目を疑った
イザベラ・ディオニシオの書いた『平安女子はみんな必死で恋してた』を友人から勧められて、購入した。
イタリア人の書いている本で、軽い題名だったし、少しミーハーの感じがしたので机の上に3日ほど積ん読になっていた。
今までイタリア人とは何人も話をしたが、それぞれがしっかりと自分の世界を持っていて、自分の人生を楽しんでることがよく知っている。
大体がマニアックな人種だと、大雑把に理解していた。
イタリア人は、自分の興味のあることには真剣に答えてくれる。興味のないことについては信じられないほど無関心になる。
そんなイタリア人が好きで、料理の美味しいイタリアに、いま直ぐにでも行ってみたい気がする。
それはさて置いて、積ん読にしておいたこの本を手に取ってみた。
開いて序文に差し掛かったところから、文体が只者ではない。座り直して読み始めた。
面白い!マニアックだ。
日本人でもここまできっちりと日本語を、それも古典を理解している人は少ないだろうなと、遅ればせながら感動している。
取り上げている女流作家が和泉式部、菅原孝標女、小野小町、清少納言、藤原道綱母、紫式部等燦然と輝く古典を代表する女性ばかりだ。
文章解析も、驚くべき正確さで、また今まで私には理解不能だった女性心理までもうまく表現されている。
引用文の中では、『更級日記』でよく出くわす形容詞〈いみじ〉が使われているが、それを辞書で引いてみると二つの意味があるということを知る。一つは「よい・すばらしい」、もう一つは「ひどい・おそろしい」。つまり、そう、今でいう〈やばい〉の元祖みたいな感じなのである。(イザベラ・ディオニシオ)
これ、イタリア人の文章ですよ。古典だけじゃなくて現代語も十分どころじゃなく、日本人よりも深く研究・理解しているのが伝わってくる。
1000年以上も前の日本人女性の書物が、ヨーロッパ人に感動を与えていることを知って、少しだけ誇らしく思った。
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