写真集はオグリキャップの引退から2010年に亡くなるまでの、ふるさとの北海道での日々を集めたもの。芦毛と呼ばれる灰色の馬は、年を取るごとに白くなってゆく。年を重ねて白くなったかつての英雄ののどかな日常が記録されている。

 オグリキャップは1985年に北海道の小さな牧場で生まれた。馬主は生まれ育った岐阜の地方競馬で走らせる競走馬を所有しており、オグリキャップもそのうちの一頭だった。血統がものをいうサラブレッドの世界で、彼は凡庸な血筋から生まれた。しかし、デビューした笠松競馬で圧倒的な強さを見せ、注目を集めるようになる。

 馬主は所有した馬は決して手放さない主義だった。しかし「彼を地方競馬で終わらせていいのか」という説得についに折れ、オグリキャップは二人目の馬主の所有となる。そして中央デビュー。そこでも期待に違わぬ力を見せ、キラ星のようなライバルたちとの激戦を繰り広げていく。

 地方競馬出身ゆえ、最も格式のあるとされるクラシック競走に出走できないという不遇、二代目馬主の脱税疑惑による再度の馬主交代、高額の購入費用を補うための過酷な連戦、そうした不運をよそに激闘を制し続ける勝負強さ。しかしついに力つき、無惨な敗北を重ねた末・・・「オグリは終わった」「燃え尽きた」と言われる中で、「それでも、何とか無事に走り終えてくれさえしたら」と見守る17万人の観客の思いに応えるように、復活。最後の有馬記念で見事、優勝する。ウイニングランで彼は、17万人の放つ「オグリコール」に送られた。

 その最後のレースを、私はテレビで見た記憶がある。競馬に興味のない私でさえ、これは見ておかなければと思わせるほど、大きな話題になっていた。時は昭和から平成に移ったばかりの、バブル絶頂期。オグリキャップの人気は一つの現象となっていた。ゴルフや競馬など、それまで中年のおじさんの専売特許だった分野を趣味として楽しむ女性が登場し「オヤジギャル」と呼ばれた。競馬場にも若い女性が押し寄せ、車はオグリキャップのぬいぐるみを後部座席に載せて走った。

 今にして思えば、そのときオグリキャップをめぐっては、莫大な金額のマネーが動いていたのだろう。時代の中で、人々は自分の実力以上の豊かさを謳歌し、流行を楽しみ、浮かれていた。とりまくもののすべては、泡のようにふくらみいつかは弾けて消える、はかないものだった。オグリキャップはその真逆のドラマを戦った。どれだけ周りが浮かれていようと、彼は自分の脚でターフを駆け抜け、勝たなければならなかった。今ネットの動画で見られる彼の姿は、どんなときでも一生懸命。血統でなく根性で勝ち抜く馬だった、とわかる。人間が見失っていたものを、彼だけはただありのままに生きていた。ふわふわとした時代の空気と人々の思惑とが渦巻く中で、彼だけが無垢の存在だった。時代を象徴するかのような現象の中心に、そこから突き抜けた、無垢な魂をもつ馬がいる。その馬が傷つき、疲れ果て、力尽きようとするときに最後の、そして最高の輝きを放った。だからこその「オグリコール」だったのではないだろうか。

 そんなオグリキャップが、競走を終えて迎えた静かな日々。優しい目をして、穏やかに、そしてときにはハツラツと北海道の大地で過ごす姿をとらえた写真には、変わらない無垢な魂が捉えられているかのようだった。私は教会にいる元JRA厩務員の方のエピソードを思い出した。牧師がその方の家を訪れると、厩務員時代に獲得した数々のトロフィーが飾られてたという。すごいですね、私なんて、誇れるのは十字架だけですよ。牧師が謙遜したつもりで言ったその言葉に感銘を受けたその方は、自分もそうありたいと、トロフィーをすべて処分してしまった。

 引退して勝負の世界の喧噪から遠く離れ、のんびりと過ごすその姿に、過去の栄光を捨てて平安を得たその方の姿が重なった。罪を負った人間にはそれをあがなう十字架が必要だ。しかし馬はただ人の思いに応えるのみで、自分の欲も野望も、驕りも誇りも何もない。「白の時間」を生きたオグリキャップ。そこに幸せな余生があった、ということを知って私も幸せになった。

 結果を残すことなくターフを去った引退馬には、悲しい運命が待っている。近年は、引退馬に第二の人生を与えるためのボランティア活動に取り組む人も少しずつ増えてきているという。この一冊をきっかけに、いろんなことを調べて知った。私は犬を飼ったことがあるが、犬と馬とは、人間のあくなき闘争心から遊びにまで、とことんつきあってくれるかけがえのない友だとつくづく感じる。そのような動物は他にはいない。だからこそ、多くの馬に、彼のような幸せな余生が過ごせるようになってほしいと願うばかりである。



 



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