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違和感さん 3「意識高いね」

と、言われたけど、なんか違うんだよなと思っています。


ここのところ、気候危機だったり、NDCだったり、そういったことに思考がいっていた。エコバックやmyタンブラーは持ち歩いていたし、SGDsのこととかちょっと意識して買い物をしていた。なんとなく気にして行動して、でもなんとなくだからなんとなくレベルの行動でしかなかったわけだけど。

今回こうして強く熱心に【気候危機】について考えるようになったのは、古着屋DEPT代表のeriさんと、モデル・気候アクティビストの小野りりあんさんが始めたPeaceful Climate Strike(pcs)という運動がきっかけだった。温室効果ガス削減目標60%以上の引き上げと、脱原発・石炭を求める平和的活動。彼女たちの活動で、恥ずかしながらNDCという言葉を初めて知り、パリ協定のこと、そして気候危機のこと、もう色々と勉強したわけです。

そしてたくさんの事を知っていくうちに、妙に納得した言葉があった。彼女たちのいくつものプロジェクトの中で音楽の時間もたくさんあったのだが、その中で沙羅マリーさんの弾き語りがあり、こう話していた。

「どこかの星からこの地球を見た時に、“あの星も、そろそろ寿命なのかな”って思われてんのかなって。」

その言葉に、ああそうかもれないって思った。何もかもが当たり前で近すぎるから気が付かないけど、遠い星から見たらぎりぎりな星に見えてるのかもしれない。私はそんな地球の上で、今こうして生活している。

私にできることは何かな。何から始めたらいいのかな。

いくつか考え、食事を変えることもしようと思った。動物性のものを一切食べないヴィーガンに、できる範囲で移行していこうという計画。(世界で出している温室効果ガスの原因第3位が畜産業によるものだそうです。)

どの程度できるか分からないけど、とりあえずお肉を週2回に減らすということを今週からしている。始めたばかりだ。ほやほやだ。

「できる範囲でヴィーガンに移行しよーと思います」そんなことをインスタにあげると、

「意識高いね!」というコメント。

地球とか、環境とか、SGDsとか、ヴィーガンとか、エコとか、エシカルとか。世の中によく出てくる言葉になったものの、それらは結局意識が高いpeopleがすることだという認識があるように思う。そういう私もポストするときなんかどこか恥ずかしい気持ちがあった。というかかなり恥ずかしかった。

私は意識が高いことをしているのか?意識高いアピールでしかないポストをしてしまったのか?で、結局、ほら、恥ずかしい。

今回pscを通して「意識が高くなった」という思われることに、違和感がある。ポストしたときに恥ずかしさを感じる自分自身にも、違和感がある。なんなんだこの違和感。

でも同時に嬉しいコメントももらった。

「私もできる範囲でやろうと思ってたんだよーなんかいいレシピあったら教えて!」とか、

「pcsのインスタ、私も見てみるね」とか。

こんな中途半端な知識で気候危機云々を発信するのもなと思いつつ、みんなにも知ってもらえたらなという思いもあるわけです。でもそれは意識高いからではなくて、ただ「あ、今私がいる地球ってぎりぎりなんだろうな」って思ったから。気が付いたから。だから私はできることをやろうって思ったのです。

なーーんて、意識高い感じにかいてる。困ったな。

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