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学生の頃住んでいたアパートを探しに行ってみた話@新高円寺〜変わること、変わらないこと
「田中さん、それナイナイ。確実にないから。」
友人は笑いながら、顔の前で手を左右に振った。
誰でも一度はやったことがあるだろう。
以前自分が住んでいた場所が、
今どうなっているのか見に行ったことを。
今、杉並の新高円寺の駅前にいる。
実は最近訳あって、よくこの新高円寺に来る。
時代が昭和の終わりだった頃、
私は大学4年の一年間をこの新高円寺のアパートから、御茶ノ水にある大学に通っていた。
アパート住所は五日市街道沿いの杉並区梅里だが、番地は当然忘れているし、場所も覚えているかどうか怪しいものだ。
「まだアパートがあるか、見に行ってみようと思うんですよね。」
実は大学は3年から御茶ノ水に通っていたが、新高円寺に引っ越す前は、最初の初台のアパートが風呂なし共同トイレ2万2000円だったが、通う校舎が明大前から御茶ノ水に変わったので、バストイレ付き4万8000円のワンルームがある、小田急線の町田、正式な住所は相模原市鵜の森に住んでいた。
但し、怠惰な生活だった自分は、満員の小田急線で月曜1限目8時半の必修の英語を受けるのは過酷な修行だった。
当然のことながら、必修英語を落とした。
結果として、これではダメだと思い、もっと学校に近い、新高円寺徒歩8分、6帖キッチン、風呂なしトイレ付き3万9000円に引っ越したのである。
「だったら何でただの高円寺じゃないの?乗り換え無しじゃん」
とみんなに言われた。確かにそうだ。新が付くか付かないかの違いはほとんど考えてなかった。
なるほど。
あと、新高円寺の入口のドアは内側からドアノブを押してそのまま締めるタイプで、当然のごとく、何度か鍵を部屋に忘れ、締め出される事態が発生し、夜、銭湯に行った帰りだと、銭湯のお釣10円で荻窪の友人に電話をし、泊めてもらいに風呂桶とシャンプーを抱えながら新高円寺から荻窪まで、深夜に歩いて行った。冬だったので、当然翌朝鼻水が止まらない。
あの頃の僕はアホだった。
話を戻す。
先ほど友人と別れた後、アパートの近くまで歩いた。
雰囲気は当時のままだが、明らかにお店は変わっているし、新しいマンションもたくさんある。
おそらく当時通っていたであろう酒屋は、今はファミリーマートになっており、その先なのは分かっっていた。
が、ここら辺であろうが、面影らしき建物がない。その先にある病院は覚えているので、この間だ。でも分からない。
友人の言っていたことが正しかった。
考えたら当たり前だ。
当時生まれた子供はもう働いている。
結局見つけられず、駅に戻りながら考える。
もしアパートがあったら自分は何が嬉しかったのだろうかと。
決してアパートそのものが好きなわけでもないし、ましてや、今住んでいる人が当時の自分ほどアホなのか、確かめるわけでもない。
「変わっていない」
ということを確かめたかったのだろうと思う。
日々暮らしているとなかなか気付かないが、
長い時間を定点観測すると、世の中は着実に変わっている。
会社の寿命は30年と言われ、
ほぼその通りに、駅前の会社やお店の街並みは、変わっている。
変わってないのは、みずほ銀行、いなげや、マクドナルドだけだ。
いや、違う。
みずほは当時第一勧銀だし、いなげやは今はイオン傘下だし、マクドナルドは藤田田氏のプライベートカンパニーから上場した。
変化しているから変化していないのだ。
人間誰だって、楽な方がいい。
今の生活や人生が楽しいなら、
出来る限りこのままでいたいと思う。
でも、このままでいるなら、このままでいられないのは今さら話すまでもない。
そして更に気づく。
そして、アパート探しに行くことは、
変わりたくない自分に対する、もう一つの自分の言い訳なのだと。
「ほら、アパートあったじゃん。だからまだ変わらなくてもいいよ。」と。
だけど、結果的にアパートはもう今はない。
それでだけで十分だ。
だから自分ももう言い訳しない。
本当に自分が自分でありたいなら、
どんどん自分を変えていかなくてなならない。
新高円寺は黙って私にそれを教えてくれた。
愛すべき新高円寺。
おそらくもうしばらく来ない。
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