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片目を失った馬マイティハートと福元騎手、もうひとつの三冠挑戦

今週の日曜日に京都競馬場で行われる競馬のGIレース菊花賞ではコントレイルが今は亡き父・ディープインパクト以来15年ぶりとなる無敗での三冠に挑戦することになります。

一方、海の向こうのカナダでは、

事故で片目を失い一度は「あきらめられた」馬

日本の騎手試験に2回も落ちて海を渡った日本人騎手が三冠制覇に挑む

なんていう漫画みたいな物語が現実に起きているんです。

これはマイティハート号と福元大輔騎手の現在進行形の物語です。


隻眼の馬・マイティハート

マイティハート(Mighty Heart)は2017年4月5日、ラリー・コーズさん所有のとても小さな牧場で生まれました。

それは生まれてたったの2週間のこと、マイティハートは放牧時に左目に重傷を負い、摘出手術を受けることになりました。他の子馬に蹴られたのか、はたまた柵にぶつけたのか、原因はわかりませんが、マイティハートは2つの目で見える世界を知らないままその後の馬生を過ごすことになってしまいました

2歳になってマイティハートは昨年カナダ殿堂入りを果たしているベテラン女性調教師ジョシー・キャロルさんのもとに預けられました。彼女ですら「最初は少し自信がなかった」と言います。マイティハートをコースで走らせてみると臆病さから首を高く上げ、キックバック(前の馬が蹴り上げた土埃)を怖がり、コーナーもうまく曲がれなかったからです。これを見たオーナ兼生産者であるラリー・コーズさんでさえ「ジョシー、残念だけどこの馬はあきらめよう」と言ったといいます。

しかし、キャロルさんは諦めませんでした。彼女のその辛抱強さこそ、殿堂入りの秘訣だったのです。マイティハートがキックバックを怖がらないように、何度も練習し「それはただの土埃で、なんでもないよ」と教え込みました。そのため2歳時こそレースに出走はできませんでしたが、年が明けて3歳になるといよいよ競馬に使えるほどまでに成長しました。

しかし、そのキャリアのスタートは散々なものでした。アメリカのニューオリンズにあるフェアグラウンズ競馬場芝コースの未勝利戦でデビューしたマイティハートはコーナーで外に大きく外に膨れて6頭中4着。次走同じくフェアグラウンズ競馬場のマイル(1,600m)戦でも同じようにコーナーを曲がれず14頭中11着と惨敗しました。

これを見たキャロルさんは「キックバックが彼の嫌なところに当たったのを怖がったんじゃないか」と思い、彼の見えていない左目に特殊なブリンカーを着けることにしました。通常、ブリンカーは周囲を気にしすぎる馬の視野を狭めるために目の周りを覆うような形をしていますが、マイティハートのものは目隠しそのものです。(目こそありませんが)彼はこれを気に入ったようで、自信をもってコーナーを曲がれるようになったといいます。また、ちょうどそのころ医師が彼の臼歯に異常を見つけ除去手術を行い、これがマイティハートにとって大きな転機になりました。

コロナウイルスの流行によるカナダ競馬の休止期間を経て7月、カナダのウッドバイン競馬場で行われた未勝利戦で復帰したマイティハートは見違えるようなレースぶりで地元シュタイン騎手を背に快勝。3週間後の一般競走ではなんと1番人気に支持されますが、ここは疲れが出てか3着に敗れました。


ディープインパクトに憧れ、海を渡った17歳

福元騎手は1997年の10月13日、日本は鹿児島県生まれの現在23歳。

小学2年のときに「ディープインパクトみたいな馬に乗りたい!」と騎手を志し、2010年には東京競馬場で行われた全国ポニー競馬選手権「ジョッキーベイビーズ」に参加していました。そして中学卒業とともにJRA騎手学校を受験しました。

しかし、2年連続で不合格となってしまいました。

地方競馬の騎手になる、という選択肢もありましたが、小学生のころから海外の競馬に憧れていた17歳にして福元少年は「外国で騎手になる!」と単身カナダへと旅立ちました。

しかし、福元少年、ほとんど英語が話せませんでした。(逆にすごい勇気だと思います。)

そんなことでしたから親御さんからは「最悪英語の勉強して帰ってこい」と言われていたそうです。そりゃそうですよね。英語もわからない高校生くらいの年の少年が一人で現地に飛び込んでうまくやれっていうほうが酷だと思います。

しかし、福元少年はとてつもない強心臓の持ち主でした。「騎手になりたいです」のフレーズのみをカナダの厩舎関係者に言って回りました。当然ほとんどの厩舎から断られ、さすがの福元少年も諦めて帰国しようと思った矢先、そのガッツを見込まれてか現地の名門リード・ベイカー厩舎での実習の機会をゲットしたのです。

そこで腕を見込まれた福元騎手は18歳になってもカナダに残り厩舎を周って調教での騎乗や手伝いを続るかたわら、英語の勉強をしてついに2017年に19歳にしてカナダの騎手免許を取得するに至りました
デビューして50戦勝ち星を挙げられなかったものの、20歳の誕生日である10月13日に初勝利をつかむとその後は勝ち星を伸ばし、翌年の年度代表表彰では優秀見習騎手賞を受賞するなど頭角を表していきました
※このころ何度かグリーンチャンネルで福元騎手の特集が組まれていたのでご存知の競馬ファンも多いかと思います
※この年のカナダの最優秀見習騎手は同じく日本人の木村和士騎手。木村騎手は後に北米全土の賞であるエクリプス賞の最優秀見習騎手賞を日本人として初受賞


福元騎手とマイティハート・カナダ三冠への挑戦

日本の三冠レースと言えば皐月賞・ダービー・菊花賞ですが、カナダの三冠レースは

クイーンズプレート(ウッドバイン競馬場、オールウェザー2000m)

プリンスオブウェールズステークス(フォートエリー競馬場、ダート1900m)

ブリーダーズステークス(ウッドバイン競馬場、芝2400m)

になります。最も特徴的な点は例えば日本の三冠競走は距離は違えど全て芝コース、アメリカの三冠競走なら全てダートコースというように3レースが統一されていますが、カナダの三冠競走ではクイーンズプレートがオールウェザー(ポリトラック)、プリンスオブウェールズSがダート、ブリーダーズSが芝コースとなっており、全てのコース適性が試されます。

本来であればそれぞれ6月、7月、8月にそれぞれ開催されるカナダ三冠レースですが、本年はコロナウイルス流行の影響を受けて延期、9月~10月の間に3レースを行うことになりました。それにより春先の調整に時間がかかったマイティハートにも4戦1勝ながら三冠レース初戦にして最大のレース、カナダのダービーとも呼ばれるクイーンズプレート出走のチャンスが巡ってきました。そして、そのマイティハートの鞍上に指名されたのが福元騎手だったというわけです


"Mighty Heart"(強い心)

こうしてカナダのダービー、クイーンズプレートのその日を迎えました。同レースはカナダはおろか現存する北米のレースで最も古く歴史のある競走です。6番人気というオッズも「片目の馬がダービーに出走」という好奇心からくるものだったかもしれません。

外目13番ゲートからスムーズにスタートしたマイティハートは福元騎手の手綱に導かれ、自身の左側——マイティハートにとっておそらくは暗闇の側——のほうに向かってラチ沿いを進み、逃げの手に出ました。
800mを47秒6というこのコースとしてはやや速いペースで逃げるマイティハート。
福元騎手がうまく馬に息を入れながら直線に入ると各馬が一斉にマイティハートを捕まえにかかります。マイティハートには鞭も入って万事休す……と思われましたがそこから彼は誰もが目を疑うような加速を披露しました
追いかける各馬はその「片目の馬」に迫るどころか3馬身、4馬身と瞬く間に離されていきます。

※実際のレース映像
マイティハートはその勢いが衰えることなく大きく他馬を引き離してゴールイン。ゴール後福元騎手は何度も何度もガッツポーズを繰り返しました。栄冠を噛み締めるような感じではなく、この圧勝劇を誇るような、そんなガッツポーズに見えました。勝ちタイムの2分01秒98はレース史上2番目の好時計。2着につけた7馬身半という着差はかつて伝説の名馬・ノーザンダンサー(Northern Dancer)がこのレースを制したときと同じ大差でした
福元騎手はインタビューで

"He only has one eye, but he’s got a big heart, a mighty heart"

『片目しかないけれど、彼は「マイティ・ハート(強い心)を持っています」』

というなんとも粋なインタビューを残しました。しかし単身右も左も、言葉さえわからずカナダにやってきた青年のこのコメントにも「強い心」を私は感じます。

マイティハートは当初は回避する予定でいた三冠レース第二戦のプリンスオブウェールズSにも出走。今度は好意を追走して抜け出す器用なレースをぶりを披露してここも2馬身半差の完勝。ついに三冠に王手をかけることになったのです。最終関門のブリーダーズSはこれまでと全く違う条件(芝コース、2400m)であり、またコロナウイルスによる延期の影響から三冠競走が例年より過密な日程で行われていることを考慮すると、マイティハートにとってこれまでで最も厳しいレースになるかもしれません。しかし、これまでのレースで示した本馬の無尽蔵のスタミナとこのコンビのタフネスを思うと三冠達成を期待せざるをえません。

マイティハートはブリーダーズSを制せばワンド(Wando)以来となる史上8頭目の三冠馬となります。カナダの三冠レースは自国の馬産業を保護する目的で国内産馬限定になっているため国際グレードこそありませんが、同国はれっきとしたパート1国(国際共通格付けの最上位国)であり、三冠を達成した8頭の中には1991年のブリーダーズCディスタフの覇者・ダンススマートリー(Dance Smartly)がいるように、三冠達成となればこの「片目の馬」の実力はアメリカでも通用する水準かもしれません。鞍上の福元騎手もアメリカの大レースへの参加を目標と語っており、このコンビでそれが実現する可能性は十分にあると思われます。

運命のブリーダーズSは現地の土曜日、日本時間では日曜朝6時39分発走予定です。まずは人馬の無事を祈りつつ、「強い心」を持つコンビの素晴らしいレースに期待したいです


参考記事:

http://www.torontoshokokai.org/trillium/201801/youth7_0118.html

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