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ERRORを背負ってどう歩くか

前回記事に引き続き、Miiakiisワンマンライブツアー「ERROR」大阪公演の感想です。

今回はこのツアーライブと直近のアルバムのタイトルにもなっている「ERROR」というテーマに着目して、いろいろ考えてみたいと思います。


「ERROR」とは何なのか

これについてはライブ中に言及がありましたが、あえてあまり文字にされていないことだと思うので曖昧な記憶で書き起こすことはしません。
「ERROR」という楽曲のリリックの中から読み解けることではあるので、このツイートを読んだり実際に曲を聴いて頂くのが良いのではないかと。

誰でもERROR
何かが足りてない
システムエラー
誤作動だらけのLife
僕らはERROR
でも否定はさせない
完璧なんて
どこにもないから
早歩きはやめて

ERROR, Miiakiis

(歌詞はこちらから引用しています)


ファンの痛みに寄り添うMiiakiis

前回のアルバム「ter in die」から、Miiakiisは明示的にファンの苦しみ痛みに寄り添うような楽曲を表に出しているように思います。
それは「推し」である彼らの耳に、ファンの日常における苦しみが届くような状況であるということでもあります。

私は苦しい時の現実逃避先として、推しを推すことがあります。
自分ではそう意識していなくても、新しい推しに沼るタイミングは大抵自分の人生が停滞しているときです。

似たような方はたぶん、少なくないのでは。
だって推しは自分の人生と本来関わりはない存在なのですから、すべてが順風満帆だったらそこに心を寄せる理由はあまりないはずです。

だから推しが目にする「ファン」は、人間の平均よりは病んでいる可能性があります。
つまり推しは、そういう人たちをお客さんにしなければならないわけです。

そんな中でファン個人個人の苦しみの声が推しに届くことは、私個人の価値観からするとあまり望ましくないように感じます。
しかしMiiakiisはその声を吸い上げて、いくつかの作品にしてしまいました。

これを逞しいと見るか、推しとファンの関係性のあり方の一つと見るかは、まだ私の中で結論めいたものが見いだせていません。(後者であったとしても逞しいとは思いますが)
「ter in die」以前もMiiakiisはファンに目を向けた楽曲をいくつか出しています。
今後、Miiakiisがファンへのメッセージとしてどんな作品を作っていくのか、とても楽しみです。


ERRORを回収する場としてのライブ

今回のライブツアーがファンのERRORを回収するというのが一つの目的になるとするなら、日ごろ自分のERRORに直面せざるを得ない私たちに切り替えの場を用意してくれていると読み替えることもできるでしょう。

前回記事でライブは「ハレとケ」の対比における「ハレ」であると書きました。
「ハレ」を日常をリセットする装置であると考えるなら、ライブも日常で向き合わなければならない辛さを一度払拭することができる場と見ることもできます。


ERRORを肯定する=社会モデル?

ERRORを肯定するという態度から私が連想したのは、「障害の社会モデル」です。

一般的に“立って歩けない” “目が見えない“ “耳が聞こえない”などの心身機能の制約が“障害”と捉えられがちですが、“階段しかない施設”や“高いところに物をおいた陳列”など、社会や環境のあり方・仕組みが“障害”を作り出しているということが分かります。
この障害の捉え方が“障害の社会モデル”という考え方です。

障害の社会モデル(共生社会と心のバリアフリー), 日本ケアフィット教育機構


障害に限らず、私たちはしばしば自身が抱えるERRORに苦しめられます。それも実際は自分の足りなさだけの問題ではなく、環境のあり方との間から苦痛が生まれている可能性があると考えられないでしょうか。

そして私たちはしばしば、自分だけではなく他者のERRORにも直面します。そんな時、本当の意味でその人のERRORを回収してあげられるのは、その人の環境や社会の構成要素である私たち自身なのかも知れません。

推しとファンのある意味で微妙で生々しい関係性から生まれた「ERROR」。それを愛だとするのなら、推しに直接返すだけではなく、別の形でどこかに繋げていくことができるメッセージだと思いました。

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