個人的SM/DSの考察(というか、まとまらない考えの垂れ流しw)の3

さて、前回の続き「SMがカジュアル化したことの弊害」について書いてみたいと思います。
これにもいくつかの「段階的弊害」があったと思っています。
第一段階の弊害はAVコンテンツの中でSMが広まったことだと考えています。諸々の知識を得た上での行為という認識は薄く、刺激的な映像によってSMに魅せられた人がほとんどだったのではないでしょうか。
幸か不幸か、SM的な行為を実践したくとも1990年代では道具の入手が困難だったこと、行為を実践するためには高額な費用負担が生じるSMクラブなどに行くしかありませんでした。SMという存在が広く知られる一方で、実際に経験する・実践出来ることが少ないため、社会一般の中で知識・経験不足による事故はあまり起きていなかったのではないかと思います。

第二段階の弊害はインターネット普及によるものです。
第一段階では道具の入手が困難であること、知識・経験を得る機会が無かったとしましたが、インターネットの普及により、知識はWebコンテンツから、道具は通販または宣伝コンテンツから実際のショップで購入可能となりました。
SM的な行為を経験できるためのハードルが一気に低くなったのです。
また、それまでSMとは無縁と思われていた人が興味から知識を得て、SM系のコミュニティサイト(チャット等)に参加することが増えてきました。
この中の大半は「興味本位」と「性欲の捌け口(主に男性)」を求めてのものであり、「地下3階」時代のSM愛好者からすると、非常に苦々しい存在だったと思われます。
※実際に目にした事があるのですが、いかにも「私は真面目にSMを実践している者であり、知識も経験も豊富です。」と修飾した言葉を並べ立てて女性を釣り(失礼!)、結果、女性はSMどころか「ヤラれ損」で、心身ともに傷ついた。という事がありました。今も昔も変わっておりません。
地下3階と地下1階(今で言うヤリモク含めて)が混在することで、どの人が言っている事が正なのかが、非常に判別しにくくなってしまいました。

また道具や実践する機会を入手するハードルが下がったことで物理的な事故の発生が増えてしまいました。今でもXのポストで目にしますが、縛り方、吊り方をしっかり把握していないのに実践した結果、落下で怪我をさせた。縛り方が正しくなくて腕などの痺れが残った等の事故が増えることと成りました。カジュアルになっていなければ、しっかり勉強した上で出なければ実践・経験できないということを考えると、これもまたカジュアル化の弊害ではないかと考えます。
一方で被害にあった側にも責任の一端はあり、「~だと思った。」「~の言葉を信じていた」に代表される、悪い意味で「疑わない(考えることの放棄)」もこうした弊害の一部ではないかと考えます。
最終的には「各自で負うべき自己責任」ということになるのですが、騙し騙されという状況やその結果生じてしまった物理的な事故やそれによる後遺症に苦しむ。ということは起きて欲しくないなぁと思う次第です。

今は緊縛講習会や縄会などが多く催されていますし、勉強熱心に通われている方も多いと聞いていますが各自の心根や最終的な目的はその人の内心のものなので外側の人間には伺い知ることは出来ません。
既に経験済みの方々も含めて、相手選びと実践には細心の注意を払って頂きたいと思います。

な~んか薄い内容になってしました。次回はSMとDSは別ではないか。について持論を述べさせていただこうかと思います

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?