【料理コラム】自炊能力が文化資産だったのは昔の話
TwitterのTLで、自炊は文化資産であるという言説を目にしたが、確かにそう言えたのは少し前までの話である。というのも、現実には自炊のハードルが格段に下がっているからだ。
僕の若い頃の話で恐縮だが、今ほど自炊はラクではなかった。その理由は、
1、材料や調味料の単位が大きかった。
2、半完成品はほとんど売ってなかった。
3、調理器具が高かった。
4、料理の情報は書籍かテレビしかなく、内容も分量も世帯向けである。
5、料理に求められる完成度がとても高かった。
である。これは、料理をするのが主婦で、かつ分量が世帯単位、つまり3~5人分を作るのが普通だった時代の話だ。
5の完成度については、現在でもやはり高い気がうっすらしている。主婦は絵に書いたような完全な食卓を提供しなければならない、という呪いが今でも有効なエリアが存在するからだ。しかし、SNSの普及でこの呪いも効力が薄まり、結果敷居が下がったようにも思えるが、育った環境によってまちまちなので、結局のところ認知の問題だ。
自炊とは、およそ自分で食らうぶんに限っては、必要な栄養素が摂取出来、味に大きな不満がなければ、それでも問題ないはずである。
きちんとした名前のついた料理である必要もなければ、決まった調理器部を使う必要もなく、見栄えのよい食器に体裁よく盛り付ける必要もない。
ただ摂取出来る状態になっていればいいのだ。
それを外野が、「ママはもっとちゃんとしたものを作っていた。お前のソレは料理なんかじゃない」と暴言を吐きまくるせいで、萎縮した独り者が必要な栄養を摂取出来ないなんて馬鹿げているじゃないか。
もっとも、自分の体のことなのに、無責任な外野のヤジを気にして実行出来ない輩も自我がなさすぎて大概である。料理に正解などないのだ。世界には正解が存在する、などとウソを学校で吹き込まれた連中には信じがたいのであろうが、現実には正解などそうそう存在しないのが正解だ。バカほどルールを他人に強いる。だが誰の人生にも責任を取らない。覚えておくといい。バカの言い分など無視していい。必要な専門家の情報はネットや動画で得られる。今はそういう時代だ。いくつでも探せばいい。
では、現在は昔よりラクになった点を挙げよう。
1、材料や調味料は小分けされている。
2、レトルト・冷凍・冷蔵の半完成品が売られている。
3、調理器具は100均で揃う。
4、料理の情報は専門家がネットにアップしている。
5、自炊に求める完成度は、食えればよしである。
どうだろう、とても難易度が下がっているとは思わないだろうか。
やれ時間がないだの、金がないだの、知識がないだの、僕からすればただの甘えである。(本当に極限状態の人は本項を読みもしないだろう)
さすがにネットで検索する能力もないレベルであれば、気の毒としか言いようがないが、多少は日本語が使えて、自分で検索する能力があるのなら、外食や買い食いのスパイラルから脱することは可能ではなかろうか。
節約レシピ、100均、電子レンジ、ずぼら飯、格安、業務スーパー、訳あり等々、入れるべき検索ワードは存在する。
現在、外食や食品の世界では、どんどん単身世帯向けに商品構成がシフトしている。テイクアウト食品の伸びも大きいが、レンチンだけ、コンロにかけるだけ、お湯を入れるだけ、などワンアクションで食べられる半完成品も増えた。ワンルーム住まいでコンロがひとつだけでも全く問題がない。今どきならコンロがなくても電子レンジは皆持っていることだろう。
ワンアクションで食べられるものとしは、かつてはインスタント食品やレトルトカレー、アルミ鍋に入ったうどんぐらいしか無かったものが、今では豪華絢爛、スーパーやコンビニには様々な半完成品が並ぶ。少し前まで弁当のおかずぐらいしか出番のなかった冷食も今や単身者向けメニューが花盛りで、人気商品はチャーハンと唐揚げだ。
金なし時間なし単身者は自炊が出来ない時代ではもうないのだ。世間が単身者に合わせる時代なのだ。
金なし時間なし単身者が真に自炊出来ない理由は、精神が疲弊しているからだ。心が疲れたり病んだりしていれば、視野狭窄が起こり、生活もルーチンから抜け出せない。実際には、目の前に自分をちょっとだけ幸せにしてくれるモノがあるにもかかわらず。
己が身を顧みることも出来ないほど心身を追い詰められているのなら、まずはそこから脱するのが先決である。
自炊出来ないのは、かつては文化資産に左右された。今は情報と心の健康に左右されている。
自炊とは、完成品購入以外で、食卓に食事を供する全ての行為を指すのである。生きるための自炊に乾杯。
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