『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』を観た。
京成ローザで観てきた。
いやあ、いい映画だった。
スパイダーマン好き、それもこれまでのスパイダーマンの映画作品に付き合ってきた人にとっては、最高の映画じゃないだろうか。これはもう、絶対に見に行くべき――なんて私に言われなくたって、そういう人は見に行くだろうけどね。
私の場合は、子供の頃に翻訳版のコミックで好きになり、東映の特撮のスパイダーマンを楽しみ、スパイダーマン好きのままで大きくなって、映画ではサム・ライミ版もアメージングスパイダーマンも、スパイダーバースも、もちろん「ノー・ウェイ・ホーム」の前2作も全部見ている(アベンジャーズの映画も)。ただ、その後のコミックは読んでないので、よくは知らない。だから「ここ二十年くらいのスパイダーマン」と言ったら、「映画作品のスパイダーマン」ということになる感じだ。
どの作品も楽しんで観てきたが、一番好きなのは現在のシリーズ。
サム・ライミは大好きな監督だし(キャプテン・マーケットとか大好き)、サム・ライミ版の三作品も嫌いじゃないが、2、3と進むにしたがって色々と釈然としないところや、辛すぎるポイントも多かった。
アメージングスパイダーマンは、サム・ライミ版の2や3よりはずっと好きだ。特にグエンとの関係の描き方は、今のMCUのシリーズより好きかもしれないくらい。だからこそ、2で恋人が死ぬわ、続きは作られないわで終わったのが悲しかった。
で、いよいよ「ノー・ウェイ・ホーム」である。
がっつり、あの「ファー・フロム・ホーム」でとんでもないことになって終わったとこの直後から始まるのだ。まるでバック・トゥ・ザ・フューチャーみたいに(って、色々とあの作品を彷彿させるところあるんだよなこのシリーズ。主役の雰囲気も似てるし)。
あそこから、こんなことになるんか~!? という驚きと感動の展開になる。
何度も言うが、本当に素晴らしい。最高のスパイダーマン映画だった。
半分くらいは、ほぼ泣きながら見ていた。そのくらい素晴らしかった。
でも、最高に悲しい思いもした。裏切られたというか。「あー。このシリーズも」というか。
あ、これ以上は、見ていない人に話したくないから読んじゃダメ。
絶対にそのほうがいい。
というわけで、この先はネタバレを含みます。
何が素晴らしいって、マルチバースを十二分に活かした構成だろう。
作品内のムードは、これまでの二作と同じユーモアに富んでいたので安心してみていた。
で、いきなりドクター・オクトパスが登場して腰を抜かした。リアルに『スパイダーマン2』のまんまのドクター・オクトパスだったから! さらにグリーン・ゴブリンまで!
例によってピーターがバカやっちゃって(ストレンジもバカだが)、またまた「椅子の人」ネッドと騒動に巻き込まれて、今度はMJも初めから協力者で。しかもスペシャルゲストで他のユニバースからライバルビィラン登場――と、いつもの「明るく楽しいスパイダーマン」の特別なやつが見られると思った。
例えて言うなら、マジンガーZ対デビルマンとか、ああいや、グレンダイザー対グレートマジンガーというべきか、みたいな。マンガまつり的な……。
だから、こんな「感動モノ」になるとは夢にも思ってなかったのだ。
ドクター・ストレンジの説明が入って、ルールが飲み込めてきて、ああ、リザードマンはアメージングのか、そういうことか……と。
主要ビィランが勢揃いするまではそうやってみてたんだが、そこから二段階の感動が待っていた。スパイダーマンにやられて死ぬ前の状態でやってきたから戻せば死んでしまう彼らを、「直してから返せば助かるはず」って考えるピーター。んもう。やっぱり、この世界のピーターはバカでいいんだよ。そこがいいの。
ドクター・オクトパスが治ったときのあの優しい顔――。
もうね、救われたね。『スパイダーマン2』はただただ悲劇って感じだったからなあ。最後に正気を取り戻して犠牲になった彼が、助かるんだ……と見ているこっちまで救われた気分になった。この時点で涙が出てたなあ。
それが、あんな悲劇の展開になるとは。
グリーン・ゴブリンのあの罪深さ。たまらん。
たまらんのだが、しかし……。
あ、いや、今は感動したほうだけで突っ走ろう。
メイおばさんが死ぬまでは、まさかまさかと思っていた。ああ、そうくるのかと思わされたの久しぶりだ。
このどん底からどうするの? ネッドとMJだけじゃどうにもならんでしょ、と。
スターク社のバックアップとかアイアンマンの後継者とかは、前から恵まれすぎとは思ってはいたが、これもアベンジャーズにあんな形で合流したわけだし、このシリーズではありだと納得していたのに、その助けもなくなってるし……と。
そうしたら、あれだよ!
まるでV3のピンチに1号2号が助けにきたような……!
しかも、ちゃんと「ご本人登場」で!!
最高すぎでしょ!!!
ピーター・パーカー揃い踏みのあとは、すっかりいつもの調子で、先代ピーターたちもこの世界のノリで軽口をたたくのが微笑ましい。
そして、最後の決戦。
ひとつ、またひとつと、過去のスパイダーマン映画での「傷口」が癒やされていく。本当にね、長年付き合って見てきたこっちも、ずっと疼いていた傷口がふさがるような感覚だったんだよね。
特に、特に最高だったのは、MJが落下するシーン。
ピーターが、まるで「別の世界でのあのときのように間一髪で間に合わなかった」ところを、アメージングのほうのピーターが「今度こそは」と助けるあのシーン!
もう、涙ボロボロよ。
なんちゅうものを見せてくれるんだ。まったくもう!
こんなん、泣くに決まってんだろ!! この瞬間のアメージングのピーターの気持ちを思うと、もうたまらんでしょうが。
今回は間に合った――みたいのと同時に、あの時に間に合わなかったのはやり直せないんだって気持ちも一際強まるわけだし……。
あと、絶対に助けに来てくれると思ってたドクター・オクトパスの登場もも最高だった。
そして最後の最後でグリーン・ゴブリンを追い出すとこも、素晴らしい。まったくもう、このピーターどもめが! 最高だぞ!
でも、でもさ。
私はホームカミングが大好きなんだよね。
それは「終わりの方で『誰かの墓の前に立ってるピーター』を見るのは、もうたくさんだ!」って、これまでのスパイダーマンで何度も思ったからなんだよ。そんな私が、ホームカミングを初めてみたとき、どれほど嬉しかったことか!
だから、だからさあ……。
この世界のピーターが、メイ叔母さんの墓の前で悲しい顔してラストになるのだけは、それだけは本当に本当に悲しかった。
この世界の「大いなる力にともなう大いなる責任に関するスパイダーマンのあれ」に関しては、おじさんの代わりトニー・スタークがやってくれたじゃんか! もういいじゃんか!
「やっぱりこうならなきゃスパイダーマンじゃないよな~」みたいに思ってるファンも結構いるんだろうけどさあ、私はもうたくさんなんだよ。
リメイクされるたんびに、何度も何度も何度も身内を失って孤独にならなくてもいいよ。明るく楽しいスパイダーマンでいいんだって!
……って、思っちゃったんだよなあ。
美人のメイ叔母さんは、ソーにおけるダーシーみたいなポジションだと信じていたのになあ……。
本当に「その路線はいらねえよ!」って。あそこだけは、もうどうしようもなく悲しく、虚しくて、やり場のない怒りを覚えてしまった。
その上、これまでのどの映画のスパイダーマンよりも孤独になってしまったんだよ。誰も知らないんだから。なんて皮肉なんだ。
ホームカミングの頃との落差ときたら……。
だから、スパイダーマンの映画として最高の出来だと感動しつつも、「スパイダーマンは、どうしてもこの暗い面を引きずってなきゃいけないのかよ! そうだっていうのなら2作品にも渡って勘違いさせんじゃねえよ!」って、本当に悔しい思いも味わってしまった。いや、言うだけバカだし無駄だし子供じみてるだろうなって、自分でもわかってるよ。
だけどさあ、ホームカミングもファー・フロム・ホームも、あまりに明るく楽しくて大好きだからさあ……。
もういいじゃん、何度も何度も見たくないよ――って、なっちゃうんだよ。
今後、どう展開するのか。
なんとかしてくれると期待して待つしかないな。
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