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2023.5月〜6月_その3_ちょっと7月も

6月後半と7月あたまの日々の採集。


保育園の個人面談があった。

「娘さんは先の予定を知っていると安心するようです。次はこれをやるよ〜、お昼寝しておやつ食べたらママが迎えにくるよ〜など、見通しがついていることがよさそうですよ」
というようなことを言ってもらって非常になるほどと思った。

私は彼女が割と小さい時から、次はこうする・こうしたらこうなる、と、事の流れを説明するようにしている。自分がもしわけもわからずどこかに急に連れていかれるのとかちょっと嫌だなぁと思うからで(サプライズとかは別)、歯医者とかの嫌なコンテンツも事前に伝えておく。そうすると勇者のような気持ちになって挑んでくれたりする。
それは私と彼女の間の信頼を築きたいからで、また、心構えをすることで、できるだけ能動的に気持ちを作ってもらいたい、とも思っている(嫌だなという気持ちも大事な心の情動だという考え)。
これまでのそういう生活が、細部(この場合だと保育園)で効果が出ているということに、私の脳内でレベルがひとつあがった時の音がした。
これは彼女との生活においてのライフハックと言ってもよい。

「お外で遊んで〜、お食事して〜、お昼寝して〜、おやつ食べて〜、それで少し遊んだらお迎えだよ〜」と、その日の行動をなぞりながら登園するだけで、彼女の心が少しでも安心するのなら、使わない手はないだろう。

お風呂に入れると中から小さいおもちゃが出てくるバスボム。
普段は全然買わないのだけど100円ショップに行った時に指輪が出てくるというバスボムを見つけて、絶賛プリンセス中の娘にねだられた。
「〇〇ちゃん(娘の名前)、このピンクの星のがいいな」とのこと。
すかさず「どれが出るかわかんないんだよ、違うのが出るかもしれないからね」と念押しして購入した。
その日の夜、うきうきでお風呂に入れると、欲しかったピンクの星の指輪が出た。

別の日、ディズニーストアへひさしぶりに行ったときのこと。
ディズニーストアでは行くと何種類もある名刺サイズのステッカーを1枚買っていいことにしていて(大切にファイルに入れている)、その日は美女と野獣のステッカーを手にしていて、ではレジでお会計を…と思ったら
「これがいい」と、プリンセスのキーホルダーが出てくるガチャを指差した娘。
「ガチャかステッカーかどっちかひとつだなぁ」と言ったらステッカーはそそくさと戻してきて「これ(ガチャ)がいい」「このベル(美女と野獣のベル)がいい」と言った。
わたしはまた前述の「どれが出るかわかんないんだよ」を定形して、お金を出した。そしたら見事にベルが出た。

思いは招く。
卵が先かニワトリ(ひよこ?)が先か、わからないけれどとにかく彼女の「欲しい」と「狙ったものが出る」のポイントがちょうど合致するのだと思う。子供は本当にセンスが良い。

あまりにも感動したので、「〇〇ちゃんが欲しいなと強く思ったから出てきたんだと思うよ、こういうの思いは招くっていうんだよ」と話した。意味が伝わったかはわからないけれど。

そんなことを思った数日後にある店で扇子が目に入った(私の話です)。
そういえば前に使っていたものは壊れて処分してしまったからこれから暑くなるし欲しいなと手に取って開いたり仰いだりしてみたのだけどなんとなく買わなくて帰宅した。
そうしたらその日の夜に帰宅した夫から細長い箱をもらって「会社の在庫調整でもらったよ〜」とのことで開けてみるとなんと扇子だった。
しかも私がいいなと手に取ったものより上質なものだ。
思いは招くんだなぁと、ちゃっかり私も便乗した。



月に一度行っている森のようちえん。
急に先生から「もし入園をご希望であれば来年度からではなくて2学期からの入園はいかがですか?少しでも早い方がいいと思います」と言われて、我が家はざわついた。ん?2学期っていつ??9月?え!
森のようちえんに編入したいという気持ちは私の中ではかなり現実的に考えていたが、実際に勢いがつくとちょっと待ってと焦る自分もいる。
森に行くとなると今までのようにヒプノのセッションを頻繁には受付できなくなる。もう少し個人の収入を増やしたいと思っていたけれどそれも再考が必要だ。

けれども、毎日毎日感じている今の保育園に預けるたびに何か削られるような感覚、それは娘がとかクラスのお友達がという以前に、保育士の先生たちに対する違和感で、申し訳ないが私の目指す環境ではなく、安心感がまるでない。先生に余裕がない、余白がない、真正面からの視線を感じない。そんな風にいつも感じている場所で就学までの大事な時期を過ごしていいのか、もちろんそこにいることで育つ彼女も可能性としてはあるだろうけれど、どうしても何か削られるような感覚が拭えない。



6月のおわり、森のようちえん入園希望者による見学会があり、その日は夫も一緒に、家族全員で森を訪れた。
夫は初めての森のようちえんを体験したのだけど、それまで森のようちえんへの編入の話をすると「ママは自分の時間がもっとなくなるけれどいいの?」「送迎が大変じゃない?冬とかあぶないかも」などの心配事を言ってくることが多かったのだけど、この日の体験を境にそのようなことは一切言わなくなった。私がその心配事に対して毎回「うん、でも娘ちゃんにとって就学前のとても大事な3年間だけど、それは私の人生ではほんの少しのことかなって思ってる」と答えていたことを、森を体験することで本当に身に沁みたようだ。それくらい、夫にとってもインパクトのある1日だった。

森のようちえんへの編入が現実味を帯びてきた時に、ヒプノセラピーをする時間や自分の時間が減ってしまうかもという話をある人に聞いてもらった時、モデルの冨永愛さんのインタビューで『仕事を休んで育児をした3年間が私を今の私にした』というエピソードがありましたよと教えてもらってとても救われた。
そうすることもそうしないことも正解はないし、どちらでもいいのかもしれないけれど、私(親)が納得できているかどうか、心身ともに健康な状態でいるかどうか、そういうことが子供の心や目の前の現実を作るんだと思う。
思いは招くのだ。



森のようちえんに通っている子たちの保護者が中心となって発行しているフリーペーパーに「利他に向かうための自己中心」と書いてあった。
よく育児1年目のお母さんが目にする雑誌や育児書には、お母さんはなるべく自分の時間を作ってリフレッシュしてくださいねみたいなことが書いてあるのだけど、要するにそういうことだ。
他人に利益を与えること、他人の幸福を願うこと。それもいいけれどその前に自分を満たしてねと。(決して自分勝手な意味での自己中心ではない)
お母さんだけでなくいろんな立場の人にあてはまることに気付くと同時に、子供達もこの順番なんだなと気付く。

自分がどう在りたいのか、自分がどう在ると心地よいのか。

その場所に立ち止まるためには、余裕を持って見守る大人が近くにいるのがいい。そしてその大人に余裕があるためには大人もまた自分の在り方を信じている方がいい。1本の木から生えている細い無数の枝を見て壮大な森を感じるように、強くしなやかな心をひとつずつ積み上げていくことが優しい世界をつくることにつながっていくのだと、やっぱりどうしても信じてしまう。


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