2022.8.29~9.4
8/29
月曜日。私は今日と水曜日に大切な講座が入っている。娘は朝起きるとなんだか咳が出てきていた。
まず咳が出てきてそこから鼻水が出てきたら彼女の身体はSOSサイン。あっという間に発熱するのですぐ病院に行って養生するのが私の中でルール化されている(すぐ病院に行くことに賛否あるかもしれないが熱性痙攣をおこしたことがあるのでなるべく早い段階でお医者さんに診てもらっておくことにしています)。
今日はまだ咳が出ているなぁ程度なので保育園に行ってもらうことに。
しかしながら予感はしていた。
講座ではこれから取り組んでいくつもりのヒプノセラピーについての基礎講座で、その中で「暗示」について出てきた。
暗示とは使い方によっては怖いもので、大人もふと他人から言われたひとことが知らぬ間に頭に張り付いて何かするたびにその言葉が思い出されて前に進めない・力を出しきれないことがあると思うが、その「他人から言われたひとこと」がここでいう「暗示」だということだった。
自分で自分に暗示をかけてしまうこともある(逆の意味もしかり)が、他人からの言葉の影響力は大きく、それがなんの前触れもなく突然大きい声などで発せられた言葉であると、それがスイッチとなってその人に暗示がかかってしまうらしい。ともすれば身体機能も麻痺させるそうで、吃音の方が子供のころに親から言われた「だまれ!」というひとことがスイッチだったというような事例も紹介され、私は非常に興味深く、また、恐ろしくなった。
ヒプノセラピーについてはまたどこか別の場所で綴りたいと思うが、5歳〜8歳くらい(少なくとも10歳以下)までにうけたさまざまな出来事が、その人の人格形成や思考パターン・行動指針の元となると教わった。その10歳以下の記憶が「潜在意識」となるためだ。
そしてその潜在意識下で記憶されたネガティブな記憶(たとえば先の例だとだまれ!と怒鳴られた怖い記憶)が、その後の人生でもひずみとなってしまう(先の例で吃音となって現れる)。
私は日頃の娘への言動を反省した。
特に最近は自分の意志が出てきて体力もついてきたため、いろいろなことが親の言う通りに動いてくれない。特に夜、寝る時になかなか入眠に意識を向けてくれないことが多くなった。そこで最近保育園でも遊びの中に出てくる「おばけ」を使うことにした。このnoteでも以前書いたが、「9時のおばけ」だ。この効果は抜群で娘は怖くて身体を小さくしたりぎゅっと目をつぶったり私に抱っこされて入眠するのだが、これを続けては娘はもっと夜が怖くなって眠るのが下手くそになり、睡眠障害を起こしてしまうのではないか。と気づいた。暗示は楽しく前向きな暗示がよい。これをしたらこんな楽しいことが待っているよ、とこれからの人生がポジティブなものであるように、心にしっかりと太くまっすぐな芯が通るように。
この講座の日の夜から、9時のおばけは使わないことにした。そのかわり、時計の針が9時になったことだけ見せて伝える。そして早く寝たら明日楽しいことが待っていることを伝えた。この日は娘が好きなマフィンを焼いてあげるね。と。
マフィンと聞いて、娘はせっかく横になっていた身体を起こしてジャンプしながら「やったー!」と両手を上に挙げて喜んでしまい、興奮させてしまった、!とは思ったが、前向きな楽しい気持ちで眠れることができたのではないかと思う。
8/30
少し咳が頻繁に出るようになっていたが夕方に病院に行く覚悟を決めて登園してもらった。仕事と家事を済ませて迎えにいくと鼻水で鼻の下をピカピカさせながら待っていてくれた。
保育園を休ませるべきだったか、と少し後悔したが、発熱はしていないので気を取り直して病院へ。鼻水と咳のための薬を処方してもらって帰宅。
夜に発熱することが多いのでヒヤヒヤしながらも就寝。
8/31
起床して熱は出ていないが絶え間なく咳き込むので保育園は行けないと判断した。私がこの日に講座が入っていたため、夫になんとか仕事の調整をしてもらい、家でゆっくりしてもらうことにした。
親が何かする時・したい時に子供の体調が悪くなって断念するという話はよく聞く話だ。「なんで今日に限って」「昨日、休ませるべきだった」と、してもしょうがない反省や後悔をしつつ、講座に臨む。
講師の方から「さみしいという気持ちのあらわれだということを受け止めてあげるだけでいい」と言っていただき、私の中にある「動こうとすると誰かや何かからブロックがかかる」という勝手な自己暗示を和らげてもらった。
娘には私が持っているような不要な暗示はできるだけ持たないでほしいと願う。ではどうしたらよいのか。
いつも前向きな言葉をかけることを心がけることもとても大切だし、それは親の私たちにとっても精神的に成長できることだと思う。
そして、それよりももっと大切なのは「あなたはそのままで素晴らしい」「あなたがここにいてくれるだけで私は幸せ」「あなたのそのままを愛している」と、存在をまるごと肯定して褒めて愛していると伝えること。
doよりもbeを褒めること、beを喜ぶこと。
10歳までの潜在意識の中に「そのままで素晴らしい」「愛されている」のクッションを分厚くいくつも入れてあげることで、その先に待っているだろう理不尽な暗示にも耐えられるようになるのだろう。
そしてそのクッションは親である私が入れてあげることができるのだ。
9/1
前の晩に発熱した娘。
起床すると熱は下がっていたが、念の為保育園はお休みすることにした。
日中家でおとなしく過ごしていたせいか、夜はなかなか眠れず。
早く眠れるための魔法があったらいいのに。
人伝にこのnoteを読んでくださっている方がいると聞いて励みになった。
いつもありがとうございます。
9/2
体調復活したので娘は登園。
私は保育園から呼ばれていたので午後に園に向かう。
内容はトイレトレーニングの件である。
もうすぐ3歳の娘。そろそろ、というか遅いくらいだが、いよいよおむつを卒業してトイレで用を足すことを視野にいれてもいい頃かも?と保育園の先生からアドバイスをいただいた。
実は昨年の夏、家で便座に座ることを試してみたことがあった。が、なかなかうまくいかず、娘もトイレに行くのも嫌になりそうだったので諦めたことがあった。トイレトレーニングは暖かい季節がよい(おしりが出ても寒くないように)と一般的に言われていて、心配性の私の母(小樽ばぁば)がそろそろトイレトレーニングやったら?と言ってきたのだった。確かに昔は1〜2歳そこそこでおむつを卒業することが多かったそう。
しかしならがこればっかりは本当に個人差が出ることで、また、本人のやる気をなくしてしまっては元も子もない。
まずは1日1回、便座に座るということを目標に。
9/3
今日からおむつを替えるのは必ずトイレで行うことにした。
急にそのような状況になるのは娘としては理解しがたいよう、少々ごねる。
そして得意の「あかちゃんなの」を発動させて一向にズボンを脱いでくれない。
あまりよくない方法だと思うが、仕方なくディズニープリンセスの音楽をスマホで流しながら、気分よく脱いで、便座に座って、曲が終わるまで、出るか出ないか、頑張ってもらうことにした。
といっても、そんなに簡単に出るはずもなく。
もうひとつ、歯磨きの時にごろんと横になって磨く(私が)ということもはじめた。これまでは椅子に座ったままなんとか磨いていたのだが、歯医者にも通っているしということでごろんと横になってより磨きやすい姿勢に変えることにした。
だが娘はこのごろんと横になって歯を磨くというのがどうしても怖いようで(なので私もにこにこしながら磨いている)、すぐにもぞもぞ動いてしまう。これもディズニープリンセスの曲をかけて、1曲終わるまでは頑張る。というやり方にした。
いろいろと本人の機嫌を優先してばかりいると、こうやっていざという時になかなか本来の形に移行しにくいということがわかった。いずれできるようになるとは思うのだが、いつまで経ってもできないということもあるし、保育園ではできるけど家ではできないというような、本当の意味での自立につながらない。
保育園からのお手紙で「これから先、子供たちが世の中のどんな荒波にも立ち向かっていけるよう、生きる力を育んであげたいと思っています」と書いてくださったことを思い出した。
9/4
今日は祖父母のお誕生日会。
祖父が古希の歳でもあり、また、従兄弟の赤ちゃんが100日というタイミングだったのでみんなで写真館で記念撮影をすることになっていた。
夕方、写真館に集まり、子供たちは写真館の楽しい雰囲気にはしゃぎ、赤ちゃんはわけがわからないという様子で椅子に座らされ。スタッフの方々がなんとか子供たちの笑顔を!視線を!!と奮闘している姿に感心してしまった。
撮影された写真をデータで簡単に確認してプリントするものを決める。
なんとまぁ、これが娘、?なんだかいつもより美人なのだが、??(笑
毎日何組もの子供たちを撮影しているスタッフさんの実力に感服した。
撮影のあとは食事会へ。
小さい子が3人もいる中での食事は大人の会話なんぞできたものではないが、用意していた孫たちが描いた絵と足型をプリントしたTシャツを祖父母にプレゼントしたらとっても喜んでくれたので、ほっとした。
そんな怒涛の1週間の最後の日。
娘は絵本もそこそこに一瞬で入眠。
私は急にきためまいと抗えないほどの強烈な眠気と共に布団に入った。
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