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2017.02.09 岐阜県美術館 観賞メモ

改修に伴う1年の休館が決まっていたので、その前に!と訪問した時のメモの備忘録。【岐阜県美術館 https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/

1.山本芳翠 1850-1906 《浦島図》 1893-95
一見写実、つぶさすぎて完全にフィクションの世界がリアルに見えると言うか、最早アニメーションに近い。
年代を考えると経歴が気になるところ。西洋絵画の手法だし、明らかにポセイドンだ。イルカだし。
ハイライトの白の点がすごい。コローみたいな。髪飾りや髪の毛の末端の繊細にちゃんと始末された感じは 如何にも日本人ぽい。

2.木村荘八 1893-1958 《パンの会》 1928
19世紀のフランス絵画にありそうな雰囲気だ。会自体も本家の真似をした、というのがよくわかる。賑やかで楽しそうな雰囲気。画面の右には酩酊したのか倒れている仲間。なんとなく全体的にユーモラスだ。親密そう。こっち向いた芸妓の顔がよい。優しくて。「マァ、何をいつまでも描いていらっしゃるの?」 なんて言われてそうな感じ。手前の芸妓の帯の下のものは何だろう?財布?
経歴の気になる画家。よく見る必要あり。

3.靉光 1907-1946 《花園》 1940
この人の絵はいつも不安を煽ってくる。全然詳しくないけれど。飲み込まれたくもなる絵だ。無力に負けたいような。
花園 と聞いて想像するようなものと、あまりにかけ離れた、煉獄のような赤と朱と茶色。血肉と炎。とびこんで燃えていく蝶。
画面を構成する要素はデトロイト美術館展で見たルドン(《心に浮かぶ蝶》1910−1912 と似ているような気がし……ながら、色味も似ているのに全然違う)ぼんやりと暗いエクスタシーのようなもの、声も発さず死んで消えて行く。昏い恍惚。

4.ピカソ 1881-1973《ランプの下の静物》 1962
至極現代的で、インテリア的な作品という印象。色合わせがかっこいい。
最近版画も好いと思うようになってきた。多分ムンクとルオーの影響が大きくて、でも棟方志功は未だに苦手。そっちは多分小さいころ『モチモチの木』(滝平二郎)が怖かったのと、モチーフの問題だろう。あの木彫りの質感に日本語を載せられると途端に民芸品の匂いになる。嫌いなわけじゃないのだけれど、全く馴染みがなくなってしまう。

5.藤田嗣治 1886-1968 《夢》 1925
大きな縦長の絵だ。平面的な構図の中、画面左下には裸身に布を纏って睡る女性。象、虎、ポインターのような犬、ネズミがそれぞれ、女性の右側、見守るような立ち位置で微睡んでいる。現実ではありえない光景が、邪魔されない安らぎを表しているようだ。
天蓋や緞帳のように見える画面上部に描かれた紅と白のカーテンが
①私室、或いはごくプライベートな空間の覗き見  ②別世界との境界  ③不可侵領域であること などをイメージさせる。とても安らかな絵だ。いい香りがしそう。(お香のような、誘うような、それでいて透明感に溢れているような。大きい生き物の大きい夢・小さい生き物の小さい夢、などと考える)
昼寝っぽいけれど、一種の藤田らしく特定の背景がないので浮遊感は強い。死と眠りは兄弟なのである、と言う所もまた想起する。ただしやはり暗さはなく、あっけらかんとした浄土というか。象も犬も人間も並列というか。
何となく、澁澤の《高丘親王航海記》の断片を思い起こした。

6.アントニ=タピエス 1923-2012 《黒と四つの茶》 1959
最早平面なんだか立体なんだか。絵の枠組みから踏み出してくるタイプの『絵画』。こういうのっていかにも “現代絵画”だなあと思う。

7.石川勇1922-1989 《無題》 不詳
どうしよう、なんかもう全然、全くわからない。
タイトルも無題じゃ本当に全く何にもわからない。手がかりも足がかりもなくてツルッツルだ。なのに絵の具は全部立っている。(絵具が 立っている ってなんだろうな)そういう皮肉か!とすら。ホイップクリームみたい。
これはどこからどういう順番にどうやって描いてるんだろう。手描きだとしたら相当な狂気を感じるし、これだけ描き込んでおいて 無題 ってことはもう飲み込まれろということか。怖いって。

8.堀江良一 1943- 《作品'07》 2007
瞳孔のひらくような緑だ。こわい。

9.高木博道 1946-2011 《シエスタ》 2010
幸せそうで光に溢れていて心地いい。好き。

10.長谷川喜久 1964- 《刻 刻々》 2007
(こわい)

オディロン=ルドン 1840-1916

11.版画集 《惡の華》より9枚 1890
4枚目…Volupté,fantôme élastique ! (おお快楽、しなやかな幽霊よ!)
ベッドの巨大な頭部、もう少しつぶさに見たい。展示されている位置が遠くてわからない。詳細確認。

12.《わが子》 1893 と 13.《アリ》 1898
スケッチということもあろうけれどこの時代のルドンにしては大変珍しく、人物に明確に目がある。どうにも孤独が強い画家という認識は未だに変わらないのだけれど、やはり息子とは確かな絆を感じ愛していたのだと、絵だけでもよく解る。

14.《神秘的な対話》 1896頃
ルドン特有と言って良い淡く儚い虹色。夢のような。モローのそれとは全く異質な虹色。中間色寄りのあらゆる色彩が解け合い、混ざり合い、バロック真珠がゆれてちらつくような。
どこにいるかもわからない。目も無い。見ない。言葉も無い。眠るような、ともすれば死んだような、ふわふわした幻惑。瞑想、夢想。

15.《ベアトリーチェ》1897
向かって左向きの横顔のアップだが、薄い黄と青でぼんやり形作られている。辛うじて陰影があるが、はっきりとした造作はなにもない。やはり夢想であり瞑想である。

16.《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》1898-00頃
モローの系譜のスフィンクス。誘惑される男の姿はない。もっと省略というか、より観念的。
ルドンの【黒】と【色彩】についてふと全てに合点が行った気持ちになった。散々文字上で考えたり読んだりしていたけれどいまいち腑に落ちていなかった事に。寧ろ何でこんな事を今の今までちゃんと感覚が捉えられなかったんだろう、という。※この部分に関しては要考察。

17.《眼をとじて》1900~
モローによる《オルフェウス》⇒ルドンの《オルフェ》⇒《眼をとじて》の流れ。本来なら腹部に当たるところから生えるように立ち上る草花状のものは、死と転生。或いは静寂の中で内面から湧出る【想い】のようなものかも、と感じる。

メモは以上。
この5月に再訪を計画していた。再会を楽しみにしている。

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