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宗教と哲学

最近、宗教について議論が始まっている様な気がする。

人間は弱い生き物で、なぜ自分がそこにいるのか誰も知らされていない。
ただ、生まれて死んでいくだけである。

自分で、自分の存在理由、存在価値を探るが、情報がまるで無いので手探り状況だ。

ただ、生物として生まれている実態を維持するために食餌をする必要がある。
あとは寿命がくれば、個体として死んでしまうので種の保存を図らなければならない。
その作業を効率よくするためにできたのが脳なのだが、何せ情報が少なすぎる。

手探り状態のまま生きていくのは不便だし、不安なので何か方法はないかと考え出したのが、学校をこしらえ、先達の事績を継承することだ。
ところが余りにも情報量が少ない。

その中で考え出されたのが、宗教と哲学だ。どちらも人生をよりよく生きようとした努力の結果なのだが、全く方向が違う。

人間はその限られた知識の中で人生を一番気楽に送る方法を考え出した。
『宗教』だ。
自分の人生の進路を自分で決定しない。全て他人の言いなりに任せる。
宗教にはまることを別の言葉で言うと『奴隷になる』と言うことだが、全く気楽に生きていけるので、これにはまる人は多い。
ただ人生の終わりに近づいた時に騙されただの、家庭が崩壊しただのとトラブルになることが多い。
自分がしでかしたことに気づいてしまうからなのだが、一生を他人の言いなりで過ごしてきたのだから、止むを得ない。

この人生の不安を解消しようとして、自分の存在意義を考える人たちが出現した。哲学者だ。人の意見には一切従わずに、全てに反発して自分の生き様を見つけ出そうとする。
これを『哲学』という。

哲学とは、他人の言葉や、先人の知恵をことごとく否定して、自分なりの答えを出していく道だ。
すごく手間がかかるし結果が正しいとは限らない。

全てを疑うというのも、難儀な生き方で、全てを知っていなければ、答えを出せない。疑いはするものの、答えを出せないという、迷路に踏み込んでしまうのだ。

小中高大院と時間をかけ、色々な知識を覚え込むが余りに情報が少なすぎる。常に自分の立ち位置に関して、不安が残る。
もっともっと、知りたいのだが、実は知識がまだ人間に知られていない状況なのだ。




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