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育休中の後悔から気づいたこと

2回の育休を経験して後悔していることが1つだけある。それは夫に「育休をとってほしい。」と一度も言わなかったことだ。

お腹に子どもがいるとわかったときに、夫に「育休をとりたい?」と聞いた記憶はある。ただ、回答に前向きさを感じなかった私は、そうだよねと勝手に納得した。初めての育休は9年前だったが、当時は育休をとる男性は本当に珍しかった。上司の理解やメンバーとの仕事の調整など、大変なことは容易に想像がついた。私はそれ以上いいつのることをしなかった。

一応、夫の名誉のために書いておくと、私は夫をとてもいい父親だと思っているし、頼りにしている。夫は、産後もしっかりサポートしてくれたし、保育園の送迎もするし、子どもが病気の時には仕事をやりくりして休んでくれる。ただ、私が後悔していることがあるという話だ。

翻って、1950年代生まれの母はどうだったのだろう。母は、銀行員だった父の全国転勤に付き添いながら、2人の子どもを育てあげた。私の記憶のかぎり、4回の引っ越しに付き添い、夫の単身赴任中は、1人で家庭を守った。当時、転勤族の夫をもつ女性は皆そうだったとはいえ、誰も知り合いのいない土地で子育てをすることも、子どもたちの思春期に1人で対応することも大変だったろう。だが、母から子育てに関して愚痴をきいたことはない。

そんな母が唯一不満らしきものを口にすることがある。それは、出産時のことだ。

今でも、そしてこどもの頃から何度か聞かされた。「産気づいて、あなたが産まれそうだというのに、お父さんたらね、仕事に行ってしまったの。おばあさんが、来ていてくれたからなんとかなったけどね。」と。

子どもがいなかったときの私はこの話を聞くたびに、「出産という母にとっての一大事に仕事を選ぶなんて、父さん大失点だなー。これは一生いわれるぞ。」と思っていた。

しかし、自分が子育てを経験して、この話の裏にあるものに気づいた気がした。母は父と子育てを一緒にしたかったのではないだろうか。その出発の出産時に父にいて欲しかったのではないか。

そう考えると私も同じなのだ。「育休をとってほしい」という言葉の裏にあったのは、「一緒に子育てをしたい」という想いだ。時代や環境や置かれている状況により、パートナーに伝えたかった言葉こそ違え、私たち親子が言わなかった言葉の根っこには「夫婦で一緒に子育てをしたい」という願いがあったのではないか。

だが、2人とも伝えるべきタイミングで言葉にしなかった。そして、母は唯一の不満として、ときおり口にし、私は「なぜ伝えなかったのか?」という後悔として、じくじくとした傷となっている。世代の違う私達が夫に言えなかったのは、単に血のつながりで似ているからなのもしれないし、お互いに長女気質で人に頼るのが苦手だったからなのかもしれない。

でも、本当にそれだけだろうか?
そう思っていた矢先に、長谷川眞理子さんの記事を目にした。

分断された「仕事」と「家事育児」 20世紀文明の大失敗=長谷川眞理子・日本芸術文化振興会理事長

記事の中で、長谷川さんは
工業化と都市化によって人が生きる営みは「仕事」と「家事育児」に分断され、男性と女性の役割分担が定着したのが20世紀だったとまとめている。

はっとさせられた。もしかしたら、私も母もこの社会構造において求められる役割を無意識のうちに理解し、相手の立場や役割を忖度し、言葉を飲み込んでしまっていたのかもしれない。

一方で、男性はどうだったのだろうか。
厚生労働省の調査によると末子の妊娠・出産前と仕事の変化について、男性正社員は7割の人が「変わらない」と回答している。

内閣府HPより

多数の男性が働き方を変えない中で、たとえ子育てに時間を割きたいと思っても、自分だけ働き方を変えるのはなかなか難しいのが現実だったろう。少数だったかもしれないが「子育てにもっと関わりたい。パートナーと一緒に子育てをしたい。」という願いから生まれた言葉は、どれだけ男性の口に出されてきたのだろうか。

人の営みが「仕事」と「家事育児」に分断され、役割分担が固定化された社会の中で、裏にある想いに気づかれもしないままに、自らの中で飲み込まれてきた言葉がどれほどあったのだろうか。
その言葉達を思うと、切なさを感じずにはいられない。

前出の記事で長谷川さんは最後にこう締めくくっている。
『人間の生活を、お金を稼ぐ「仕事」と、生きることを支える「家事育児」に分断してしまったのは、大失敗だったと思うのである。でも、ごく最近に出現したことなのだから、また変えることもできるに違いない。』

東京都が掲げている育休から育業の流れは、まさに分断された仕事や育児を人の包括的な営みとして取り戻そうとする動きだと思う。

私たちの子どもたちが子育てをする時、20世紀に生まれた役割分担が遺物となっていることを願う。
パートナーに対しても、社会に対しても何かを飲み込むことなく伝え、堂々と望める社会になっていて欲しい。また、その多様な要望や願いを受け入れられる社会であっていて欲しい。
そのためにも私も自分ができることを少しずつでもやっていきたい。