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明治とは

グラバー園から眼下を見下ろすと、三*造船が見える。

先ほど、見学したグラバー邸の中に坂本龍馬の隠れ部屋があった。跳ね上げ式の階段を駆け上がって上から紐で引き上げる方式だ。階段を引き上げると、全くわからなくなる。

なんで坂本龍馬が武器商人のグラバー邸に隠し部屋を持っているのか。明治とはなんだったんだろう?

日本は古来、独自の言語を用い、海外から伝わった文化も日本風にアレンジしてしまい、すぐに取り入れることができるほどの高度な文化を持っていた。

航海技術が発達した時代、ヨーロッパ諸国は植民地を獲得するために銃と宗教を使い世界中を荒らし回った。

日本では公式には信長が、ポルトガル人から、キリスト教と銃の売り込みを受けた。銃は日本の技術で簡単に製造できるほどのもので、ポルトガル人が売り込みのために大量に本国から取り寄せた時には、改良型の銃を大量に所有していた。

ポルトガル人はビックリしたが、火薬の販売に切り替えた。信長は苦労して火薬の仕入れルートを開発した。

火薬を手に入れてすっかり強気になってしまった信長はポルトガル人を軽く扱い始めた。自分が神のごとく振る舞い、キリスト教の布教など全く気にもしなかった。

ポルトガル人はしたたかで、信長に火薬には銃用の遅効性の黒色火薬があることは教えたが、即発生の爆薬があることは教えなかった。

ポルトガル人は自分たちの依頼を聞かない信長を殺すことに決めた。本能寺に爆弾を仕掛けた。(八切止夫)火事であれば消失したはずの文献が多数残っていることの説明がつく。(信長と光秀が争ったとの理由も根拠も説得力がない。)

信長の遺品とされる文物が多数展示されている。「多くの文書や文物が火災を免れて伝わっており、旧境内すべてが火災にあったわけではなさそうです」と久野さんは話す。(エンタメ!歴史博士 本能寺の変、事件現場に信長の遺品を追う)

その後、秀吉、徳川と時代が経過していくがその間に東南アジアはイギリス、オランダ、ポルトガルの植民地になってしまった。日本には頑強なシステムがあったのでなかなか彼らの植民地にはならなかった。

ヨーロッパとアメリカも加わり、彼らは日本を攻略する作戦を練った。普通では落とせない日本を落とすために天皇側と幕府側に勢力を分断させることを考案した。

彼らの常套手段で、仲違いさせた両方に武器を売りつけ高い金利を取り借款を押し付ける。双方を戦わせ勝った方から金利を受け取り、交易の利権を獲得する。負けた方から賠償金を取るシステムだ。

眼下の財閥を眺めていて今までの不可解だった点が氷解した。グラバーは優秀な武器商人で、坂本龍馬は優秀な武器セールスマンだった。

ここから世界がいろいろな紛争を起こし、世界大戦になだれ込んでいく、明治は悲しい時代の始まりだった。(小説の原案にしよう)



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