そこそこの英語より飛び切りの母国語

2013年だったか。私が小学校三年生のころから、学校教育に「英語」が組み込まれた。教育として英語に触れ始めて早13年、未だに流暢に英語を扱えるわけではない。一度だけ海外旅行に行ったのだが、少ししか通用しない自分のよそゆきの言語が頼る先は結局google翻訳だった。

22歳の現在、就職を前に「いつか海外勤務とかすんのかな」なんて漠然とした展望を頭の右端らへんに抱えたまま今日もアルバイトを終える。コロナの野郎が我々の隣人になる前はバイト先にも外国人がよく来て、oftenくらいの頻度で英語で接客をしていた。しかし今となってはそんなことはない。せいぜいYouTubeで聞き流しの英会話を耳元に装着するだけでアウトプットの機会が減った。同級生の中にはちらほら外国語大学に進学した者もいる。あいつらはペラペラなのかな、すげえな、と感服している。

私はHIPHOPをよく聞く。記憶にはないが人生で初めて出会ったラッパーは「MOROHA」。一番有名なのは「革命」という曲で、しばしば多くのリスナーの脳を金属バットで一発だけ打ち抜くラッパーだ。そのMOROHAが「二文銭」という曲でこう歌い上げた。

「そこそこの英語より飛び切りの母国語 海の向こうだって絶対に届くよ」

すげえ。聞いた瞬間に走る電撃を未だ忘れない。MOROHAはいわゆるワルの音楽というイメージのHIPHOPではなく、メッセージ性全振りの激アツなラッパーだ。MOROHAを語る以上、「HIPHOPもROCKもジャンルじゃない、魂の名前だ」という節も語らなければならないのだが、それはまた今度にしておこう。

もちろん、言語の違う海外の人に伝わらなきゃメッセージが強くても意味がないとも思えるが、自分の強烈なメッセージが誰かの心を揺らせたら、その振動はほかの人に波及していくだろう。それを踏まえて「絶対に届くよ」と解釈している。(間違ってないといいな)

いつか自分の言葉が誰かの心と身体を動かせたらいいな。そのためにはまず発信しなくては。消費するだけの自分はもう卒業して、生み出していく自分へ。そのためにnoteを初めて使ってみた。投稿1本目、誰かの糧になればうれしい。




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