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親父の早食い

親父は早食いだった。僕はそれがとても嫌だった。いつもゆっくり話もできない。とにかくすぐに食べてすぐに動いていた。

ごくたまに家族でレストランに行った。フレンチのフルコースとかそういうの。

親父は料理が運ばれてくるや否や食べてしまう。次の料理まで手持ち無沙汰で待っている。そんな親父が貧乏臭く思えて、僕は恥ずかしくてたまらなかった。


言い忘れたが、親父はお寺の住職だ。僧侶なのだ。なら、もっと落ち着いて、もっと味わって、もって優雅に食事をして欲しいと思っていた。

なんでも早くすることがカッコいいといわんばかりに、親父は何でもすぐに済ませる。子どもの頃から親父がのんびりゆっくりしている姿を、僕は本当に見たことがない。

そんな僕も今では僧侶となった。自分は親父みたいな食べ方はしないと決めた。何でも大袈裟なほど丁寧にゆっくりした。それで他者を待たせたとしても。

そんなある日、親父が倒れた。


二人で回していた仕事を急に一人ですべて回さなければならなくなった。

うちの寺院は「月参り」という檀家参りがあって、すべての家々を毎日まわる。その件数は、同業者に言っても驚かれるくらいだ。そこに法事や葬儀や法要や相談、行事や事務や会合、掃除や設備の維持や買い出しや何やで、とにかく時間がない。

(最近は一日一食生活というものを始めたが、それもゆっくり食事を取る時間がないからだ)

やっとわかった。どうして親父は早食いだったのかと。

今まで親父におんぶに抱っこで、自分の好きな活動や研究をやらせてもらっていたんだと知った。自分は頑張っているつもりだったが、所詮は副住職。住職とは責任も仕事量も違う。当然住職には休みもない。

子どもの頃からずっと親父の早食いを軽蔑していた自分を恥じた。

それくらい時間がなかったんだ。

そうやって必死にがんばって寺を支え、家族を養い、僕も大きくしてもらったんだ。

今は病気と衰えで、自然とゆっくりとしか食べられなくなった親父を見ながらそんなことを思っていたら、急に涙が止まらなくなり、合掌して席を離れた。

ありがとうと言えず、ご馳走さまと言って。

称名


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