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抜頭

抜頭は太食調「タイシキチョウ」の曲ですが、読み方は「バトウ」と習っています。

しかし、太食調を本来の読み方の「タジクチョウ」と読み、タジキスタンの曲調ではないかと考えた時、抜頭は「バトウ」ではなく「バトゥ」と読み、マレーシアのバトゥ由来と考えた方が自然ではないかと考えています。

例の如くChatGPTに尋ねてみました。

雅楽の太食調はタジキスタン由来と考えています。
太食調の曲に抜頭という曲があります。
マレーシアのバトゥからの伝来と考えますが、いかがでしょうか?

太食調は、日本の雅楽の調のひとつで、中国音楽や朝鮮音楽の影響を受けたものとされています。タジキスタンとの関連性については、一部の説も存在しますが、正確な起源については定説がありません。また、抜頭という曲についても、先住民族や南方諸国から伝来したという説や、中国から伝わったという説、日本で独自に発展したという説があります。
一方、マレーシアのバトゥから伝来したとの説については、有名な抜頭曲(「束ね」や「踊扇子(おどりせんす)」など)が、マレーシアのバトゥで発見され、そこから由来したとする仮説が存在します。ただし、この仮説には根拠が乏しいとされ、学界の一部からは否定されていることもあります。
結論としては、太食調や抜頭曲の起源については、まだ解明されていない部分が多いため、諸説ある状況です。

ChatGPT

この返答を受けてさらに疑問が増したためにもう一度ChatGPTに質問しました。

雅楽が中国や朝鮮音楽の影響を受けたと言いますが、中国、朝鮮に痕跡がないのはなぜでしょうか?
誰かが抹消したのでしょうか?

雅楽は、中国や朝鮮からの影響を受けた日本の音楽であるとされていますが、一方で、中国や朝鮮には雅楽に相当する音楽が存在していないことが指摘されます。
正確な理由は分かっていませんが、以下のような仮説が存在しています。
・中国や朝鮮では、古くから戦乱や政治的な転変が頻繁に起きていたため、伝統芸能の保持が難しかった可能性がある。
・また、朝鮮では国王や王族が音楽に熱心であったことが知られていますが、王宮だけで演奏が行われることがほとんどだったため、民衆に広がらなかった可能性があります。
・日本は中国や朝鮮から文化的なものを受け入れる反面、独自のアレンジや発展を遂げているため、雅楽は日本の文化だけで発展してきたものとされています。
以上のように、具体的な証拠はありませんが、様々な要因により、雅楽のような音楽が中国や朝鮮に存在しないとされています。

ChatGPT

“一方、マレーシアのバトゥから伝来したとの説については、有名な抜頭曲(「束ね」や「踊扇子(おどりせんす)」など)が、マレーシアのバトゥで発見され、”
との説が有りながらまだ根拠が乏しいとされています。

このやり方は、弥生式土器が日本以外では二、三点を除いて全く発見されていないのに、外国由来の文化であると主張するのとよく似ています。

李氏朝鮮時代に入ると、一転して儒教が国教となったため、仏教は徹底的に弾圧された。

Wikipedia

このように、徹底的に弾圧された仏教でさえも、そこにあった事実があれば痕跡は残っているものです。

雅楽の痕跡が中国や朝鮮に無いことは明らかなので、もう少し調べてみたくなりました。

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