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雑記:なるようになった世界で人はなにを話すのだろうか|未来が消えた日

1.これまでのあらすじ

そうそう。ちょうど、この間「サ」という文字について考えていたんだよ。

「人」じゃなくて「サ」の方がいいね、という話。


1人と1人が支え合う。

という文字はそんなふうに語られたりする。


でもそうじゃなくて、バラバラの2(縦棒)が、何らかの懸け橋(横棒)によってつながる。の方がしっくりくるなと感じた。


しっくりくる?

一体、なににしっくりきたのだろうか。補語がないな。だけど、そこは一旦問題にせずに、なんでしっくりきたのか分解して考えてみた。

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人の宇宙は環世界。ひとりひとりがいっこずつ世界を持ってる。観測者によって世界は異なる。見え方、意味の付け方、拾い上げるもの、感じるものは多種多様。同じ場所にいても違う世界を生きている。それぞれが見たいように見た独自の宇宙を経営し、それらは時に干渉し合う。

こういう世界観がある。
うん。その世界観に同意。


いやいや。なんで人とかそれ以外とか分けるねん。すべてはひとつながりの運動だ。全体性に目を向けよ。分離は錯覚だ。認識次元を変えよ。流れのままに行け。行け、というか勝手にもう流れているのだ。目的・目標?それに何の意味がある?

こういう世界観もある。
うん。その世界観にも同意。


数多の世界観は全肯定可能だ。すべて肯定したところで、矛盾は起きない。一神教が語る物語も、多神教が語る物語も、物理学が語る物語も、精神に変調をきたした人の語る物語も、世界観はマルチプレックス(多重的)ですべて同時に同意できる。そしてどれもただの文脈だ。

全ては正しいし、同時に全ては正しくない。


二極的な認識が大流行していた頃、世界は分断されていて、わたしがいてあなたがいて|人間がいて人間以外がいて|できることとできないことがあって|過去と未来があった。そういう認識を土台に人々は生活をしていた。

人々は未来に目標を据えて、そこからの逆算で計画を立てた。タスクをきって、ひとつひとつ確実に達成していきゴールする営みが生きることだと信じるのが流行った。


理想の生活。理想の社会。理想の私。それを目指す現在。


今ではない未来、という概念を想像空間上に設定して、何かを目指したがった。それらの輪郭がはっきりしていることが今の安心につながった。

この未来づくりシステムは、理解が重要視されていた世界において必需品だったし、宗教と同じ役割を果たした。


神話がはじまりを担うなら、理想はおわりを担う。

どこからきてどこにいくのかを理解していること。そして、今はその過程におけるどこに位置するのかを自覚できていること。それを踏まえて、今、何をしているべきで何をしていなくてもよいのかを決定できること。

理解することが重要視される認識システムにおいて、これらの問いに対しての答えを所有していて、かつ他者から共感と承認をある程度得ていることが、今を自信を持って肯定する理由付けのひとつとなり、安心につながった。

わかっていないことは怖いことかつ良くないことに分類され、不安を呼ぶ材料に位置付けられたりもした。

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Q「これでいいのだろうか?あれでよかったのだろうか?」

A:いいんです!なぜならわたしは語ることができます。なぜ今これをしているのか。どこに向かっているのか。なんのためにやっているのか。

ビジョンとミッションとアクションが明確です。言語化も完了しております。誰に話しても再現性あります。どうですか?わたしもあなたも理解できる状態にしておきました!安心です。反駁する隙もないはずです。論理的合理的マイライフ。過去も未来も現在もまるっとQ.E.D。証明完了です。

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確からしい理由とロジックは満足を自尊心を供給した。人々は熱心に未来と理想を活用し、共感に安心を感じた。


だけどさ、



最近、そういうのもう流行らなくなっちゃったね。



人間が理解を重要視する時代が終わってしまった。

人々は理解することにすっかり興味を失っている。情報はもはや風景だ。みごと人間は自然の仲間入りを果たした。花が寝る前に明日の綿密な計画をすることはないし、猫が集まって未来を考えるための会議を開かないし、人間も理解するしがらみから解き放たれた。ごく自然に、流れるように生きるようになった。


「流れる川のごとく流れていこうよ」という世界観において、人々は待っていれば世界は思った通りになることを知っている。

放置しておいてもそうなる。だから今自分が何かをする必要はない。

そして、どうなっても別に問題はない。理想という虚構はもうない。それゆえ、下方修正も上方修正も必要はない。結果がすべて。

したがって問題という概念は存在しない。

流れのままということは、未来について考える宗教も用済みだ。何かを変える必要もない。すべては起こるべくして起きるときに起きる。だからそのイベントを受け入れればよい。


全体的な流動を続ける一体化した総体として世界は完結した。

おつかれさまでした。なんか色々考えてたけど、シンプルだったね。

考えるの終了。さて、流れて参りましょうか。

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時は2021年。

なにかを考えるはじめるときはさ、ここからはじめないとな、と感じている。


スタート地点はここ。ここからはじめて、過去の叡智を文脈無視してランダムにコラージュする。

風の時代だしね。


時間の概念が消えうせた世界では、連続性を気にせずつまみ食いできそうだ。

ここまでの全時間で起こったことを美味しいところだけダイジェストで今に持ってきたい。


2.これからのお話


さて、そんな世界では何が起こるんだろう。

人々は何を話すんだろう。

どうなっていくんだろう。

これからのお話が楽しみ。


続きは、次あった時に話しましょう。

わたしは何回生まれ変わっても、「サ」の縦二本を繋ぐ横一本のことをずっと考えているみたいだよ。


それでは。また。

サカキミヤコ

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。