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作品を批評しているのか、批評を批評しているのか ──ゲームゼミ週報

先日、筆者は「2023年に考える『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の功績」という批評をゲームゼミに寄稿した。全部で約2万字のこの批評は、ありがたいことに大変多くの方に読んでいただくことができた。これはまったくの自画自賛だが、自分がこれまで書いた批評の中でも会心の出来だと思うし、作家として書き続けてきたことに対する自信を持てた。

ところで、今回の批評における結論……『ゼルダBotW』は西欧的なゲームデザイン(オープンワールドとイマーシブシム)と日本的なゲームデザインの「シルクロード」であるという結論は、実は『ゼルダBotW』が発売された2017年当時から筆者が考えていたことである。そのため、少なくともこの結論に基づいた批評を書くことは、6年前にも可能だった。

しかしながら、当時その結論で同じ批評を書いたとして、今回のように評価をいただけたか?これは非常に怪しい。何故なら率直に言って、6年前の自分には足りない様々なもの……例えば、言語化する語彙だとか、論理を支える知識だとか、ゲームゼミという発表する場所とかもそうだが、何よりも、批評が「作品」に直接向き合えていないことだ。

以下、こういう批評はやってはいけないよという教訓を自戒を込めて論じたい。(画像:Unsplash)

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