昔、PBMに参加して書いたプレイ日記2

※「この日記がなんなのか?」については、1の冒頭を参照して下さい
 賑やかしのスキや、投げ銭は大歓迎です!

----------(以下、1999年当時のプレイ日記)-------


<四月二十九日 イベントに参加する>

 セシオンに行った。
 一応、拙者は「斬影夜想曲」のゲストでもあるので一時間前に入場する。控え室にいたが、マスターがゲームの話はあまりしないので耳をふさぐ必要がなくて助かった。まだゲームが始まってもいないのだから当たり前か。
 新城氏は眠そうだった。胃も悪らしい(※1)。

 午前中は、ゲームの全体的な説明だった。スタートブックを読破している拙者は大体把握している内容だ。気になったのは、世界の説明のところだろうか。解釈のずれがあったりするのを防ぐためか、あるいは単に段取りの都合だとは思うのだが、各勢力の説明も担当マスターではなく全て坂マスと高崎マスターがやっていた。彼らの立場は全体の動きと雰囲気を把握していることだから細部に詳しくなくても仕方がないことはわかるのだが、どうもそこばかりが強調されてしまって、あまり良くなかった。担当マスターに説明させて、二人はそれを補足したり訂正したりする側に回れば、前述の立場が良い意味で強調されたのではないか。マスターたち、控え室で暇そうにしていたんだから担当者6人くらい、あの場にいてもよかったのでは……と思ったまで。

 いろいろあったが、今回の焦点はやはり質問会とフリートークだろう。
 最近は授業やなんか(※2)で質問がある人など少ないが、この手のイベントでの質問の盛況ぶりは相変わらずである。聞く側なのは久しぶりで、これは「どう答えてやろうか」という感覚とはまた違った快感がある。
 そう、我々プレイヤーは(わお、なんと心地よい響き!)、マスターが困るのを見て楽しんでいるのだ。明らかに。拙者はTRPGでマスターをやる際、プレイヤーを喜ばすのに、彼らの行動に対してなるべく困った顔をするようにしているが、その辺と少し関係がありそうに思えた。同士諸君、安心していい。マスターも困るのが楽しいのだ。少なくとも拙者はそう思う。
 プレイヤー経験が浅いので、遅刻その他システム関連の質問は何か起こってから問題にしようと思っているので切実な問題ではない。割とどうでもよかった。今の拙者にとっては、その手のことは起こってから悩んだり怒ったりした方が新鮮でいいのである。
 ゲーム内容に関して思ったのは、予想通り早くも組織だった動きがあるなあということだった。総じて、「数が力ですか……ふふん」という気分である。といって、べつに集団アクションを否定しているのではないので誤解のないように。なに、一人者が僻(ひが)んでいるだけなのだ。
 ただ、遊演体での経験(※3)からいうと、集団アクションの持つパワーの本質は、ゲーム内のPCの数よりもむしろ、ゲーム外におけるプレイヤーの数にあると拙者は思う。
 どんなマスターにも「おいらはクリエイターであると同時にお客様にサービスしなきゃいけない立場でもあるんだぁ」という思いが少なからずあるわけで(なきゃないで困る!)、集団アクションは彼らの心のどこかで「大勢のお客さんが望んでいる何か」ととらえられているのである。事実その通りなのだが、これがなかなかのくせもので、「PCが数人で世界に対して起こした行為である」という認識を多分に曇らせてしまうのである。むろん、きっちりと世界を俯瞰しているマスター(※4)であればこのような曇りは一瞬で払拭されるが、それでもマスターの陥りやすいトラップには違いない(逆に言うと、集団アクションが有利である理由の一つなのだ)。
 例えば三千人が参加しているメイルゲームがあるとしよう。一人のマスターのアクション許容量は妥当な線で三百人というところだろう(実戦経験の豊富なマスターでの概算)。そのうち十五人のプレイヤーが集団で何かやるとするならば、三百人中の十五人……他に集団アクションが無かったとすると、ゲーム外の(ハガキを前にしたマスターの)感覚からすれば、全体の5パーセントの人間が結束してストーリーに及ぼすベクトルは相当なものだ。残りの95パーセントが彼らと完全に逆向きのベクトルを持っていない限り、これを無視するマスターはまずいない。ここでプレイヤーにある種の誤解が生じる。つまり「大勢集まれば何でも出来るのでは?」という期待だ。
 望む変化が、マスターの責任内である三百人やその周囲にのみ影響することだったり、純粋に個人的な(その集団の集会を開くとか、街頭で騒ぐとか、一行で処理できるような)ことならば確かに効果を期待してよい。
 だが、ゲーム全体に数の力だけで変化を求めるには、それ相当の数を集めなければならない。仮に三百人に対するに十五人なら、単純計算すれば三千人に対しては百五十人でやっと同等の力を持つことになる。だが、「プレイヤーの希望」という意味では、十五人でも立派にマスターを脅かすパワーになる(当然だ。他は一人ずつ対処すればいいのに対し、瞬時に十五人を敵に回すのはプロと言えどもためらわれる)。むろん、これはやや乱暴な例で、数だけで世界に働きかけたら……という話である。アクションにおける「前後の脈絡の把握」とか「周囲の動向」とか「優れた行動内容」とか「的確なタイミング」といったものを無視している。が、しかし、ひとたび数の魅力にとりつかれた者は、この手の基本を疎かにする傾向もまた確かなのだ。
 だからこそ、きっちりとゲーム世界の規模を見据えているマスターが「たった十五人でそんなことできるかい!」と思ってマスタリングしても、「十五人ものお客が口をそろえてるのに何故じゃ~」と納得できなかったりする。初めから論点がずれているのだから当然なのだ。
 もっとも、そのメイルゲームが「プレイヤーの圧力もルールのうち」と明言していれば問題ない(いやいや、それどころか拙者も今やプレイヤーだ。最大限利用させてもらう)。だが、そう明言していない以上、集団アクションを手にしたマスターには、それが「ゲーム内におけるPCの力となり得る」のか「プレイヤーによる圧力でしかない」のかを見分けてマスタリングしてもらいたい。
 まあ、本ゲームのマスター陣はその辺を充分に心得ていはずで、だからこその「数が力ですか……ふふん」なのである。結論、たしかに数は力だ……求める変化を起こすに相応しい数があれば。
 その点、この日の坂マスは立派だった。身内であることとは全く関係なく、これは純粋にゲームを管理する人間としての彼の才能を評してのことだ。この高い評価は、何やらその手の質問を斬って落とした彼の一言に由来している。
 きちんと覚えていないが、彼はこんな感じのことを言ったのだ。
「まあ、戦列艦が百隻もあれば、ラ・キーユ一国ぐらい何とでもなります」
 そりゃそうだ。船アクションのルールからすると、戦列艦百隻を揃えることは即ち、PCを百人集めることに他ならないのだから(※5)。
 「可能性があること」=「絶対に実現できる」と思い込むのは大きな間違いなので、騙されてはいけない。いや、騙されてもいいが、実現できなかったときに騙されたと怒るのはみっともない。なにしろ、本当は騙されていないのだから。
 幾つか提示された可能性の中から実現できる目標を設定し、その過程を楽しむ方が元をとれる気がする。拙者は「遊ばせてもらう」ために金を払ったのではなく、「遊ぶ」ために金を払ったのだ……と思うことにしているからだ。
 ちなみに拙者の質問も数字に関してに終始した。金と名誉のある強いキャラクターが、どこまで有利なのかを確認したかったからである。むろん、有利でなければ困るが、さらに言うならストーリー進行中にその手の強いPCが乱入してきたときのマスターの心構えを確認しておきたかったのだ。言うまでもなく拙者がそうした乱入を企んでいるから聞いた(※6)わけだが、回答は「金と名誉があれば有利だが、だからといって行動が採用されるとは限らない」というようなものだった。そりゃそうなんだが、こうした乱入における判断力の低下もマスターが陥りやすいトラップの一つだと拙者は思っている。
 要するに、「これまでの流れ」というのはまさに魔法の言い訳なのである。仮に前後の脈絡をきちんと加味したほぼ同等のアクションが二つあったとしたら、やはりこれまで登場していたPCのほうに心が動くもの。その瞬間、ルールにない判断基準が存在してしまうのだ。まあ、これはマスターが血の通った人間だからこそ起こることで、一概に悪いとは言い切れないのだが。また、拙者としては「各マスターがこの手の事態にそれぞれどのように対処するか?」そのものに興味があるだけなので、目くじらを立てる気も問題提起する気もないのである。
 ともかく、このゲームでは「金や名誉は採用基準ではなく、採用後の活躍の度合いに適用されるもの」と解釈すれば納得できる。もっとも、己がPCの実力を把握した上でそれをアクションに反映させるのは間違ったことではないので、とりうるアクションの内容が名誉や金の量によって変化することもあるだろう。

 フリートークでは、ほとんどAISの席にいた。新城氏の補佐という感じだったが、あんまり拙者がいる必要はなかった。小説の話も出たが、やはりゲームシステムに関する話が多かったし、そうなるとマスターに任せるしかない。
 プレイヤーとしてはエレネソスの金城マスターのところで少し話をした。誰かに「え、プレイヤーなんですか?」とか言われた。疑われたのか?
 そうなの。信じてもらえないかも知れないけど、ちゃんとプレイヤーレベルの情報だけで勝負してんの。そうでないとフェアじゃないでしょ。わざわざ金払って、自分自身やエルスウェアの名誉を汚すようなことはしないって。たしかにマスターやってたっていう利点はあるけど、この日誌みたいな「一風変わったメイルゲームの楽しみ方」にしか使えないし、その利点自体、お金持ちで何キャラもエントリーしてる人と同じこと。「悔しかったら金をつぎ込め」と言われても拙者が金欠なのと同様に、「悔しかったらどっかでマスターやってから参加すれば」って言えるだけなんだから。って、ちょっと乱暴だな。

 その後、この日一番の目的だった貿易カードと金塊カードの交換に成功する。最初にもらえる貿易カードは、船を持つ予定のない人には無用の長物なのではと思い、安く買い取りたいと考えていたが、やはり何人かいらない人がいてくれて助かった。
 交換してくれた人、ありがとうございます。塵も積もれば何とやら、まとめて「たたき売り」ができるといいのだが。何ヶ月かするとただでも集まるのではないかと思ったが、ここはやはり交換だ。交換すること自体が楽しいのだから。
 二次会の後、エルスウェアで貿易カードを数えていたら、孝岡マスターに、
「伊豆さん、勝手にカード持ってっちゃだめですよ」
 とか言われたので、
「違わい、これは俺が今日のイベントで交換したの」
 と答えたら、
「この人ぁ、早速やってるよ~!」
 とかなんとか呻かれた。いいじゃんか、本気でゲームやってんだからよぉ。
 夜中はエルスで麻雀だった。最後の半荘でバカ勝ちしたので、名誉点が大幅にプラスに転じる。といってPCの名誉点とは関わりがないので誤解しないように。拙者はプレイヤーだし、フェアじゃないから、なにか状況を公平にできるようなルールが適用されない限りこの名誉点は何の役にも立たない。プレイヤーを代表して、せいぜいマスターの名誉点を減らしてやろうかと思う。
 ちなみにトップは孝岡マスターだ。拙者も上につけてはいるが、差がありすぎ。大半のマスターは早くも点数がマイナスに転じているが、最初の持ち点が一万点だからなあ。


※1:でも、夜は元気に麻雀してたぞ。変だな。
※2:拙者は食うために私塾で教鞭をとることが多い。そこからの経験。
※3:この日誌を読む人の中には知らない人もいるかもしれないので言っておくが、拙者も昔は遊演体でマスターをしていたことがある。ちなみにゲムルでのゲームでは、何故かそういうことはなかった。
※4:拙者の知っているマスターの中で、この能力が最も高い人を選べと言われたら、坂マスと早島マスターの二人を挙げるだろう。ルールが存在し、それを守るのがゲームというものであることを理解しており、しかも柔軟に対応できるのである。この点は見習わねばと常々思っている。
※5:船アクションでは、一隻の船には最低でもPCが一人乗り込まなければならない。ちなみに戦列艦を百隻用意することは不可能ではない。とはいっても、不可能ではないだけの話しなのだが。
※6:他者の質問も、「ああ、あの人はこういうキャラクターでプレイしたいのだな」とか「こんなことをしようと企んでいるのだな」なんてことがわかるものが多かった。

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