介護士~三年間の堕落~


2.3日空いてしまった。

自分は「無敵」ではない話。


タイトル通り、上京してからの3年間の話。

当時22歳ぐらいの私はとにかく「無敵」だと思っていた。

見た目も悪くないし、たっぱもある。少ないけれど信頼できる友人もいたし、当時は少なかった‘順を追った結婚‘を視野に入れて、地元をでて東京に出るといったビジョンもある。

上記の事を考えているだけだったのに、それが謎の自信と自意識の高さになっていると思っていた。

実際に人からよく「上から目線」「マウントとりがち」なんて言われてた。

その状態で上京が決定し、自分の誕生日に当時の会社を辞め、翌日に東京の会社に面接をしに行った。

1番目の面接場所は世田谷区の超高級住宅街。

今思えば、とんでもない場所であり、あの町に住むのは死を感じるほどの努力か、とてつもない才能か、ブラックな内容しかないと思うけど

当時は「ほーん奇麗な街だな、ここ住もうかな」とか考えていた。

兎にも角にも、紹介会社の方と面接に行くと

豪華絢爛・洗練された施設。

おののきながら面接室に入ると2名の方が。

1人は支配人、1人は施設長と。

支配人てなんだ?ってか面接室もはや議会室じゃん、机も椅子もくそ高そうだなぁとか考えながらいたって普通の面接を受ける。

私は面接などといった場が非常に得意で、第一印象だけは抜群だといわれる。「だけは」ってところが非常に重要なのだけれど。

その日の夜に合格の連絡が来て余裕だぜとか思っていたのを覚えている。

その1週間後からの従事が決まり働き始めるのだが…

その当時、とにかく体を壊した。体調管理がなっていないと言われればその通りなのだが。

その会社でもよく体調壊す男性の先輩がいてその方と2トップで病んでる系男子(物理)なんて言われていた。

その会社では施設もさることながら入居されている方もすごくて、Wikipediaなんかで検索すると出てくるような方が8割ほどであった。超有名会社の創業者から芸能、文化人「息子さんが〇〇(超有名俳優)~!?」とか。

だもんで、サービス内容もそれなりになってくる。言葉遣い・所作も細かいところまで。これに関しては教わるのではなくて、完全に独学で学んでいった。個人個人全く違ったタイプの金持ちだったので、いい意味でフレンドリーが良い方もいれば、ガチガチの所作を求める方。見た目にもものすごい気を使った。それだけで嫌われるスタッフが多かったから。

とにかく「介護業務」以外の学びが多い会社だった。

とにかく楽しかった。自身の悪いところが出なければ恐らくまだ働いているだろう思う。

働き始めて3年ほどたったころ。一人のスタッフが系列施設から移動してきた。

その方はとてつもなくスマートでユニークで嫌みのないイケメンの女性だった。

とにかく人を見るのがうまい方で上辺で固めまくっていた私はすぐに見破られ、まぁぼろくそにされた。でもフォローもうまかった。もうなんも敵わねぇと思った。

その人に飴と鞭をもらいながら少し成長の余地が出たときに

営業部への配属が決まった。

なぜ?と支配人に聞くと「お前宅建取るって言ってたから。」

あぁそんな事言った気がする~。でもなぜ?

施設長「なんか刺激ありそうじゃん?」

そんな軽い?でも兎に角一つのチャンスだと思ってやりますと。

そこでの出来事はすべて書くことはできないけど、

一つ言えるのは確実にターニングポイントだった。


唐突な終了。


今日は妻の副業用のアメックスチタンカードを作ります。

副業開始半年ほどでチタンカードかよ。すげぇ。

どんどん妻がビッグになっていく。それも急速に。

めっちゃ焦る。

でも冷静。

でも焦る。葛藤がすごい。

次回は営業部での半年間の物語。